第2章

第1話 「そんな4つの風景」

 鷹尾周たかお・あまねの一日は、朝、端整な顔ながら無表情なメイドに起こされるところからはじまる。


「おはようございます、周様」


 部屋のドアの向こう、廊下からメイド――藤堂月子とうどう・つきこの声。


 程なく、返事がないと判断したのか、静かにドアを開けて部屋に入ってきた。モノトーンのエプロンドレスを着込んだ一分の隙もないメイド姿だ。


「おはようございます、周様。朝です。起きてください」


 再度、声をかける。

 時々、ただ起こすだけでなく、叩き起こすことがあるのだが、今日はどうやら普通のようだ。


 一方の周はというと、掛け布団を顔まで引き上げ、壁に向かって寝返り。月子に背を向ける。


「……あと10分」


 不明瞭な声でそう要求する。


 それを見た月子は、ほんの少しだけ表情をやわらかくしてから、ため息をひとつこぼした。

 まぁ、周のこれはいつものことだ。


 そして、月子もこれを見越して、少し早く起こしにきている。


「では、10分だけ。10分後にまた起こしにきますので」


 彼女は表情を引き締め、そう告げた。


 そうしてから――、

 きっかり10分後、キッチンでひとつ作業をこなし、月子が再訪。


「周様、時間です」


 その声に反応して、周がむくりと体を起こす。寝起きの精彩を欠いた、緩慢な動きだ。


「あぁ、ぅはよう。月子さん」


 長めの前髪を掻き上げながらの、間延びした発音。


「……ちっ」

「いや、ちょっと待て。なんぞ、その舌打ち!?」


 彼は月子から聞こえた、その小さな空気の振動の意味を問う。


「いえ、特に大きな意味は。ただ、周様が素直に起きたので、少々面白くなかっただけです」

「因みに、俺が素直に起きなかったら?」

「世にも愉快な起こし方が待っています」

「……」


 案外、叩き起こす気満々だったのかもしれない。


 そこで、ふと、月子は思案顔をした後、


「最初からそちらのほうがよかったですか?」

「よかねぇよ!」


 吼える周。


「では、これまで通りに」


 表情を変えず、月子は恭しく答える。


 要するに、これまで通り2度目で起きなかったら強硬手段に出るという、気の抜けない朝が続くわけである。


「まー、それでも最近は起こし方も優しくなったよな」

「はい?」


 月子がぴたりと動きを止める。


 そんな彼女に気づかず、周は思い出す。当初はいきなり布団を剥がれたり、ベッドごとひっくり返されたりしたものだ。未遂ではあるが、のっけから最終手段というのもあった。


「なんか心情の変化でもあったのか?」

「い、いえ、別に……」


 月子は答えながら顔を背けるように半回転、体をドアへと向けた。


「そうか。いや、別にいいんだけどさ」

「は、はい。では、朝食の用意ができていますので」

「わーった。着替えたら、すぐ行く」


 部屋から出て行く月子と、ベッドから足を下ろす周。


 そんな朝の風景。





 護星ごせい高校。

 鷹尾周がこの春から通っている学校。


 昼休みの廊下を歩いていた周は、正面に見知った顔の二人組を認めた。こちらへと向かってくる。


 ひとりは、護星高校生徒会会長兼治安維持部隊隊長、その名も竜胆寺菜々りんどうじ・ななちゃん。

 もうひとりは、九条という名の上級生だ。


 3年生でありながら全校生徒中最も小柄であろう体で、菜々ちゃんは堂々と闊歩。その横を九条が面倒くさそうに歩いている。


 3人はちょうど階段の前で遭遇した。


「よぉ」

「あら、鷹尾じゃない」


 九条と菜々ちゃんが口々に言う。


「どうも」

「鷹尾も上?」

「ですね」


 答えながら、菜々ちゃんたちも階段で上へ行くのだと察した。


「どうぞ」


 と、手で示しつつ、先を譲る。


「そう? じゃあ、そうさせてもらうわ」


 菜々ちゃんと九条が先を行き、その後ろをついていくかたちで階段を上る。ふたりの会話が、自然、周の耳にも入ってくる。


「んで、次の選挙も出るんですか、会長」

「とーぜん。このほうが動きやすいし、それに生徒会長としてもやり残したことがけっこうあるしね。だったら勝手がわかってるメンバーが続投したほうがいいでしょ」

「そりゃそうですけどね。でも、書記はもうやる気なしじゃなかったですか?」


 九条の菜々ちゃんに対する受け答えは、あまり敬意が感じられない。


「書記は果林ちゃんが出てくれるんでしょ? 一年生だけどもうすでに手伝いに入ってくれてるし、あたしも推すから。これでほぼ理想のメンバーなんじゃない」

「やっぱ果林を巻き込むのか……」


 九条はなにやら納得いかない様子で頭を掻いている。


「不満そうね」

「まぁ、な」

「ふうん……」


 階段を上り切る。


「そうだ、鷹尾!」


 と、急に菜々ちゃんがこちらに振り返った。


「あんたの周りで生徒会に立候補しそうな子、いない? できれば戦えそうなのがいいわね」

「いったい何と戦う軍団をつくり上げる気か知りませんが、俺、上級生に知り合いいないし。周りにもそんな活きのいいやついませんよ」


 答えた周は、逆に聞き返す。


「生徒会の選挙ですか?」

「そう。ゴールデンウィーク明けにね」

「このちびっ子も出るから、お前、入れろよ」


 瞬間、


「誰がちびっ子よ!?」

「うお、危ねっ」


 菜々ちゃんの上段蹴りハイキックと、九条の腕受けアームブロック


「ていうか、強制してんじゃないわよ」


 ぴしゃりと菜々ちゃん。


「いい? なんで多数決が民主主義的かわかる? 議論を尽くしたという前提があるからよ。それがなければ単なる数の暴力なの。選挙も同じ。全員が熟考した上で投票するから成り立つの。だから鷹尾も、あたしに入れなくてもいいから、しっかり考えてから投票するのよ。いいわね?」

「お、おう……」


 菜々ちゃんにひと息に言われ、気圧されつつ周はうなずいた。


 別に周としては立候補者に知った顔はないだろうから、九条に言われるままに菜々ちゃんに投票してもよかったのだが。


「えっと、九条先輩?」


 今はそれよりも気になることがある。


「もしかして菜々ちゃん会長って、けっこうまともですか?」

「驚くだろ? 体は遠近感狂ってて、運動能力もトチ狂ってるくせにな。人間としてはかなりまともなんだ」


 周が思っているほど飛び散ったキャラクタではなかったようだ。


「あ、あんたらねぇ……」


 見れば菜々ちゃんが腕を組み、口の端をひくつかせていた。


「おい、鷹尾。逃げるぞっ」

「お、おうっ」


 身の危険を感じて駆け出す男ふたり。

 だが、相手はさすがトチ狂った運動能力を誇る菜々ちゃん。周が2歩と進まぬうちに捕まってしまった。


 その隙に九条の背中が遠のいていく。

 足の遅い草食動物は生き残ることができない。正しく弱肉強食を痛感した。


 そんな昼休みのひとコマ。





 一日の学業を終え――下校。


 周の住むマンションは、護星高校から15分ほどのところにある。駅からも徒歩圏内なので、非常に立地条件はいい。


 その帰路でのこと。

 全行程の中ほどまできたところで、周は自分の前方にひとりの少女が歩いているのに気がついた。


 周と同じく護星高校の制服を着ている。手足が長く、すらりとした後ろ姿。それを見て周は、きれいなシルエットだな、と漠然と思った。


 歩く速さに差があるのか、だんだんと近づいてきた。周は速度を落とす。


 道は道路沿いの歩道。車は走っているが、人影は疎ら。

 この状況は不味そうだ。


 そう思った矢先、前方の少女が足を止め、思わず周も立ち止まってしまった。

 彼女は振り返りはしない。だが、意識をこちらに向けていることは伝わってくる。


 さらに不味い状況になった気がする。


 再び少女が歩き出し、遅れて周も足を前に踏み出した。やはり警戒の気配を感じる。彼女にしてみれば、後ろからついてくる何ものかが自分と同じタイミングで足を止め、また歩き出したのだ。当然と言えば当然だ。


「……」


 まいったな――周は心の中でつぶやき、そして、意を決した。


 歩く足を一気に速め、だけど、先を歩く少女からはできるだけ離れたコースをとる。


「えっと、悪い」

「え?」


 怯えたような、小さな発音。


「なんか誤解させてるみたいだから、先に行かせてもらうわ」


 しかし、周はそうひと言断って、横を抜ける。


 彼女はついに何かされるのかとぎょっとして身を竦ませていたが、周はかまわず顔も見ない。呆然とする少女に見送られるようにして、家路を急いだ。


 そんな下校風景。





「ただいまー」

「おかえりなさいませ、周様」


 玄関を入ると同時、奥から出てきたエプロンドレス姿の月子が迎えた。


「……」


 そして、周は靴を脱ぎ散らかす運動を止め、思わず斜め下を向いて考え込んでしまう。


「どうかしましたか?」

「……いや、何でもない」


 口にしないだけで実際に何でもないわけではない。


 2LDKのマンションの一室に、完全装備、オールタイム臨戦体勢のメイド。この状況にずいぶん慣れたつもりでいたが、外から帰ってきたときなどに強烈な違和感を感じる。壮絶にたちの悪い冗談だ。


「そうですか。では、夕食の用意ができていますので、いつもの時間に」


 告げて月子は回れ右。短い廊下の突き当たり、リビングに通じるドアの向こうに消えた。


 周は廊下の途中にある自分の部屋へ。


 今度、帰ってきた直後に、何かネタでも飛ばしてみようかと、わりかし真面目に考えた。





 そうして夕食、である。


 少し前から周と月子、主とメイドは一緒に食事をとっていた。今もテーブルに向かい合って座っている。


「周様、今日は学校で変わったことはありましたか?」

「いや、何も」


 月子の問いに周は、添えられた温野菜は無視して鶏肉のソテーに目標を定めながら答えた。


「あぁ、そう言えば……って、なんだよ、その顔」


 言葉の途中、月子が眉根を寄せているのに気づく。


「いえ、深く考えずにとりあえず『ない』と答えるのだな、と」

「ほっとけ。つーか、何かあったのは帰りで、学校じゃ生徒会長にブン回されたくらいで、本当に何もなかったんだよ」


 それだけでも十分である。


「それで、帰りに何か?」

「女の子がいたんだ」

「女の子、ですか?」


 途端、月子が複雑な表情をつくったのだが、周はそれには気づかず続けた。


「俺と同じゴ高の子。この近くにいたんだなと思ってさ」

「きれいな方でしたか?」


 月子の声が少しだけトゲっぽい。


「きれい、かぁ。確かにきれいだったな、後ろ姿が」

「後ろ姿?」


 そして、今度は気勢を殺がれる。


「こう、背筋が伸びてて、歩き方がきれいなのな」

「顔は見たのですか?」

「いや、後から追い抜かしただけだしな。それに顔を見たところで、美人とかかわいいとか、正直言ってそういうのよくわかんねーし、俺」


 苦笑いする周。

 月子も「そうですか」と、小さく笑った。


「あ、でも、あれだな。あの後ろ姿だったら、きっとかわいいんじゃないか」

「周様、食べないのでしたら迅速にお下げしますが」

「めちゃめちゃ喰ってる最中だろうがっ」


 そんな夕食のワンシーン。


 そんなメイドのいる生活――。

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