第6話 「アクシデント続発!?」(後編)

 その日の夕方はいつもと違っていた。

 学校から帰ってきた周はいつもと変わらない。しかし、確かに何かが違っていた。


「……」


 例えば、頼んでもいないのに毎日コピィ&ペーストしたように出迎えてくれるメイドの姿がなかったり。


「まだ帰ってきてないのか?」


 それにしては玄関の鍵が開いていたり。


 どこか近くにちょっとした用で出かけているのだろうかとか、そもそも、朝、月子が鍵をかけ忘れて出かけたとか。いろいろ考えてもみるが、なにぶん初めてのことなのでどれも正解のような気がしない。


 と、そのとき、電話が鳴った。


 すぐ真横にいた周は、1コールも鳴り終わらないうちに受話器を手に取った。


「はい、鷹尾――」

「あーら、お坊ちゃま! わたしですよ! 藤堂です!」


 周の声を遮り、特大ボリュームの声が返ってきた。そばに誰かいたなら、その声の一言一句まではっきりと聞き取れたに違いない。


 周は一度耳から離した受話器を再び近づけた。


「や、やあ、藤堂さん。どうしたの?」


 月子の母親である藤堂は、周の実家の家政婦である。程よく恰幅が良くて、妙に頼もしい感じの人物だ。周が生まれる前から屋敷にいて、何かと世話を焼いてくれた。欲するところも欲しないところも、いろいろ施してくれたものだった。


「うちの月子はいますかね? ご迷惑かと思いながらも、娘に急用があって電話した次第なんですよ」


 何が可笑しいのか藤堂は豪快に笑う。


「月子さんね……」


 と、周は廊下の先、リビングの入り口に目を向けた。やはり人の気配はない。


「どうも今いないみたいなんだよ」

「んまぁー、なんてことでしょう!」


 再びボリュームマックスの甲高い声が周の耳を貫いた。


「主人を放り出してメイドがどこをほっつき歩いているのでしょう! 一度言ってやらないといけませんね! お坊ちゃまからも叱ってやってくださいまし!」

「そ、そのうちにね……」


 周が月子を叱る? そんなことをしたら様々な不幸に見舞われるような気がしてならない。朝起こされるとき最初から最終手段に出られるとか、そんな感じの。


 結局、藤堂へ連絡を入れるように周の口から月子に伝えることで話がまとまり、電話を切った。


 藤堂はああいう豪快な人柄だが、月子を本当に大事にしている。月子がひとり娘で、しかも、母子家庭となればそれも当然だろう。


 周は自室に鞄だけ放り込むと、そのまま廊下を抜けてリビングに踏み入った。


 リビングに、

 ダイニングキッチン。


 どこにも月子の姿はない。


「……」


 ただ、月子の私室のドアだけが鎖されていた。


 とは言っても、基本的にそのドアはいつも閉まっている。開けっ放しにしておくと、リビングから中が丸見えになってしまうのだ。よって、月子がどこにいようと閉まっているのが常である。


 周は試しにそこを開けてみた。


 月子が、いた。


 周は考える。月子はきっと何かしらの理由で、周より少し前に帰ってきたのだろう。だからまだ部屋にいたのだ。電話が鳴ったときもすぐに周が取ってしまったから、月子の耳に届かなかったのだ。

 そう考えれば辻褄は合う。


 が、それは兎も角。



 月子は着替えの最中だった。



「シュ……ッ」

「つ……っ」


 ふたりして息を飲む。


 ピュアホワイトの、ブラとショーツ、ガーターベルトにストッキングといった刺激的な姿。


 いちばんに目がいったのは、その胸だった。普段のメイド服姿でも薄々気がついていたが、それは少年誌の巻頭を飾るグラビアアイドル並の深い谷間をつくっていた。


 それにブラもショーツも大人の女性にのみ許されるようなデザインだ。


 そんな月子が、壁のハンガーにかけたエプロンドレスを手に取ろうとして――そのまま固まっていた。


 バタン


 ドアを、閉めた。


 しかし、ドアをもと通りにしたところで、いま起きたことがなかったことになるわけではない。

 そして、周の記憶が消えるわけでもない。


「すごいものを見てしまった気が……」


 それどころか、しっかり目に焼きついていた。


 相変わらず身体は固まって動かない。

 どれほどそうしていただろう。やがて一度は鎖された扉が再び開いた。


 出てきた月子はエプロンドレスを身にまとい、いつもと変わらぬ装いだった。

 しかし、そこにまだ周が立っているとは思いもしなかったのか、かすかに驚いて目を見開いた。それから次第に赤くなる顔を、一度伏せて隠す。


 そして、次に顔を上げたときには、いつものメイドの顔に戻っていた。


 至近距離。

 一歩も引かない月子と、一歩も動けない周。


 動いたら殺られる。

 殺るか殺られるか。


 そんな一触即発の雰囲気。


 だが、実際には、周は「右ですか? 左ですか? オラオラですか?」と内心ビビりまくっていた。


「……周様」


 先に口を開いたのは月子だった。


 しかし、その声はやや硬い。


「は、はひっ」


 そして、こっちは裏返っていた。


「先日も申し上げましたが、私の部屋を開ける際にはまず先にノックをお願いします」

「は、はい……」

「次にこのようなことがあれば命の保障はできかねますので」

「……」


 本気マジだ。

 周は本能で直感した。


「それから――」


 まだ何かあるらしい。


「私がいない間に勝手に部屋に入ることもご遠慮願います。その場合、警報が作動し、10分以内に私が駆けつけるようになっていますので」

「き、気をつけます」


 このメイドならやりかねないと思う周だった。


「では、今から夕食の支度をしますので、それまでお休みになっていてください」


 業務連絡終了。

 ハウス。


 かくして、周の金縛りは解かれ、ぎくしゃくとした動きで部屋に戻っていった。





「眠れない……」


 その日の夜中はいつもと違っていた。


 なぜなら、


「腹が減った……」


 というわけだった。


 夕方の事件のせいで月子の顔をまともに見られなくなった周は、夕食もつまむ程度でそこそこにして、とっとと部屋に篭ってしまったのだ。


 結果、充分に満たされなかった胃が夜中になって抗議の声を上げ出したというわけだ。


「ええいっ。やっぱり何か喰おう!」


 周は勢いよくベッドから飛び起きた。


 当初は寝てしまえばすむと安易に考えていたのだが、眠気よりも空腹感が勝ってどうにも寝つけず、しかも、暗闇の中、寝返りを繰り返していると余計なことを思い出してしまう始末。


 周は忍び足で廊下を進んだ。


「カップラーメンは……あるわけないよなぁ」


 周の食生活の完璧な管理を使命のひとつとしている月子が、そんなものを買い置きしているとは思えない。


 キッチンの照明もつけず手探りで歩いて、とりあえず冷蔵庫を開けた。

 何を探すとも明確に定まらないまま中身を漁る。


「カステラがあるな。でも、切ってない。丸ごとかぶりつくか? ほかには……」


 ぶつぶつと独り言をこぼす。


 と、そのとき、パッとキッチンの照明が点いた。


 反射的に振り向くと、


「月子さん……」

「周様」


 真夜中のキッチンでがさごそやっている人物に不審者の可能性を考えたのか、月子の手には伸縮式の特殊警防が握られていた。


「……」


 が、そんな突っ込みどころ満点のアイテムよりも、周は月子の姿の方に目を奪われた。


 クリーム色の薄手のパジャマに、白いカーディガンを羽織っている。


 それだけならどうということはないが、それは周が初めて見る月子だった。いつもは首の後ろでくくっているだけの髪も今は解かれていて、よけいに違った雰囲気に見える。


 そんな周の視線に気づいたのか、月子はカーディガンの前を片手でかき合わせた。


「……周様、ここで何を?」

「あ、いや、ごめん。ちょっと腹がすいてさ、何か食べるものはないかと思って……」

「……」


 月子は、一度、黙り込んだ。

 それから出来の悪い子どもを見るように、深いため息をひとつ吐く。


「そういうときは私に言ってください」

「いや、でも、もう夜中だし、なんだか悪いと……」


 ついでに夕方の件で負い目もあったので。


 しかし、そのことは口にしない。いらないことを蒸し返すだけの結果にしかならないだろうから。


「私はメイドです、周様の。ですから遠慮は無用です。……パスタならできそうですね。それでかまいませんか?」


 冷蔵庫を覗き込みながら言う。


「頼む」

「わかりました。しばらくお待ちを」


 さっそく月子は周に背を向け、作業に取りかかった。





「ああ、やっと落ち着いた」


 その後、寝つく前はもういつも通りだった。


 空腹を満たした周はベッドに入り、慌しかった一日のことを思い返した。


「……」


 途端――、


 今まで目を瞑って見ないようにしてきた何かを認識しそうになった。


「今の状況って……」


 が、


 次の瞬間、眠気に負けて深い眠りの淵に落ちていた。

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