第5話 「生徒会長、菜々ちゃん」

 朝――、


「今日は速やかに食事をすませて登校してください」


 ダイニングのテーブルについた周に、メイドは告げた。


「なに? 今日はやけに急かすな」

「私が私用でいつもより早く大学に行かなくてはなりませんので」

「あー、だったら鍵貸してくれ。俺が閉めて出るからさ」

「お断りします。主人に鍵を持たすようなメイド失格な真似はできませんので」

「……あそう」


 ぴしゃりと言い切った月子に、周は諦め気味に答えた。ここ数日、何回か同じことを言ったが悉く一蹴されているので、もとよりダメもとだったのだ。


「自分の都合に主人を巻き込むのはメイド失格じゃないのだろうか……」

「何か言いましたか?」

「うんにゃ。なにも」


 周はきっぱりと否定し、朝食に手をつけた。


「……早く出て行け」


 月子がぼそりとつぶやいた。小声ながら周には聞こえる音量で明晰に発音するあたりに大きな悪意を感じる。


 周が顔を上げて月子を見ると、彼女はすっと視線を逸らした。


 いつも思うが、これほど白々しい誤魔化し方も珍しい。


「……」

「……」


 コホン、と月子が咳払いをした。


「尚、いつも通り先に帰ってきてお待ちしていますので、心配は無用です」

「心配してねぇし聞いてもねぇよっ」





 学校に着いた周はいつものように昇降口で上履きに履き替えた。踵を踏んだままで教室に向かおうとしたところで、


「何だあ?」


 廊下がやけに騒がしかった。


「なんか文句あんのかよっ!」

「因縁つけてきたのはそっちだろうがっ!」


 怒声が聞こえる。


「ああ、ケンカやってるみてーだな」


 言ったのは後ろからやってきたクラスメイトの岡本だった。


「この護星高校ってさ、運動系のクラブはどこも強いんだけど、その分、血の気が多くて喧嘩っ早い奴も多いんだってよ」

「マジ?」

「同じ中学だった先輩もここにいてさ、そう聞いてる。今日もおおかた仲の悪いクラブ同士が衝突したんじゃねーかな? ……あ、殴り合いはじめた……」

「お、おい。止めなくていいのか?」


 睨み合い掴み合い程度ならまだしも、さすがに手を出すのはマズかろうと思う。


「でも、あれって柔道部とレスリング部だーぜ? どっち止める、つーか、どうやって止めるよ?」

「……それ、ほっといたら寝技主体にならないか?」


 実現すれば迫力に欠ける戦いである。


 とは言え、どちらも格闘技には変わりない。どう転んでも無傷ではすみそうにない。ついでに、下手に止めに入ってもやはり無事ではすまないだろう。


 と、そのとき――、


「はいはーい、ちょっとどいてー。どいてねー。こらーっ。とっとと道あけろー」


 後ろからやたらと元気の良さそうな女の子の声が聞こえてきた。


 周が振り返ると野次馬の群れが左右に割れていっていた。何が起きているのかわからないが、周と岡本も廊下の端に寄る。


 そのモーゼの奇跡の如く開かれた道の真ん中に現れたのは、小柄な女子生徒だった。横にはおとものようにして眼鏡の女の子もいる。


 おそらくこの学校の生徒で誰よりも小さいのではないだろうかと思う身体に、長い髪。それにひと目見て素直にかわいいと言える容姿だ。しかし、何よりも特徴的なのは制服のスカートの下に穿いている黒いスパッツと、手にはめている指先のないドライバーズグローブのような手袋だった。


 周は岡本の顔を寄せて訊いた。


「おい、岡本。あの小っさい……もがっ」


 が、途中で口をふさがれた。


 耳ざとくその声を拾ったのか、ぎろ、と女の子が大きな瞳で鋭く睨んできた。


「な、なんでもねーです、はい」


 周の口に蓋をしたまま岡本が慌てて答えた。


 ふん、と鼻を鳴らし女の子は視線を前に戻した。その先ではまだ喧嘩が続いている。


「ぷはあっ。……何すんだよ!?」


 解放された周は、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「つーか、あれ誰だよ?」

「菜々ちゃんだ」


 どこか畏敬の念を含んだ声で岡本は言う。


「菜々ちゃん~?」

「そう。生徒会長の竜胆寺菜々りんどうじ・ななちゃんだ」


 ということは、生徒会長が直々にこの騒ぎを収めにきたのだろうか。


「会長、あれです」

「ん、わかった。あとは任せて」


 一緒にきたおつきの眼鏡の子とそんなやり取りが交わされる。

 やはりそうらしい。


 しかし、次の瞬間、生徒会長は地を蹴り、喧嘩をしているふたりに向かって駆け出していた。


 充分な助走をつけて、跳躍。

 直後、手前にいた生徒の背中に力いっぱい飛び蹴りを喰らわせた。ふたりまとめてゴミ屑のように吹っ飛んでいく。


「……」


 予想もしなかった展開に唖然とする周。


「生徒会執行部治安維持隊よっ。かかってきなさい!」

「……」


 普通は『おとなしくしなさい』ではないのか。


「おい、岡本。もう一回聞く。あれは何だ?」

「生徒会の菜々ちゃん会長だーな」

「治安維持隊とか何とか言ってたぞ」


 その名称とやっていることに大きな差異があるが、今は論じないことにする。世界各地に紛争をばら撒いているようにしか見えない大国の例もあることだし。


「会長と治安維持隊隊長との兼任。というか、ただ単に会長が趣味と実益を兼ねてやっているらしい」

「趣味と実益、ねぇ……」


 いったいどんな趣味なのか。


 しかし、あんな極小サイズの女の子に治安維持隊などというものが務まるのだろうか、と周は首を傾げる。


「く、くそ……」

「いきなり出てきて舐めたことしやがって」


 喧嘩をしていた男子生徒ふたりがふらふら立ち上がった。


「む。まだ立つか。……よし、とりあえず、殺っておこう」

 菜々ちゃんは決心したように言うと、つかつかと歩いてふたりに向かっていった。


 その後も一方的だった。

 ひとりは足技のコンビネーションで連打を喰らい、もうひとりも蹴りではあるが突き刺すような超一撃を腹に受け、ともに昏倒した。


 運動部員連合が床に倒れて沈黙すると、一瞬遅れて周囲から、おお~、と歓声が上がった。


「や、ども。ども」


 両手を挙げて応える菜々ちゃん。いったい何のイベントなのか。


「で、これ誰? え、柔道部とレスリング部? ふうん、誰かこのふたりの知り合い、いる?」


 周りにいた生徒の中からちらほらと手が挙がる。


「責任持って生徒指導室に運んどいて。よろしくっ。……じゃ、あたしはこれでっ」


 そう言って挨拶代わりに軽く片手を上げると、生徒会長・竜胆寺菜々ちゃんは楽しげに足取りも軽く去っていった。


「……」


 呆然とそれを見送る周。


 ただ、すれ違いざま、菜々ちゃんが周を見た気がした。





 その放課後――、

 終礼を終えて帰宅しようと周が昇降口を出ると、


「よーーやく出てきたわね、鷹尾周っ」

「は?」


 いきなり聞こえてきた女の子の声。周は辺りを見回した。が、その発生源が見当たらない。因みに声の主には、確信はないもののだいたい見当はついていた。


 やがて誰かが「おい、あれあれ」と斜め上を指さして、周もその先を見た。


「げ」


 校門の門柱の上に生徒会長・竜胆寺菜々ちゃんその人が立っていた。


 この護星高校の敷地を囲む壁は、思わず「ここは刑務所かよ」とつぶやいてしまうほど高い。その一部でもあるバベルの塔みたいな門柱に立っている姿は、見ているだけで寒気がする。


「な、何やってんだ……」

「先に帰られたらマズいから授業が終わってすぐきたっていうのに、あんたがなかなか出てこないから通る子通る子に『会長、危ないぞー』とか『菜々ちゃん、いい子だから下りといでー』とか、いろいろ心配されたじゃないのっ」


 そりゃ当然だろう。


 周も似たようなことを言いたくて仕方がない。そして、ついでになぜそんなところで待つ必要があるのかとか、直接教室にきたらダメなのかとか、疑問がいくつかあるわけだが――、


「とうっ」

「い゛!?」


 いきなり菜々ちゃんが門柱から跳んだ。

 思わず周の口から悲鳴にも似たものが絞り出される。


 しかし、菜々ちゃんは軽やかに着地すると、その衝撃も膝を曲げて殺した。


「……」

「……」


 が、そのままなかなか立たない。

 けっこう痛かったのかもしれない。よく見ればその顔は、何かに耐えているように見えなくもない。


 にしても、あの高さから飛び降りられるというのはどういう身体能力なのか。


「ふんっ」


 己を鼓舞するようにして菜々ちゃんが立ち上がる。


 その頭は周の胸の高さにあった。おそらく全校生徒でいちばん低いのではないかと思われる。


「鷹尾周よね」


 不敵な笑みで見上げてくる。


「そ、そうですけど。何で俺の名前を?」

「うん。昼休みに学校のデータベースに入って調べた。『周』って書いて『あまね』って読むのね。初めて知ったわ」

「は、はぁ。……それで俺に何か用でしょうか?」


 周としては生徒会長に直々会いにこられるような覚えがない上、今朝、菜々ちゃんのデタラメな強さを目の当たりにしたばかりなので、身が竦む思いだった。


 菜々ちゃんはおもむろに周に指を突きつけ、


「朝、あたしのことちびっ子って言ったわねっ」

「言ってねぇよ!」


 いきなり身に覚えのない罪状を叩きつけられる。

 尤も、似たようなことを言いかけて途中で遮られてはいるが。


「なに、あいつ、菜々ちゃんにそんなこと言ったの?」

「うわ、命知らずっ」

「知らね。俺、知らね」


 下校する生徒の何人かがふたりを横目に見ながら、そんなことを言って通り過ぎていく。


「……え。い、いや、ちょっと待……っ」


 すでに半ば事実にされつつあるらしい。


「あたしにそんなことを言う奴は……制裁ね」

「俺の否認発言は無視かよ!」


 加えて刑も執行直前だ。


 と――、


「菜々ちゃん、お疲れー。帰りに溝に嵌まるなよー」

「会長、さよならー。今日は風が強いから飛ばされないようにねー」


 挨拶をして通り過ぎていく生徒たち。


「んー。みんなも気をつけて帰りなさいねー」


 そして、朗らかに応じる菜々ちゃん。

 心和む下校風景だ。


「ちょっと待てぇ! 今のだって暗に小さいって言ってるようなものじゃ――」

「いい度胸ね。面と向かって言うとは……」


 菜々ちゃんは口の端を吊り上げて笑いながら、両の拳を打ち合わせた。手にはすでに手袋がはめられている。

 戦闘準備は万端だ。

 周の頭に今朝見た柔道部とレスリング部の末路がよぎった。


 が――、


 次の瞬間、ふわりと菜々ちゃんの身体が浮いた。


「……」

「……む?」


 菜々ちゃんの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。


 何が起きたのかと思えば、いつの間にか忍び寄っていた男子生徒が、ネコでも扱うかのように襟を持って摘み上げていたのだった。


「……」


 その男子生徒は平凡な中肉中背ながら隙がなく、何か見えない刃物でも隠し持っているような鋭い雰囲気をまとっていた。


 彼は自分が摘み上げたものを呆れたように見つめる。


「だ、誰!? こんなことをするのはっ」

「……会長、何を遊んでるんですか?」


 男子生徒がようやく口を開いた。


「あ、九条! この雑用! 放しなさい。下ろしなさいよーっ」

「その雑用としては、副会長に会長を連れてこいって頼まれてるんですよ」


 九条と呼ばれた生徒は子どもをあしらうように言った。

 それから周へと顔を向ける。


「あー、悪かったな。うちのちびっ子が迷惑をかけたみたいで」

「あ、いえ……」


 できればちゃんと繋いでおいてほしいと思う周だった。


「こらー、誰がちびっ子だー」


 と吊るされたままバタバタと暴れるちびっ子生徒会長。


「あんただ、あんた。だいたいこんなところで何をやってるんです? 放課後は裏山の掃除にいくとか言ってませんでした?」

「そ、それは……」

「ま、いいですけどね。呼びにいく手間が省けたので」


 さっくりそう言って九条は菜々ちゃんを連れていく。


「せめて下ろせっ」

「下ろすと逃げる」

「……むぅ」


 そんなやり取りをする声とともに、ふたりの姿が遠ざかっていく。


 そして、取り残された周。

 いつの間にか事態は収束したらしい。


 基本的に何もしていない周だったが、わけのわからない疲れはあった。

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