第18話 ドラゴン兄弟の予言書<1>
かしゃかしゃと、足下で音が鳴っている。つい先ほどまで自分を包み守っていた卵の殻が、自分の重みに負けて砕けていく音だ。
開いたばかりの目で、自分の前足を見る。色の名はわからぬが、辺りの木々を覆っている葉と同じ色だ。
「あ、自分はあれと同じだ」
そう思った時、目の前を真っ赤な何かが横切った。ずっと遠くの火山から噴き出る、炎のような色。
この赤い何かは、自分と似ている。そう思った。自分の全体像はわからないが、少なくとも前足は似ているし、皮膚の質感も似ているようだ。
そう言えば、卵が割れて外界の空気に触れた時。自分よりも先に卵から転がり出た物があったような気がする。
……という事は、この赤いものは、自分と兄弟という事になるのか。自分より先に外界に飛び出し、既にこのように動き回れているという事は、向こうが兄か姉で、自分は弟になるのだろう。
勿論、こんな複雑な事を考える事ができるような知識はこの時、まだ持ち合わせていない。ただ、向こうが先で、こっちが後、というような概念を抱いた事は覚えている。
兄か姉と思われる赤いそれは、あっちへうろうろ、こっちへうろうろと落ち着きが無い。その後を何とか追おうとするが、後に生まれたせいか、自分はまだ上手く歩けない。
それが悔しくて、思わず泣いてしまった。ぎゃーお、ぎゃーおという泣き声が、辺りに響き渡る。
泣き声に気付き、兄だか姉だかが初めてこちらに興味を持った。近付いてきて、様子を窺っている。だが、泣いている弟相手にどうすれば良いのかわからないのか、この兄だか姉だかはおろおろし始めた。そして、同じように泣き出してしまう。
ぎゃーお、ぎゃーお。ぴぎゃー、ぴぎゃー。
そうして、一体どれほど泣いただろうか。
「おやおや。何の音かと思ったら……こんなところで、ドラゴンの赤ん坊が生まれていたのかい」
甲高く、しわがれた声が聞こえた。
その声に、二匹はぴたりと泣くのを止め、声のした方を仰ぎ見る。
黒と紫を基調とした衣装に身を包み、銀の長くうねっている髪を風に靡かせている老婆が、そこにいた。
老婆といっても、背筋は伸びているし姿勢は良い。あちらこちらに見える皺さえ無ければ……そして、しわがれた声を聞きさえしなければ、老婆などとは夢にも思わないだろう。
老婆はその場にしゃがみ込むと、仔ドラゴンをまじまじと見る。
「……うん、どちらも中々良い目をしてるじゃあないか」
嬉しそうに笑うと、老婆は二匹に言う。
「丁度良い。あたしゃ、これからちょっとやりたい事があってね。手伝ってくれる奴を探してたんだ。あんた達、育てればモノになりそうだからね。これからどうするか決まってないんなら、付き合ってくれないかい? 寝床と食事は用意してやるし、色々と学ばせてやるよ。あたしが教えるから、知識はドラゴンじゃなく人間寄りになるかもしれないがね」
言われて、二匹は顔を見合わせた。言われている事の意味はよくわからないが、生存本能が「従っておけ」と言っている。
二匹揃って老婆を見ると、老婆はニヤリと笑った。少々怖いが、悪意は感じない。だから、二匹はこくりと頷いた。
「そうかい、そうかい。手伝ってくれるのかい。嬉しいねぇ」
豪快に笑い、そこで老婆ははたと二匹を見た。
「ドラゴン二匹となると、呼び分けるために名前が要るね。念のため訊くが、あんた達、名前はあるのかい?」
問われて、同時に首を傾げた。生まれたばかりで、親も傍にいない。名前があるわけがない。そもそも、生まれたばかりの仔ドラゴンには名前という概念も無く、名前という物がなんなのかもわかっていない。
「わかんないかい? じゃあ、あたしが付けてやるかね。……あんた達、先に生まれたのはどっちだい?」
二匹は、またも顔を見合わせた。そして、先程「先」「後」の概念を何となく抱いていた緑の仔ドラゴンは、兄だか姉だかの赤い仔ドラゴンを指す。赤い仔ドラゴンの方は、短い前足を天に向かって掲げて見せた。
「なるほど、なるほど。赤い方が兄貴で、緑の方が弟だね?」
兄だか姉だかわからなかった赤い仔ドラゴンは、兄であったらしい。
老婆は、「ふむ」と短く唸ると、言った。
「じゃあ、赤いあんたは
語彙があれば「安直過ぎる!」と抗議したのだろうが、生まれたての赤ん坊だ。名前の概念も、文字も数字も何も知らない。良いも悪いもありはしない。
よくわからないままに、二匹はこくんと頷いた。そんな二匹を、老婆は「よしよし」と言いながら抱き上げる。
生まれたばかりとは言え、二匹の体格は既に人間の五歳児ほどの大きさがある。それを軽々と抱き上げる老婆は一体何者なのだろうかと疑問に思う者は無く。老婆はそのまま、二匹を自分の家へと連れ帰った。
そこで老婆は、二匹の仔ドラゴンに寝床と食事を与え、生きていくために必要な知識からこの世界の理、生きる事を楽しむための教養まで、多くの事を教え込んだ。
時には成体のドラゴンを招き、二匹にドラゴンとしての活動方法なども覚えさせた。
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