第15話 人間の啓発本<1>

「買い取りをお願いできるかな?」

 その言葉と共に人間がドラゴン古書店を訪ねてきたのは、ルイーゼとフェリクスが本を持ってきてから、数日後の事だった。

 ニーナより幾分背が高いものの、全体的に見ればドラゴン兄弟よりもずっと小さな体。牙の無い口に、尖った爪を有していない手。目に見える毛は頭頂部と、鼻の下に少しある程度。二本足で立ち、羽根は無い。

「私……自分以外の人間を初めて見たかもしれません……!」

 記憶が無いので、定かではないが。少なくとも、現時点でのニーナの記憶では、人間との遭遇は初めてらしい。

「おや、お嬢さんは人間なのかい……?」

 気のせいだろうか。人間の顔が、少し嫌そうに歪んだように見えた。

「そうだが……何か問題が?」

 どこかいつもと違う空気を会計机周辺に嗅ぎ取ったのだろう。ツヴァイが近付いてきた。その大きさと容貌に恐れを成したのか、人間は慌てた様子で両手を振って見せる。

「いや、その問題と言いますか! できる事ならば、人間以外の種族に売りたくて本を持ってきましたので、ここのお嬢さんが人間で驚いたと言いますか」

「人間以外に売りたい? 一体どのような本を持ってきたのだ?」

 ツヴァイの問いに、人間はハッとした。そして、横に置いていた木箱を指し示す。

「この箱に入っている本を、全て売りたいのですが……」

 木箱には、それほど分厚くはないが決して薄くもない本が三十冊ほど詰まっていた。一人で持ち運ぶには重そうなのだが、来る際に馬車でも利用したのだろうか。

「随分たくさんあるが……これは、全部同じタイトルではないのか?」

 不愉快そうに顔を顰めて、ツヴァイが指摘した。

 ……そう。木箱に入っている本は、全て同じタイトルだった。これではどう考えても、盗品か余剰在庫の処分だ。どちらにしても、古書店側としては迷惑な話でしかない。

「見たところ、言語は人間族の物だな。それを他種族に売りたいというのは、どういう料簡だ?」

 凄むツヴァイに、人間は震えあがっている。だが、それでも何かしら言い分はあるらしく、しどろもどろになりながらも説明を始めた。

「それっ……その本、良い本なんですよ、本当に! けど、どうにも人間には理解してもらえなくって、それで、他種族のもっと知見のある方に読んで頂きたくってですね! けど、色んな種族の言葉に翻訳して出版し直す予算も無いし……!」

 だから、ドラゴン古書店に売りに来た。様々な種族が利用するこの店に置いてもらえれば、きっと人間語を読める別の種族が買ってくれるだろうと思ったから。人間には理解されなかったが、他の種族にとってはきっと良いと思える本なんだ。だから、買い取ってくれ。

 そう必死でまくし立てる人間に、ツヴァイの腰がやや引けた。そのほんの少しの隙を狙ったかのように、ニーナが「あの……」と声をかける。

「その本……読んでみても良いですか? 私、今……人間が書いた本に興味があって……」

 それに、私が読めばこの本の文章に想いが籠っているかどうかがわかります。

 そう言うニーナに、ツヴァイは「む……」と唸った。たしかに、本当に良い本であれば、買い取りを拒まなくても良い。書き手が本当に想いを伝えたくて書いた文章であれば、きっと誰かの心には響くだろう。そういう本であれば、店頭に並べる事もやぶさかではない。……三十冊は、流石に多過ぎるが。

「ならばこう査定しよう。まずは、このニーナが本をざっと読む。それで良い本だと思うようであれば、買い取ろう。……流石に全部は難しいが、半分くらいなら構わん。……それで良いか、兄者?」

「あぁ。私も、それで異存は無い。……それで良いか?」

 会計机でのやり取りが聞こえたらしいアインスもやってきて、頷いた。そして、話を振られた人間はと言えば……。

「い、いやいやいや! ちょっと待ってくださいよ。人間には理解してもらえなかったと言ったでしょう? それを、人間の……それもこんなお嬢さんが読んで、それが査定だなんて……」

「文句があるのであれば、帰ってもらって構わんのだぞ?」

 凄みのあるツヴァイの声に、人間は「ひっ……!」と叫んだ。

「じゃあ、まぁ……駄目元で。ちゃんと読んでくれよ、お嬢さん」

「はい! ……あの、その前にお聞きしたいんですが……。この本は、どんな本なんですか?」

 ニーナの問いに、人間は「ん? あぁ……」と呟いた。

「いわゆる、啓発本、という奴だよ。どのようにしたらみんなが幸せに生きる事ができるのか、を題材にして、その方法を書いているんだ」

「みんなが幸せに……」

 その言葉を噛み締めるように呟き、ニーナは嬉しそうに本を開いた。逆に、見守るツヴァイは不安そうな顔をしている。

 啓発本。みんなが幸せに生きる方法を書いた本。

 嫌な予感がする。

 そう感じたツヴァイは、ニーナを止めようか逡巡した。だが、その迷っている間に、ニーナは次々とページをめくり、記された内容に目を走らせ始めてしまっている。

 その顔が、段々強張っていく。ページをめくる手の動きが次第に遅くなっていく。

「……ニーナ? どうした?」

 ツヴァイが声をかけるが、ニーナは答えない。手が、小刻みに震えている。

 文章に籠められた想いは、たしかに読める。だが、違う。先に人間から聞いていた内容と、この文章から伝わってくる想いは異なる。

 金が欲しい。有名になりたい。この本で一山当てたい。売れれば良い。売れそうな内容にしたい。幸せに生きる方法とでも謳っておけば、自分で幸せになる力の無い奴は買うだろう。そうだよ、確実に幸せに生きる方法なんて無いんだ。そんな本が作れるわけがないんだ。本当に幸せな奴はこんな本は買わない。けど世の中は、自分を不幸だと思い込んでいる奴ばかりだ。だからきっと、よく考えもせずに買うだろう。それで幸せになれなくて、幸せになりたいと嘆くんだろう。馬鹿だな、そんなんだから幸せになれないんだよ。だから騙されて、こんな本に手を出すんだよ。本当に、この世の中は不幸な奴ばっかりだ。お陰でこっちは、こうして楽な商売ができる。ありがたいったらありゃしない。みんな、もっともっと不幸になれば良い。そうすればこっちは、もっともっと稼げるようになる。不幸になれ! 不幸になれ! 不幸になれ!

「……っ!」

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