第4話 日常、ニチジョウ


 ゲーセンにて。

「そこ! 小足見てから迎撃余裕でした!」

「くそ! 虚言を吐くな!」

 俺は真白と格ゲーをしていた。

「お! うめえな春風! ゲーム好きは伊達じゃないってか。よし! そのまま和希をボコってやれ!」

「か、和希さん、頑張ってくださ~い……!」

 津吉とアイラは後ろでやいのやいのと言っている。

 

 俺は押されて行き、ついにはHPバーがゼロになった。

 キャラが吹っ飛び倒れて、画面にLOSEのでかでかとした文字が躍った。

「やったー! 勝ったー!」

 真白は笑顔で両手を振り上げバンザイ。

「つ、次勝てばいいんですよ……っ!」

 アイラが励ましてくれる。

「おいおい和希ぃ。大丈夫かよ」

 ニヤニヤといやらしい笑みを向けてくる津吉。

 だがこれは、二本先取。格ゲーの基本ルールだ。アイラが言った様に次勝てばいい。

「俺は一戦目遊ぶんだよ」

「へえ~」

「なんだ津吉、その顔は。拳めり込ますぞ」

「きゃ~和希くんこっわ~いっ☆」

 振り抜く拳。

「ぐへっ!? マジで殴るこたあないだろ!?」


「もう二戦目始まってるよ~!」

 真白の声に振り返る。

 即座に筐体のスティックを持ち、ボタンに指を添える。

 待っててくれたのかまだ俺のキャラは攻撃されていない。

「隙あり!」

 その意識の隙を突き、先制攻撃を仕掛ける。

「あ、ズルい!」

 ふはは。敵に情けを掛けたが運の尽きだ。

 俺のキャラの蹴りが真白のキャラに命中し、コンボを決めていく。

 一通りのコンボを決めると、真白のキャラのHPバーは三分の二ほどになった。

「ここから押し切らせてもらう」

「格ゲーで逆転なんて、わけないんだからねっ」

 俺の華麗なるスティック捌きによって、自キャラが真白のキャラに躍りかかる。


 …………。


 まあ、負けた。

 バンッ!

「台パンはマナー違反だよー」

 真白のヴァイオレットの瞳によるジト目。

「うるさいもう一回だ」

「往生際が悪いなあ二戦目も遊ぶ和希さんよお」

 うぜえ顔の津吉が割り込んできた。

「鼻へし折んぞ」

「さっきみたいな一撃は勘弁!」

 すぐに津吉は退いた。

「和希さん」

「なんだアイラ」

「いくら悔しいからって、お店の物を叩くのはめっ、ですよっ」

 むうっと頬を膨らませて右手の人差し指を立て、左手を腰に当てて可愛らしく注意してくる我が妹。

「すまん。もうしない」

「反省してくれたならいいんです」

 にっこり微笑むアイラ。その笑顔と金髪が眩しい。

「俺も春風と対戦してみたいんだが変わってくれるか?」

「好きにしろ」

「バッチこーい!」

 真白も元気に返事したので津吉に席を渡す。


 二人が騒ぎながら対戦を始める。

 さて。

 どうやって聞き出そうか。

 さりげなく聞き出すとはいったが、具体的には決めていない。

 普通に格ゲーをやってしまった。

 というかアイラがいる場所で聞くのはまずい。心配させてしまう。

 俺はなぜこんな状況にしてしまったのか、結局普通に訊けばよかったのではないか。

 話してくれなくても無理に話させる方法ぐらいあるはずだ。あまり荒いことはしたくないが。

 アイラがついてくることを考慮できなかったのが敗因だ。

 いや、俺はまだ負けていない。これから聞き出せばいい。

 まあ、難しく考えすぎても時間を無駄にするだけだ。

 ここは当たって砕けろだな。

 攻めに攻めればいい。


「だーー! 負けたーー!」

「また勝ったー!」

 どうやら津吉もボコボコにされたようだ。頭を抱えて悔しがっている。

「もう一回だ!」

「俺と同じこと言ってんじゃねえもう一回やるのは俺だ」

「わたしはいいけど、アイラちゃんは格ゲーやらなくていいの?」

「私は見てるだけでいいので。それにへたっぴですし」

 アイラが眉尻を下げて少し縮こまる。


 あ。

 閃いた。

 これしかない。


「せっかくだからアイラも久しぶりにやってみたらどうだ?」

「でも、下手過ぎてすぐに負けてしまいますよ? なんだか申し訳ないです」

 別に恐縮するほどのことじゃないんだがな。

「上手くなることを諦めることもないだろう? 試行錯誤してやってみろよ。面白いからさ」

「……そこまで言うなら、やってみましょうか」

 よし。折れてくれた。 

「真白は強すぎるからまずは津吉とやってみたらどうだ?」

「え? 和希さんでは駄目なんですか?」

 期待の眼差し。俺とやりたいってか。

 だが今は無理だ。お兄ちゃんとの楽しいゲーム勝負はまた今度にしてもらう。

「俺は勝負事では手加減しない主義なんでな。津吉だったら手加減してくれるだろ?」

「おうよ! アイラちゃんに色々手ほどきしてやるよ」

「と、本人もこう言っている。いいか?」

「……はい。やってみますっ」

 一瞬気落ちしたような顔をした後、すぐに隠すように明るく言った。

 

「じゃあここ座ってっ!」

 真白がアイラに席を譲る。

 これで真白と二人で話せる状況を作り出せたわけだ。

 アイラと津吉がゲームを始める。

 俺達二人は少し後ろに下がって並んで立つ。

 

「なあ真白」

「ん? なにカズくん」

 元気に振り向く真白。

「マンイーターってなんなんだ?」

 一瞬の硬直。後。

「…………これ以上聞かないって言ってなかったっけ?」

「忘れた」

「…………」

「最初は聞かずに自分で調べるつもりだった。だが自分で調べても、ただの一般人が得る事が出来る情報なんてたかが知れていたんだ。だから関係ありそうなお前に聞く以外に選択肢がなかった」

「なんでそこまで……?」

「俺はすべてを救う者だからだ」

「意味分からないよ」

 真白は呆れたように一息吐き。

「今は楽しく遊ぶ時だよ。こういう話はやめよ」

「またそうやって煙に巻くのか」

「そういうことじゃないよ。アイラちゃん達だって楽しんでるのに、わたし達がこんな雰囲気だったらぶち壊しでしょ」

 アイラはあたふたと四苦八苦しながらスティックをガチャガチャと動かし、ボタンをぎこちなく押している。津吉はそれを微笑ましそうに見ながらアドバイスを言ったりしている。

「二人とも気づいていない。なら問題ない」

「そういう問題じゃないでしょっ」

 少し視線を強くして俺を睨んでくる。

 初めて負の感情を向けられたかもしれない。

 しかしすぐに一転して明るい笑顔へと変わる。

「わたしは何も知らないから、今は遊ぼうっ。ほら、カズくん笑って笑ってっ」

 気分を入れ替えろとばかりに背中をポンッと叩かれた。

「納得いかない」

「それでもだよ」

「話せ。何かしてほしいことがあったらしてやる。マンイーターじゃなくてもイベツ者とかいうもののことでもいい。とにかく何か教えてくれ」

「じゃあ、全部終わったら詳しいことは避けて概要だけなら教えてあげる。それで我慢して。あと、絶対に他言無用ね」

「終わってからじゃ遅い。俺が何も出来ないだろうが。そのせいで被害が多くなったらどうするんだ」

「カズくん一人が増えたって変わらないよ」

 一瞬、寂しそうな目をした。

「変わる。俺に何も出来ない筈がない」

「自信過剰だよ」


 昨夜見た、人だか化け物だか良く分からないアイツが、脳裏を過ぎった。

 圧倒的な化け物。

 だが、絶対に倒せないなんてことは無いはずだ。

 どんな存在にも、弱点はある。


「マンイーターは、人か?」

「? どういう意味?」

「昨夜、マンイーターを見た」

「っ!」

 驚いたように綺麗なヴァイオレットの瞳を見開く真白。

「右腕が化け物だった。右眼がオレンジ色に光ってた。……人を、喰っていた」

「…………」

「もう一度聞く。マンイーターは人間か?」

「人間だよ」

 即答だった。

 それだけは間違いないと、確信している目を向けて来た。

「そうか。それならいい」

 人だというのなら、俺はそいつを、救う。

「それを見た上で、さっきまでのこと言ってたんだね」

「そうだ。俺は化け物みたいな力程度で屈しはしない」

「馬鹿だよカズくん。大馬鹿だよ」

 呆れたような、寂しそうな、悲しそうな、そんな表情。

「それは成せない者だったらだ。俺は成せる」

「それでも駄目だよ。カズくんにはこんなに楽しい日常があるんだから、それを自分から壊すようなことしちゃ駄目だよ」

「俺はそれでも、すべてを救いたいんだ。死にそうな人を、人としての尊厳を傷つけられそうな人を、助けたいんだ」


 理不尽にさらされている人。不条理に人としての尊厳を犯されそうになっている人。

 死にそうな人。殺されそうな人。

 そんな人達を、救済したいんだ。

 だから最近起きている連続怪死事件なんてものを、調べていた。

 警察に任せればいいことなのかもしれない。

 でも俺は、摘まれそうになっている命があるのに、自分が何もしないなんて、嫌だ。


「マンイーターを無力化する方法を教えてくれ」

「カズくんには無理だよ。それだけは言える」

「俺が普通の人間だからか?」

「…………」

「マンイーターは、そのイベツ者とかいうやつなのか?」

 者ってことは人ってことだ。

 聞いたこともない単語で、見たこともない人間を見た。

 関係あると思うのは当然。

「…………」

「沈黙は肯定になるぞ」

「……はぁ、どうしてそんなに鋭いのかなカズくんは」

 溜め息を吐き、少し諦めたような表情。

「これぐらい普通だ」

「でも、それだけわかってるなら勝てないって事も本当はわかってるんじゃないのかな」

「俺が負ける訳ない」

「だから、どこからそんな自信が来るのっ」

 また、怒ったような顔。

「救う者は、強くなければならないからだ」

「カズくんは一般人だし、弱いよ」

「だけど、やらない理由にはならない」

「それで死んじゃったら意味ないよ。今そこで笑ってる二人の顔が泣き顔に変わってもいいの!?」

 アイラと津吉の対戦は、もうすぐ終わりそうだ。

「俺は死なない」

「死んじゃうんだよっ。人って、簡単にっ」

 真白の顔は、俯いていて見えない。

 けれど、明るい顔をしていないことは見なくても明らかだった。


 人は簡単に死ぬ。

 確かにそうかもしれない。

 どれだけ頑張っても、死ぬときは死ぬのかもしれない。

 だけど俺は、死ぬつもりはない。

 すべてを救う者が、死んではならないからだ。

 それでは救えない。

 やらないなんて選択肢はない。ならば、必ず成し遂げて、死なずに帰ればいい。

 どれだけ難しい事だとしても、この俺に出来ない筈がない。


「あ……負けちゃいました」

「でもいい感じだったよアイラちゃん。この調子で続けて行けば上手くなってくよ」

 少し残念そうなアイラに津吉が言葉を掛ける。

 二人の対戦は終わったようだ。

「うんうんっ。アイラちゃんならすぐ上手くなるよっ。楽しそうだったし、やっぱりゲームが上手くなるには楽しむのが一番効果的だよねっ」

 一転して笑顔で楽しそうに振る舞う真白。

 対戦を見ていたのかは知らないが、適当なことを言っている。

 俺はあんまり見ていなかったが。

 

 これ以上はやめておくか。

 アイラの対戦も終わったことだし。

 アイラに聞かれるのは避けたいし、真白も、今はこれ以上訊かない方がよさそうだ。

 拒絶されて余計に聞き出しづらくなってはいけない。

 

「次は、どうする? このまま格ゲーか? それともレースゲーでもやるか?」

 努めて普通に、俺はそう言った。

 



「それじゃあまた月曜なー」

「カズくん、アイラちゃん、じゃあねー」

「おう」

「今度また、会えるといいですね」


 分かれ道で、真白と津吉と別れ、アイラと共に帰路に就く。

 津吉が月曜と言ったのは、うちの学校は土曜が丸一日休みだからだ。私立で緩い校風な所が有名だったり有名じゃなかったりする。


 夕日が空に在り、夜までもう長くないことが窺い知れる。

 俺とアイラ、二人の足音が静かに耳に届き、友人との遊びの終わりを感じさせる。


「今日は、楽しかったか?」

「はい。和希さんを加えて複数人で遊ぶのは初めてでしたし、賑やかで、楽しかったですよ」

 弾む声音でアイラは笑顔を向けて来た。

「そうか」

「はい」


 アイラのこの笑顔は、俺が危険に飛び込む度に歪んでしまうかもしれない。

 いや、実際最近その笑顔を崩してしまっていた。

 俺が、異常に関わることを止めない限り、アイラの笑顔はずっと続いてはくれないのだろう。

 真白にも言われた通り、手を引いてアイラたちと共に平穏を過ごすのが賢い選択なのだろう。

 だけど、俺は。


 それでも、救いたいんだ。

 バレなければいい。

 アイラに悟られなければいい話だ。

 知らなければ、それはアイラにとっては存在しない出来事なのだから。

 俺が気をつけてやればいいだけだ。

 アイラには、悪いけど。

 俺は、やめないよ。

 絶対に。

 我が侭だけど。

 アイラには、その上で、笑っていてほしい。

 それが俺の願いだ。

 本当に、我が侭だけど。

 矛盾してて、どうしようもない。

 

 顔を上げ、目の前の光景を適当に、投げやりのような感情で眺める。

 目に映るのは、橙色に染まる天体。ゆっくりと、落ちていく陽。

 夕日、綺麗だ。

 綺麗だな。

 明日の活力になればいい。

 いや、今日からか。

 今日の夜も、行動しないと。

 見つけ出すんだ、マンイーターを。

 そして、救うんだ。

 俺はやる。

 俺なら、やれる。

 すべてを、救う者だから。

 

 ――そういえば。


 俺はなんで、すべてを救いたいんだっけ。


 誰も死なせたくない。誰も不幸になんてなってほしくない。すべてを救いたい。

 そんな思いが、昔からあった。

 心に、在った。

 だから、それを目指し続けていた。

 唯々ただただ進み続けていた。

 だけど、原点は?

 今まで、気にしたことも無かった。

 思いに突き動かされるだけで、考えようともしていなかった。

 なんでだ?


 ………………………。

 ……………………………っ。


 まあ、いいや。

 考えても仕方ないだろう。

 わからないし、俺が全てを救いたいことに変わりはない。

 だったら、そんなものいらない。

 理由なんていらない。

 人を助けるのに、理由などいらない。

 無駄に理屈をつけたがる奴は、この俺がぶん殴ってやる。

 やりたいからやる。助けたいから助ける。

 それだけでいい。

 

 夕日は、徐々に沈んでいく。

 家までの距離も、近くなっていく。

 気温も涼しさを持たせて来た。

 夕方の静かな道は、寂寥感せきりょうかんを漂わせる。

 アイラと俺の、足音。歩く度に聞こえる微かな衣擦れ。

 会話はなくとも、気まずくはない長年連れ添った者同士の空気。


 だけど、どうしてだろう。

 妹のアイラが、とても可愛く感じた。

 そりゃ俺の妹だ、可愛いに決まってる。

 でもそういうのじゃない。

 なんていうか。


 有り体に言えば、アイラの衣擦れの音に欲情した。


 妹なのに。

 異性に対しての感情を抱いてしまった。

 でも、実妹だろうとずっと一緒にいることは出来るよな。

 たとえ結婚できなくとも。

 性行為は、どうだろう。

 中に出さなければ大丈夫か。


 俺は何を考えているのだろう。

 馬鹿か。

 アホか。

 疲れてるだけだな。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 でなければ俺は変態になってしまう。


 …………アイラの髪、綺麗だな。

 黄金色の長髪が、夕暮れの涼しい風に踊る。

 頬に垂れる髪が艶っぽい。

 藍の瞳は、夕日を反射して、まるで秘宝。

 小柄で、線が細くか弱い体は、守ってあげたくなる。

 肌の白さは、思わず今すぐ触りたくなるほど。柔らかそう。

 両手で学生鞄を体の前で持つ姿が女の子らしくて、いい。


「和希さん?」

「は」

 アイラに話し掛けられて正気を取り戻す。

 俺疲れすぎだろ。

 どんだけだよ。

 ゲーセンってそんな疲れすぎるほどの場所じゃないだろ。

 アイラは不思議そうな表情をしている。 

「どうして私をずっと見つめてるんですか?」

 小首を傾げる姿が妙に可愛い。

「なんでもねえよ。ただアイラが可愛いなって思ってただけだ」

「ふえっ!?」

 ふえって。

 夕日のせいか俺の言葉のせいか顔を赤くするアイラ。

 まあ後者だろうけれど。

 兄貴の言葉なんかに照れてんじゃねえよ。

 それっきり黙ってしまうアイラ。

 顔は朱に染まったままだ。

 アイラのその表情を堪能しつつ歩いて行く。  


 道の端、電信柱についている電灯が、点き出してきた。

 静寂の夜は、もうすぐだ。

 

 


 

 夜。24時頃。

 アイラは既に寝静まっている。

 玄関まで息を潜めて移動し、鍵の音をなるべく立てないようにゆっくりと外す。

 ドアの開閉音もなるべく立てないように済ませ、家を出た。

 月の光が、夜を照らしている。

 聞こえてくる音は、虫の音ぐらいだ。

 門を出て、暗闇がそこかしこに顕在している深夜の道を、歩き出す。


 昨夜とは大幅に時間が違う。

 確か昨夜は、20時頃だったはず。

 マンイーターとの遭遇率は低いだろう。

 でも、だからといってやめる訳にはいかない。

 必ずあの時間に行動しているとは限らないのだから。

 少しでも遭遇できる可能性がある以上、俺は探したい。行動しなければうずうずして、もどかしくて仕方がない。

 それに、たとえ得体の知れない力相手でも、諦めることはしたくない。

 昨夜、おめおめと隠れて逃げ帰ってきた俺のいうことじゃないかもしれないが。

 だが今日は前回とは違う点がある。


 懐に手を当てた。

 ここには、いつも鍛錬に使用している木の短刀がある。

 これが在り、俺の剣技を以ってすれば、人間を無力化することは可能な筈。

 いや、可能なんだ。

 頭を殴られても平然とできるような、化け物でも無い限り。

 マンイーターは、右腕以外は人間だった。

 だからいける。絶対に。

 無力化して、事情を聞いて、救うんだ。

 警察か何かには、突き出すことになるかもしれないが。

 それでも罪を重ねさせるわけにはいかない。


 人を、殺してはいけないのだから。

 小さな子供でも知っている、当たり前なことだ。

 殺人は、踏み越えてはならない一線。

 一度越えたら、もう二度と戻れない。

 絶対の禁忌。

 だが、だからといって。してしまった者を外道と断定して救わない理由にもならない。

 やってはならないことをやってしまったからこそ、救いが必要ともいえる。

 赦されることではないけれど、それでも生きて、何かをしなければならないんだ。

 償いをしながら、苦しんででも生きなければならないんだ。

 人殺しだから死ねとか、どん底の不幸者に成れとか、それも、俺はなにか間違っている気がしてならない。

 勿論、どうやっても、赦されることではないけれど。

 それでも、俺は救う。

 とにかく、救う。

 なにがあっても、救う。

 

 夜の街に目を走らせながら、俺は歩き続けた。

 歩き回り続けた。


 ……。

 …………。

 ……………………。

   

 どれくらい歩いただろう。

 路地裏を見つけては、覗いた。

 覗きまくった。

 路地裏という路地裏を。

 路地裏マスターだ。

 何も見つけられなかったが。

 なにがマスターだ。


 駅前まで足を運びもした。

 案外、普段人が多い通りの近くにある小道とか、猫の額ほどの静かな場所にいるかもしれないと思ったからだ。

 結局、見つからなかったけれど。

 

 疲れた。

 俺は、疲労している。

 少し苛つく。

 後日、深夜徘徊している不審者がいるという情報が出るんじゃないかと思うほど、歩き回った。

 それはマンイーターも同じか。


 そういえば、マンイーターは夜に行動するということが分かっているのに、どうして警察は巡回とかしていないのだろうか。

 今更そんな疑問が頭に浮かんだ。

 これだけ歩き回って、巡回していたり、張り込みをしている警官を一切見かけないというのも可笑おかしい気がしてきた。


 ただの偶然かもしれない。

 偶然、俺が歩いた場所にはいなかっただけかもしれない。

 巡回しているのなら、相手も動いている。

 入れ違いのように俺が最初の方に歩いた方面に行っている可能性だってある。

 でも、どうだろう。

 案外、警察すらどうにかできる奴なんじゃないだろうかと思えてしまう。

 たった一人が、警察全てに影響を及ぼすなんて、出来る訳ないだろうけれど。

 警察だって、馬鹿じゃないんだ。

 なにか、理由があるはず。

 もしくは、俺の気のせいか。

 気のせいの確率が、一番高いだろうな。

 

 見つからない。

 疲れた。

 苛々する。

 見つからなすぎて、苛々する。

 今日は、もうマンイーターは出ないんじゃないか。

 昨夜とは時間が違うんだ。当たり前かもしれない。

 既に事を終えて帰ったか、今日は出ていないか、どちらかだろう。

 ずいぶん歩いた。それに体力も消耗して、もし戦闘になっても勝てる道筋がぐっと狭まっている。

 今日は帰った方が良いだろう。

 睡眠時間も欲しい。

 万全な体力で、再度挑むべきだ。

 帰ろう。

 

 そう判断し、俺は帰途に就いた。

 

 …………。

 ……………………。


 何事もなく、家に着いた。

 帰り道に、もしかしたら遭遇するかもしれないとも思ったが、杞憂に終わった。

 今日はもう寝よう。

 家に入り、鍵を掛ける。

 歩き疲れて少し汗ばんでいる。

 着替えを持って風呂場に入り、シャワーをざっと浴びた。

 寝巻に着替えて、自室へと続く階段を上る。

 二階の自室に入ると、ベッドに身を投げ出した。

 

 もう、今日は何も考えずに寝よう。

 疲れた。眠い。

 今何時だ。

 確認するの忘れた。

 結構な時間だろうな。

 まあ、とにかく。

 寝よう。

 

 すぐに眠気は意識を支配して来た。

 まどろみへと落ちていく。

 心地よい眠気に身をやつしながら。

 俺は、眠った。

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