第117話 里帰り(その22)

「どわぁっ!」


 驚いたご主人様が思わず飛び退いた。


「何でお前いるんだっ!?」

「いや、怒依さんがそろそろ風呂空いた頃だって言ったから」


 A子は全裸を隠しもせず、平然とした顔でそのまま湯船に浸かった。


「お、おい」

「このままじゃ寒いんです」

「あ、ま、まぁ……」


 ご主人様は背にしたまま頷いた。


「ま、まぁ、湯船に入ってくれた方が見えないし」

「もしかしてぇ、見たかったんですかぁ?」


 そう言うとA子は立ち上がった。


「湯に浸かってろ!」

「はーい」


 ちゃぽん、と音を立てて再びA子は湯船に浸かった。

 その音を背中越しに聞いて、ご主人様はほっと胸をなで下ろす。

 しかし依然、A子に背を向けたままであった。


(くぅ、このままでは出るに出られん)

「何でこっち向かないんですか」


 A子が不思議そうに訊く。


「……おめー判ってて訊いてるだろ」

「はい」

「あー、こういう女だって事は判っててもイラッとする」

「別にこっちは見られても気にしませんよ。巨乳好きの男相手なら、劣情なんて抱かないだろうし」

「このヤロ」


 ご主人様は呆れながら振り返った。確かに湯に浸かっているせいでA子の裸体は上手く見えなくなっていた。

 A子はニヤニヤ笑いながらご主人様を見ていた。


「全く世話の焼ける人だ」

「お前が言うなお前が」


 流石にご主人様も苦笑いした。


「俺、出ようか」

「湯冷めは身体に良くありません」


「んじゃ、お言葉に甘えて」


 そう言いつつ、ご主人様はA子と目を合わせまいと横を向いた。先ほどまで頭に巡っていた想いがそうさせた。


「しかし綺麗な場所ですねここ」


 A子は変わりかけの夜空を見上げながら言った。


「もうしばらくすれば星空が拡がると思う」

「同じ都内とは思えませんねそれ」


 しばらく二人は夜空を見上げていた。

 眼前に拡がる藍色にやがてぽつぽつと光が灯り始めると、A子は思わず感嘆の声を上げた。


「この辺りにはないが、日本アルプスなどでは森林限界を超えた所まで登るともっと綺麗に見えるそうだ」

「山登りはもうお腹いっぱいですが、一度くらいは見てみたいですねそれ」

「ご主人様は子供の頃からこんな所にお住まいだったんですか?」

「生まれも育ちもここだ。大学で初めて23区内に住んだ」

「そうなんですか」

「お前さんは?」

「私?」


 A子はきょとんとする。


「言いたくなければ良いが、まぁどこに住んでいたのかくらいは訊きたいな」

「生まれも育ちも23区内です」

「江戸っ子?」

「残念ながら」

「意外とサッパリしている所があるからそうかな、とか思ったが」

「世田谷の田園調布です」

「珍しい、そこまで教えるか。ていうかお嬢様の定番だな。大学は俺と同じだって言ってたが高校までは女子校だとか」

「いえ」

「共学?」

「そうじゃなくて」

「?」

「覚えていないんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る