第21話ユタ神様
ユタ神様に黄泉の国の先祖との会話だけではなく、冠婚葬祭、就職な現実的なことでの相談も多く寄せられた。
もちろん半世紀も前の話である。
京阪神に働きに出かけた息子との音信が途絶えたと言う。子供から仕送りが途絶えたことを意味した。遠く海を渡り届けられる子供からの仕送りが唯一の現金収入である家族も多く、息子から仕送りが途絶えることは島に残る両親にとっては死活問題である。
このような時にも息子の身を案じた両親はユタ神に相談を持ち掛けた。
磯で取れるタコの足一切れ、魚一匹で相談が出来た。当時、村には電気もなく電話も無かった。ラジオがあった記憶もない。他の村との行き来きにも交通手段はなく歩くことであった。ユタ神は、その情報交換を担っていた。このような相談事もユタ神の間では共有される貴重な情報だった。通常は子育ても終わった高齢の女性がユタ神になり、相談相手としても適任であった。
同じ相談内容が他の村で村のユタ神に寄せられていることも多かった。それを組み合わせることで島の青年たちが働きに出かけた京阪神で起きていることを総合的に思い描くことができたのである。
「よくない友達が出来たのかも知れない」とユタ神は思うことを告げるのである。実は他の村で同じようなことが起きていて、京阪神に働きに行った島出身者の間で良くないことが起きていることを噂も耳にしていた。
「非行の道にでも迷い込んだのですか」
母親にとって息子が無事であることに次いで心配事は警察の世話になることであった。
アメリカ統治下の沖縄から帰って来た者の中には薬で身を滅ぼす人も多かった。
「あの子は、そんな道には入らない」
子ども頃から青年のことを知っているユタ神は告げることができた。
ユタが耳にした不穏な話は奇妙な搾取システムのことである。働きに出掛けた者の間で、弱い者から金を巻き上げる親分、子分の関係が出来ているという噂である。
島を出た者は仲間である。互いにかばい合わねばならないと信じている。そのように教え込まれている。島の青年が近い鹿児島ではなく京阪神に働きに行くのは鹿児島に仕事が乏しいせいばかりではなかった。江戸時代の薩摩藩から支配を受けている頃から島の人々は差別を受けていた。それは明治に変わっても続き、今でも根強く残っている。戦前の軍国主義の時代には、あまりの差別の激しさに島の青年は鹿児島の連隊には入隊をせず、宮崎の都城の連隊に入隊をしたと聞く。戦後も続き、青年は新天地を求めて遠い京阪神を選ぶものである。だから、当然差別されたり、虐げられる者の苦痛は骨身に染みて分かっているはずである。
だが現実は残酷である。
差別を受ける弱いグループの中で、差別をされる側を産むのである。強い者が弱い者を差別をするようになるのである、弱い者は強い者からむしり取られる。あるいは辛い仕事を強いられる。ひどい場合は仲間内の人身御供として雇い主に差し出されるのである。現実にはあり得る話である。
それは瀬戸際にあるグループだけに峻烈である。行き過ぎを抑制する力の青年の間の話であり、命を縮めることさえもある。
「貧乏は怖い」とユタ神ははき捨てた。
母親も、この言葉を理解したようであった。
「島に戻せるなら、戻るように伝えた方がよい」とユタ神は告げた。
母親は息子だけでなく友人にも父の危篤の電報を打ったのである。帰省の旅費は母親が工面した。わずかな仕送りの中から蓄えていたのである。
時代は変わって、テレビ、電話もインタネットも故郷の島にはある。ただこの物語の主人公である母親は今でも息子を救ったユタ神の霊感を信じている。
周囲の者は彼女をユタ神として崇めようとするが、ユタ神様などとはとんでもないと彼女は否定をする。実はユタ神の忠告で島に呼び寄せられた青年は自分の従兄の話である。従兄はそれ以来、島から一歩も出ることなく、老いを迎えようとしている。
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