卑屈な私を求める人

 静かになった部屋に、再び私と彼――桂木静人の二人きりになった。桂木さんのお母さんに彼が、私を婚約者にすると言ったからだ。両親は手放しで喜んだが、桂木さんの親が難色を示している。両親はそこまでアホじゃないから喜びは隠していた。考える時間が欲しい、と桂木さんの両親が言ったから、親睦を深める名目で二人きりにされた。一度目は、両親同士で話し合いをするためであったようで、それが「この縁談は……」という言葉に繋がるようだ。桂木さんは携帯を触っているが、私と目が合うとふわりと笑った。どきり。心臓が高鳴った。そうだよ。この人、顔はいいんだよ。これは誰だってなること。私が桂木さんを気にしているわけじゃない。言い聞かせて、私は外に目を移す。雲がどんよりとして、雨がざーざーと降っている。見合い日和ではないのは一目瞭然の天気だ。



「講義は何時に終わるんだ?」


「どうして言わなきゃいけないんですか?」


「気になったから」


「……今、四年なんです。だから、まちまちなんですよね、帰宅時間」



 嘘は言っていない。帰る時間が定めっていないのも本当だし、四年なのも本当。就活もしているから遅い日もある。両親は姉一筋だから、あまり帰宅時間はうるさくいてこない。なんなら、無断外泊だって言ってこないかもしれない。

 桂木さんは思案顔をして、私に視線をよこしてにこりと笑った。



「遅くなるなら連絡してよ。迎えに行くから」


「付き合ってません」


「俺が望んでる。大丈夫。きっと婚約者になる」


「『姉と』が抜けています」



 どうせ、そんなこと言っても姉に傾くんだ。わかってる。わかってるから、優しくしないで。私に向けられていると、勘違いしそうになる。



「俺は〝優海〟と婚約がしたい。お姉さんじゃない」


「どうせ、姉と婚約するんですから同じことです」


「……卑屈だなあ」


「事実です」



 何回もそうしてきた。私に近づいてくる男はみんなそう。だから、この人もそうなんだと思わないと、私の心が持たないんだ。裏切られたとき、私がどうなるか、想像がつかないから。

 桂木さんは何を考えて私との婚約を決めたのだろう。釣書を見たなら、絶対姉になびくはずだ。妥協か、それとも何か考えがあるのか。なんにしても、私が桂木さんのことを好きになることもないし、考えるだけ無駄か。



「俺が君がいいって言っても?」


「ええ。そう言ってきた方も、姉目当てだったので、信用しないことにしたんです」


 「よけいなことを」桂木さんからそんな言葉が聞こえてきた。期待させるだけさせて、必要がなくなったからぽいっと捨てる。男はそういう生き物だと考え始めたら、別に結婚しなくてもいいと思えてきた。ただ、恋愛婚に憧れているのは私がこんな女だから、受け入れてくれる人がいるんじゃないかって思いたいから。いなくても、思うだけは自由だ。日本には、思想の自由があるんだから。そうして、沈黙を破ったのは、またもやふすまを開ける音だ。桂木さんのお母さんを先頭に両家の両親が入ってくる。それぞれの席について、桂木さん、次いで私を見た。



「静人が望むなら、優海さんとの婚約を認めしょう」


「ありがとう、母さん」



 こうして、私は桂木さんの婚約者になりました。拒否権? そんなもの私にそんなものなかったのだ。






 講義の合間の昼休みの時間、この日あったことを友人に話したところ、「よかったな、玉の輿だそ」と言われたので、よくねえよ、と口悪く返した。ほんと、私にとっては良くないことだ。友人――近藤孝之は至極真面目に言ってのけたから、本気で言っているのはわかる。

 冗談ではない。誰があんな人と一緒になるものか。

 近藤は知らないから言えるんだ。男なんて姉のために人いもうとを利用する生き物なのだ。近藤はそんなことしないとわかっているが、信用するまで時間はかかった。私のこれはもはや呪縛に近い。気になった人はみんな姉目当て。もう、あんな思いをするのは嫌なのだ。

 近藤は学食のカレーを咀嚼する。私も弁当のおにぎりに手を付ける。



「しかし、君が休んだ時はびっくりしたよ」


「私だって休み気は無かったんだよ。でも、当日になって言い出してさ。私にも私の事情があるのにね」


「レポート。来週末までだぞ」


「げ。まじかあ。あーもう、なんかいろいろめんどくさい」



 そうはいってもレポートは消えてくれない。休んだ時のプリントとノートを貸してもらいながら思う。早く、桂木さんが姉のものになってくれないかな、と。しかし、そんな願いもむなしく奴は来ていた。桂木静人、その人はなぜか大学の校門前にいたのだ。現在の時間は十八時すぎ。この人はいつからここにいた? こんな目立つ人、いつからいたんだよホント! 隣にいる近藤も驚いて、お前待ちか? と顔が訊いている。そんなの、知らない。もしかしたら、知人がいて会う約束をしているのかもしれないし。淡い期待は泡沫に消える。



「優海」



 私の名前絵を呼ぶ声のなんと甘いことか。本当に迎えにきたよ、この人。この時間に私が来なかったらどうしていたんだろう。

 私は近藤と一緒に桂木さんに近づいた。


「桂木さん!」


「優海。良かった、会えて」


「なんでここにいるんですか」


「迎えに来たんだ」


「断ったはずですよ!」



 時間が分からないと断ったはずなのだ。なのになんで、この人は……。もしかして本気だった? いやいや。認めてはだめだ。裏があるかもしれない。



「会えなかったらどうするつもりだったんですか? 例えば……そう、私がすでに帰っていた場合とか」



 桂木さんは少し考えて、答えた。



「八時くらいまでは待つつもりだったよ」


「その前に不審者で捕まってると思います。良かったですね。捕まる前に会えて」


「本当に」



 桂木さんに怒ったような感じは見受けられない。だからと言って、本当のことを言っているようにも思えない。でも、姉ではなく、私に会いに来てくれたのは本当らしい。まあ、姉に会ってしまえば、姉と婚約、ということになるのだろうけど。

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