少年機工士と壊れたロボ

黒猫時計

第1話 機工士の少年 ノア

「うん、今日もシルウィードは綺麗に見える。一日中晴れだね」


 街の高台から遠くを見つめ、嬉しそうに頷く一人の少年。その視線の先には風都シルウィードが浮かぶ。

 瞳の色は鮮やかなスカイブルーで、年上の女性に好かれそうな可愛らしい顔をしている。

 そよ風になびく髪は金色で適度に短い。頭にはゴーグルを身に付けており、その服装は青いオーバーオール。その上にはいくつものポケットが付いた黒いジャケットを羽織っている。茶色い革手袋を装着し、ズボンの裾は脛の辺りで切られていて黒いブーツを履いている。

 そしてオーバーオールのサスペンダーと繋がるように、背中に向けて腰まで垂れる皮製の鞄には、様々な道具が差し込まれ納められていた。


 彼の名はノア。ノア=ランドグリフ。

 ここ、機械都市マキナヴァートルに住む、機工士見習いの十歳の少年だ。マキナヴァートルは、昔はもともと一つの都市から成っていたものが、二つに分かれ派生した都市で、それ以前は『魔導機械都市クローネ』と呼ばれていた。

 その名の通り、魔法と機工を組み合わせた技術で、対ドラゴン戦を想定して作り出された兵器などを完備していた要塞都市だったが、その場所は今となっては広大な砂地と荒野になっている。


 黒竜ファフニールの襲来により、たった一日で滅んだ世界最大の都市クローネの災厄から、難を逃れた機工士ギルドの者たちが、再興を目指して作り上げたのがこのマキナヴァートルだ。

 ここには機工士達しか住んではいないが、同じく災厄から難を逃れた魔導士や魔女達は、今は上空に浮かんでいる大陸『魔法都市グリムガンド』に移住している。

 しかしまあなんとも皮肉なことに、かつて自分達の街を滅ぼした黒竜を封印した地もまた、グリムガンドなのだ。



 しばらくの間空を眺めていたノアだったが、ふと何かを思い出したようにハッとすると踵を返し、街の方へと歩き出す。

 機械都市と言うだけあり、街全体がほぼ人工物で溢れかえっている状態だ。しかしそんな中にも自然はある。メインストリートに入ると、植え込みの花壇が一定間隔を空けて設置されており、色とりどりの花々が競い合うように咲き誇る。少し外れた所には、並木通りや公園なんかもあり、人々の憩いの場ともなっているのだ。


 しかし普通の街とはどこか違った雰囲気、そして光景が目に映る。街のそこかしこには、人より少し小さい小型のロボットが多数歩いており、各々違ったデザインでそれらには個性がある。

 行動も様々で、道の清掃をする個体、人々と談笑する個体、警備に当たっている個体など、見ていて目にも楽しい。


 ノアはそんな中、とある一つの店へと入った。外の立て看板には『時計屋ルード』と書かれている。

 店内は狭く、壁一面には壁掛けの時計が所狭しと飾られ、ガラスケース内には様々な形の時計が並べられていた。

 彼は奥のカウンターへ歩いていくと、誰もいないカウンターから、その奥にいるであろう店主らしき人物に声をかける。


「ルードさーん! 時計を受け取りに来ました!」


 元気な声でノアがそう言うと、店主ルードはカウンターへと出てきた。三十代後半くらいだろうか。ノアと同じくゴーグルのような物を着けているが、そのレンズは長く、顕微鏡のようになっていた。

 そのゴーグルを上に上げ、口髭とあご髭を生やした坊主頭の男は、カウンターから自分を見上げる少年へと声をかける。


「おう、ノアじゃないか。いつにも増して元気だな!」

「うん。だって、時計直ったんでしょ?」

「ああ、バッチリだ。しっかし、相変わらずお前の親父さんはすげぇ人だな」


 そう言われたノアは照れ笑いをしている。自分の父親を褒められたことが、よほど嬉しいのだろう。

 その様子を見て微笑んだルードは「ちょっと待ってな」と言うと、カウンターに備え付けられたキャビネットの引き出しから宝石箱を取り出す。そしてその箱から小さな布袋を手に取ると、大事そうに収められた懐中時計を取り出し、それをノアに手渡した。

 ノアは形見であるその時計を受け取ると、ちゃんと動いているかを確かめる。


「どうだ?」


 真剣な眼差しで時計のムーブメントを視認するノア。それと同時に音も確認する。

 ルードが少し緊張の面持ちで返事を待っていると、やがてノアはルードに視線を戻し満面の笑みを浮かべて頷いた。


「うん! 直ってる。ありがとう、ルードさん!」

「お、おうよ。これでも街一番の時計屋だからな!」


 内心ホッとした様子のルードに、ノアは「さすがだね!」と一言褒め称える。するとルードは調子に乗って馬鹿笑いを始めた。店の外まで聞こえるような大声に、ノアが顔をしかめていると、カウンターの奥から女性の怒鳴り声がする。


『あんた、馬鹿みたいに笑ってんじゃないよ!』


 それを聞いたルードは口を開けたまま固まった。今の声はルードの奥さんで、ルードより三つ年上の姉さん女房。ルードは随分と尻に敷かれているようで、既に近所にもそれは知れ渡っているようだ。夫婦揃っての機工士で、主に時計の製作や修理を請け負っている。


 ノアは思い出したようにズボンのポケットから、猫の形をした財布を取り出すと、ルードに修理代を訊ねた。

 するとルードは小声で「顔馴染みだ、少し負けてやるよ」とノアにレシートを差し出す。

 修理代を顔馴染みということで少し負けてもらったノアは、小声で「ありがとう」と礼を言うと修理費を払い、ルードに手を振り時計屋を後にした。



 時刻はちょうど昼時と言うこともあり、メインストリートは昼食を食べに来る人々で溢れかえっている。行き交う人の波を潜り、大通りから一本入った脇道を抜けると、そこは三番街。あまり食事所やファーストフード店がないため、大通りよりは人が少ないが。メインストリートへ出ようとする人々で少し混雑する時もある。

 するとノアの目の前を急に子猫が横切った。


「うわっ!」


 驚いたノアは仰け反り、横切った猫へと視線を移す。すると猫も気付いたのか、ノアの方へと振り返った。ここ三番街は、別名『猫の街』

 その名の通りに、猫たちが沢山住んでいる。街ぐるみで猫の世話をすることになっていて、それ専用のロボットまでいるくらいだ。


 目が合うノアと猫。すると猫はノアの方へと駆け寄り、そして彼に飛びついた。


「あはは! 久しぶりだね、ハル!」


 どうやらノアの知り合いのようだ。顔を舐める猫の頭を、彼は優しく撫でている。

 体長は四十センチ程で毛色は全体的に黒く、まるで靴下でも履いているかのように手足の部分だけが白い猫。賢そうな顔をしているが、もの凄く好奇心旺盛そうな瞳をしたその猫に、ノアは笑顔で言った。


「ハル、お昼はもう食べた?」

「んみゃ」


 ハルはまるで返事をするかのような鳴き声を上げると、ノアは頷いてそれに答えた。


「よし! じゃあ、これから家においでよ! きっと母さんが何か作ってくれるよ。一緒に食べよう」

「みゃ」


 ノアの言葉に返事をしたハルは、彼の肩に飛び乗ると、尻尾を首に巻きつけて定位置につく。猫を肩に乗せたノアは、昼食をとるべく自分の家へと向かって歩き出した。


 三番街をしばらく歩くと、やがて坂道に差し掛かる。けっこうな急斜面で、坂を上がると台地になっており、そこから更に上へと続く階段が伸びている。その階段を上った先にある高台にノアの家があるのだが、基本的にここが街へ来るにも帰るにも一番の近道なため、多少きつくても利用するほかない。


 少し息をきらせながらも、ようやくノアは坂道を上り、そして階段を上がりきった。高台はまるでテラスのように張り出していて、その中央には一本の木が植えられており、風に吹かれてサラサラと音をたてる。

 高台の裏手には鬱蒼と茂った森。その少し手前に一軒の家が立っていた。至ってシンプルな形の家だが、その材質は機械都市という事もあってか金属で出来ている。煙突らしき部分からはもくもくと煙が上がり、この無機質な外観の家から少しの生活感を感じさせていた。


 ノアの肩で大人しく座っていたハルだったが、彼の家が目の前に来ると自ら飛び降り、そして玄関へと走っていく。


「あ、待ってよ、ハル」


 ノアはそんなハルの後を追い、同じく玄関へと駆け出す。そして扉の前で行儀よく座るハルのために、ノアは玄関のドアを開けた。ハルは開かれたドアから中へ入ると、彼もそれに続く。


 家の中は外観からは想像がつかないほど、温かみのある空間だった。玄関から伸びる廊下、そしてリビングへの扉、階段、全てが木製だ。

 玄関でブーツからスリッパへと履き替え、扉を開けてリビングへ移動したノアは、声を上げる。


「ただいま! 母さん」


 するとオープンキッチンで昼食の準備をしていたノアの母親、ハンナはリビングへ視線を移すと、嬉しそうな笑顔をしている息子に声をかける。


「おかえり、ノア! その様子だと、時計は直ったようね」

「うん、バッチリだよ! さすがルードさんだね」

「街一番の時計屋さんだからね」

「うん。でも、やっぱり父さんは凄いって言ってたよ!」

「……そうね。あの人もきっと喜んでるわ」


 そう言うとハンナは、壁際に設置された木製のサイドボードに視線を移した。そこには1人の男性の写真がトロフィーや数々の勲章、そして賞状と共に飾られている。

 男性の名はロン=ランドグリフ。そう、ノアの父親だ。

 ノアは父親の写真立てまで歩いていくと「ただいま」と言って蝋燭に火を灯す。出て行くときには消していき、帰ってくると再び灯すのはこの家の習慣だ。

 すると彼の後ろを付いて歩く、猫に気付いたハンナは声をかけた。


「あら、ハルじゃない。久しぶりね」

「そうなんだ。たまたま会って、お昼一緒に食べようと思って連れて来たんだけど……」

「ふふっ、大丈夫よ。キャットフードなら買ってあるから」


 少し申し訳なさそうにする息子にハンナはそう言うと、ノアは「やった!」と嬉しそうにはしゃいでいる。

 ノアが手を洗いにいくと、ハンナはテーブルにまず自分たちの食事を運ぶ。今日の昼食はオムライスのようだ。彼女のオムライスの卵は半熟で、楕円の形に整えられたライスの上に、オムレツが乗せられているタイプ。


 続いてハンナは、猫の顔の形に模られたステンレスの器に、ハルのためのキャットフードを入れる。袋から注がれる固形のドライフードは、器に入ると同時にカラカラと音をたてた。その音に気付いたハルは、ノアが座るテーブルの椅子の脚付近で、お行儀よくお座りして待っている。

 やがてノアが手洗いから戻ってくると、ハンナはハルのご飯を持ってテーブルへと歩いていく。そして二人は着席すると、ノアは母から器を受け取り、それをハルの目の前に下ろして言った。


「ハル、どうぞ召し上がれ」


 するとハルは、よほどお腹が空いていたのか、勢いよくフードを食べ始めた。部屋の中にカリカリといった小気味好い音が響く。

 それを見ていた二人も「いただきます」と言って、それぞれ卵を割り開いた。ナイフで真ん中から裂かれたオムレツは左右に割れ、半熟に火を通された卵がライスを覆う。

 小鉢に入れられたデミグラスソースをかけると、湯気に乗ってオムライスのいい香りがノアの鼻腔をくすぐる。

 スプーンで卵、そしてライスをすくって口に運び、ノアは母が作る最高のオムライスの味を心から味わった。


「やっぱり母さんの作るオムライスは美味しいね!」

「そう? それよりもノア、今日も山へ行くの?」

「うん。でもなんで?」

「ううん。あんまり奥までは行かないようにね」

「大丈夫だよ。ただ山菜を採りに行くだけだから。おいしい食材採って来るからね!」

「それならいいんだけど……」


 そう言いながらハンナは心配そうな顔で息子を見つめていた。山には立ち入りを禁止されている区域がある。好奇心旺盛なノアがそこに入りはしないかと、母としてとても心もとなく思っているのだ。


 やがて食事を終えた二人。ハンナは食器を片付け、ノアは部屋へと戻り山へ入るための装備を身に付ける。

 ゴーグルにはライトが付き、そして脚には黒い金属で出来た機械式のレッグガードを装着した。分解式の小型回転のこぎりを後ろの鞄に新たに差し、更にはナイフと機工関連の道具一式を腰のベルトに下げ、準備を整える。


 すると、部屋まで付いてきていたハルに、ノアは一言声をかけた。


「ハル、ごめんね。今日は遊んであげられないや」


 その言葉を聞いたハルは悲しげな鳴き声と共に、ノアの部屋をとぼとぼと出て行った。

 彼はそれを残念そうな顔で見送ると、母に見つからない内にと、こっそり玄関へ向かう。山菜を採りに行くには大掛かり過ぎる装備に疑問を持たれたくはないからだ。

 スリッパをブーツに履き替えると、ノアはリビングにいる母に「ごめんね」と小さく呟き静かに家を後にした。


 外に出ると、テラス中央の木の根元にハルが座り、ノアのことを見つめている。

 彼はそんなハルの元へ歩み寄ると、しゃがんでハルの頭を撫でながら言った。


「また遊ぼう!」

「にゃっ!」


 きらきらした瞳でハルは返事をすると、ノアに背を向けて街へ向かって走り出す。そんなハルを見送った後、ノアは家の裏手に広がる森へと歩いていく。

 森の入り口一歩手前で立ち止まると、彼はズボンのポケットから金属製の小さなボールのようなものを取り出した。

 出っ張っているスイッチのようなものを押すと、ボールから手や足のようなものが飛び出て、それはノアの手のひらで自立する。

 これは場所を記憶するための小型端末で、主に森や炭坑、迷宮などの入り組んだ地形に入る時に用いられるもの。所有者の声紋、指紋などを認識するために、その人のオンリーワンのアイテムとなる。

 するとピーッという音の後、小型端末が音声を発した。


「マキナヴァートル、自宅前。座標位置キオクシマシタ」


 六センチ程のボール背面に表示された小型液晶パネルを確認すると、ノアは一度頷いて森へと足を踏み入れる。

 山菜を採るというのは森へと入るための口実で、彼の目的は他にあった。立ち入りを禁止されている場所。そこに行けば何かがあるかもしれない、自分も何か変われるかもしれない。


 そう思い、憧れる父親に少しでも近付くため、ノアは一生懸命に背伸びしているのだった。


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