第37話

 収録のスタジオは演者――僕が3Dモデルの動きを確認する大きいモニターが中心の壁に設置されている。左側には、パソコンや音響用の機材が置いてあって、飯島さんがBGMや3Dモデルの表情を操作する。僕たちの中ではエンジニアエリアと呼んでいた。


 母さんと絵美さんは、責任者としてエンジニアエリアの後ろで配信中の映像をチェックする係だ。残念なことに彩瀬さんと楓さんは、やれることがまったくないので出番がない。終わるまで外で待機してもらっている。


「よろしくお願いします!」


 スタジオに入った僕は元気よく挨拶をした。


 意識を切り替えるために欠かすことのない儀式のような作業だ。みんな知り合いだからこそ、切り替えは必要だったりする。


 狙い通り、みんな引き締まった顔をした。それを見て僕も気合いが入った。


 これからロングフィットのライブ配信をするんだ。楽しんでもらうために、ダラダラとしたプレイは見せられない。


 前回はただ読み上げるだけで、意識して盛り上がるポイントは作れなかった。今回は必ず見所――楽しめるポイントを、いくつも作ることを意識しよう。


 部屋の中心にあるモニターまで移動すると、両手を横に広げてTのポーズを取っている僕のもう一つの体を見つめる。


 エンジニアエリアからキーボードを叩き、マウスをクリックする音が聞こえた。


 しばらく待っていると、体の動きにあわせて3Dモデルが動くようになった。右手を上げれば右手が上がり、鏡に映し出された自分のように連動している。続いて、僕の意思に関係なくコロコロと表情が変わる。飯島さんがコントローラーを使って表情を操作しているんだ。数秒後に無表情に戻ると、無事にセッティングが完了となった。


「今から配信画面を表示します」


 飯島さんが言い終わると、目の前のが面が切り替わった。

 慣れた手つきで迷うことなく操作が進む、背景が無機質な灰色からロングフィットのタイトル画面に切り替わり、音楽まで流れ出した。


 次に、リスナーが書いたコメントを表示するエリアが右上に小さく表示される。「頑張ってー!」といったテストコメントが流れた。飯島さんがテストコメントとして、書き込んでくれたんだろう。笑っている顔の絵文字が三つ並んでいて、かわいらしい。


 彼女は普段の言葉づかいは丁寧で性格はおとなしい。たまに年上だと勘違いしてしまいそうな印象があるけど、こういったところで女子高生らしさが出てくるのが好きだ。


「大丈夫そうですね。ユキトさん、準備終わりました!」


「はーい!」


 壁に設置された時計を見る。時刻は夜の8時だった。配信は9時からだ、あと一時間残っている。


 配信サービスを提供している会社にサーバの増設、回線の強化を依頼していたので前回みたいなトラブルはおこらないだろう。


「あと、画像も送ったので、SNSで配信の告知を願いします!」


 リング型のコントローラーを両手でかがげている画像だった。上からの下を見下ろすようなアングルで、楽しそうに笑っている。うん、これは良さそうだ。「あと一時間で始まるよ! いま準備中!」と内容を書き込んで、母さんたちにチェックしてもらってから投稿した。


 もう慣れてしまったけど、毎秒、何らかのアクションがついて拡散されていく。数字を見ると怖気づいてしまうので、携帯電話の電源を切って床に投げ捨てた。


「台本を読んでてもいいかな」


 あと、水分をちゃんととっておきなさい。

 母さんがら台本をペットボトルを受け取って、残り一時間をリハーサルに使っていると、ついに本番の時間を迎えることとなった。


◆◆◆


「はじめます!」


 やや緊張気味の声だった。飯島さんが配信開始のボタンをクリックする。間を置かず、コメントが滝のように流れた。


 一回書き込むと、次の書き込みまで一分待たなければいけない。なのに、このスピードだ。


 どれだけの人が見に来てくれているのだろうか?


 ふと視聴者数を見る。一、十、百、千、万、十万、百万……の桁まで見て恐ろしくなって数えるのを止めた。


 周りに振り回されたらダメだ。落ち着け、僕。


 目を閉じて、大きく息を巣こんでから吐く。


 緊張するな、楽しむんだ、数字は関係ない。僕らしく配信すれば大丈夫。


 準備はした。

 ダメだったところは改善した。

 前回の配信は好評だった。


 ――心配する要素は何一つない。


 脳内のスイッチがカチッと音を立てて入った。


「みんなー元気にしてたー? ユッキーだよ♪」


 いつも通りに少しだけボイスを加工した声がスタジオ内に響き渡った。今視聴している人にも同じ声が届いていると思う。


「またせちゃってごめんね!」


 両手を合わせて謝るポーズをする。

 するとコメント欄は「生きてくれてありがとう!」といった謎の言葉で埋め尽くされていた。気持ちははわかるけど意味は分からない……。


「今日はね、告知した通り、人気ゲームのロングフィットをやります! このゲーム、みんな知ってる?」


 数秒遅れて、今度は「知ってるー!」で埋め尽くされる。コールアンドレスポンスは問題なく、盛り上がっているようだ。前置きはこれですぐ終わらせても問題なさそうだ。


「みんな知ってるんだね! じゃ、説明は省いて早速プレイします!」


 目の前のモニターの画面が切り替わり、ランニングやパラーシュートといったミニゲームがずらりと並んだアイコンが表示されてた。


「これから壺を作るね!」


 ロングフィットは今日で二回目だ。独自のコントローラーの操作に慣れていないので、初見プレイといった冒険をするつもりはない。自宅で遊んだ壺を作るゲームを選択した。


 画面が縦に三分割される。お手本の形に合わせるようにポーズをとっていく。

 視界は狭まり、コメントは目に入らず、ゲームに集中していく。


 このゲームはやっぱりキツイ。特に下半身の筋肉に負荷がかかっていて、体制を維持するだけでも大変だ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 どんどん息が荒くなっていく。

 え!? 上下運動を連続三回!!


「あぁっ、待って……んんんっ! あっ、ふっ、ふっ!」


 次は腕を上下に連続で動かすっ!?


「もう、無理だよぉ、はぅ、んんっ!!」


 なんとか最後の力を振り絞る。配信だということも忘れて無慈悲な指示を次々とこなしていくと、ようやく壺が完成した。


 力尽きた僕は思わず倒れてしまう。画面を見ると100点の文字が表示されていた。


「やったー! パーフェクト!!」


 腕を上げて喜びを表現する。

 みんなも喜んでくれているだろうと思って、コメント欄を見た。


「……え?」


 人の顔に天使の輪がついた絵文字がずらりと並んでいた。「感情が高ぶって昇天した」時に使うと、飯島さんが言ってのを思い出した。


 どうしたんだろう? と疑問に思っていると画面が「ちょっと待ってて」に代わっていた。映像と音声が止まる。


「どうしたの……?」


 エンジニアエリアに視線を向けると、母さんが険しい顔をして電話をしていた。


「――はい、なるほど。わかりました。配信は終了にします」


 話し終わった母さんが、こちらにくる。

 僕は体を起こして言葉を待った。


「世界中の女性が同時に意識を失ったらしいわ」


 テロか何かが起こったのかな?

 そうだとしたら僕たちも危ないかもしれない。ちゃんと避難しないと!!


「配信はすぐに終わらせて、安全なところに逃げよ!」


「ユキちゃんは何を勘違いしているのかしら? 意識を失ったのは、今日の配信が原因よ」


「……どういうこと?」


「息づかい、呼吸が過剰だったみたい。監視していた政府の人も鼻血を出して倒れたらしいわ。意識がある人も仕事を忘れて、息が荒くなっているシーンだけを繰り返し聞いているみたいなの。困ったわねぇ……」


 え、それって、息が切れそうになったり、力を込めた時にもれた声が、女性を失神させるほど影響力があたってこと!?


 確かに見方を変えれば喘ぎ声に聞こえ……るわけない! 想像力が斜め上すぎるでしょ!!


 どうしたら筋肉トレーニングがエロコンテンツになるの。

 ちょっと頭がおかしいよ!


「政府からの要望で今日の配信はこれで終了。あとロングフィット配信も二度としないことを約束させられたわ。男性保護を出されたら私も文句は言えないの」


 前回のサーバダウンに続いて、今度は政府からの要望で中止かぁ。僕の配信が最後まで続けられるのはいつになるんだろう。


 せっかく健全な企画を考えたとのに、女性の想像力のせいでエロコンテンツ化してしまうなんて、だれも予想できないよ。


「…………母さんの判断は正しいと思うよ」


 とはいえ、結果はちゃんと受け止めるしかない。次は女性の想像力も考慮した企画を考えよう。


「ユキちゃん、ありがとう」


 やさしく包み込むようにして、抱きしめられる。


「次はもっと上手くやりましょ」


「うん。次こそはね」

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