第22話

「だ、大丈夫?」


 彩瀬さんの奇行に動揺しながら何回かゆすると、意識がこちらに戻ったようで、僕のほうを向いてくれた。


「もしかして寝なかったの? 体は大丈夫?」


「おはよー! 勉強に集中しすぎて寝るの忘れちゃった」


「忘れちゃったって……」


 勉強を中断した彩瀬さんは、何事もなかったかのように、いつも通りの笑顔で応えてくれた。とりあえず、安心していいかな?


「私、生まれ変わったの! これからは勉強も本気で頑張る!」


 そう思った瞬間に、また訳のわからないことを言い出した。何を伝えたいのかイマイチ理解できないけど、内容が気になったので話を合わせることにする。


「生まれ変わった彩瀬さんは、中間テストが終わったら元に戻っちゃうの?」


「大丈夫だよ。ずーっとNEW彩瀬のままだよ!」


「それまた……急にどうしたの……?」


「ユキトの寝顔を見ながら勉強をしていたら、やっぱり頑張らないとなーってね」


 説明したくないのか、言葉を濁されてしまった。


「それより、これから毎日遅くまで勉強をする予定だから! ユキトが寝不足になると困るし、夜の勉強は一人でするけど良い?」


「良いけど、分からないところが出たらどうするの? 一緒にいたほうが効率が良いと思うよ」


「分からないところは次の日に聞くし、私のせいでユキトの成績が落ちるのは嫌だから……心配かもしれないけど、私を信じて!」


 何を言っても一人で勉強をする決心は揺るがないのだろう。「生まれ変わった」という言葉を信じることにした。


 翌日から、朝と放課後は三人で勉強して夜の勉強は一人でするサイクルになった。寝る間を惜しんで勉強をしているようで、あの日を境に彩瀬さんの目の隈は日を追うごとに濃くなってる。


 寝不足になると効率が落ちるので、せめて中間テスト前日はしっかり寝てねと伝えてはいたけど、忠告は受け入れてもらえなかったようだ。当日となった今日も、眠そうな顔をしながらタブレットを片手に持ち朝食を食べている。

 普段なら怒られる行為も、テスト期間限定で特別に許可をもらっている。


 学校ではいまだに紙の教科書やノートを使っているけど、個人ではタブレット通信学習の利用も進んでいる。特に英単語といった暗記が重要な勉強では、タブレットを使ったほうが効率的だ。


 そんな状態で護衛が務まるはずもないので、一時的に電車通学を中止して車で通学している。いつもなら移動中も、取り留めの無い会話をして盛り上がっているけど、今は勉強に集中しているため会話はない。僕たちにしては珍しく、会話の無い時間が続いていた。


◆◆◆


 教室に入ると教科書やノートを広げて勉強している人が多く、心なしかいつもより静かなように感じた。高校入学して初めてとなる中間テスト。意味の無い無駄な努力かもしれないけど、少しでも点数を上げたいのですぐに席に座り、テスト開始まで勉強をすることに決めた。


「二人ともおはよう。頑張ってるね」


 勉強を始めてからしばらくすると飯島さんが登校してきたようで、挨拶をしてくれた。テスト中は朝と放課後の勉強会は開催しないことになっていたので、今日は少し遅めにきたようだ。


「おはよう。時間ギリギリだね?」


「テスト当日は、ゆっくり過ごして体を休めることにしているから」


 男性に選んでもらうために良い成績・良い大学にを目指しているし、そのために高校生らしい遊びを一切捨てて勉強だけの日々を送っている。


 遊ぶことの多い僕たち……とくに彩瀬さんとは正反対だ。


「でも、遅刻しそうで少し焦っちゃった」


 その言葉を裏付けるように、いつもはきっちりと整っている三つ編みが、少し乱れているように見えた。


 その後すぐにホームルームが始まり、一ノ瀬先生の「テスト頑張れ」というありがたいお言葉を聞いてから中間テストが始まった。


 どんな問題が出るか少し不安だったけど、分からない問題はほとんどなく、とくに彩瀬さんに教えたところは答えがしっかりと答えることができた。人に教えてたことは頭に残りやすいのかもしれない。今回のテストの点数は期待できそうだと感じた。


「うーん。終わったー!」


 中間テストの初日が終わって緊張感が抜けたようで、両手を前に出して体を伸ばしている。今は、勉強会メンバー三人で廊下を歩いている。


「まだ始まったばかりだけど、体力とやる気は大丈夫? もちそう?」


「明日は金曜だし、1日だけ気合いを入れて学校に行けば休みだからなんとかなるかな? 土日は勉強の時間を減らして睡眠の時間を増やす予定だよ!」


 色々と心配なので聞いてみたけど、ちゃんと計画して行動していることに驚いた。よく言えば楽天家。悪く言えば行き当たりばったりだった彼女が、効率を考えて動いている。


「ついに計画を立てて行動できるようになったんだね」


「うん!」


 人によっては馬鹿にしているように聞こえるかもしれないけど、褒め言葉として使っているし、そういった意味で受け止めてもらえた。


「なんでそこまで変われるの? 本当に寝顔がきっかけなの?」


 寝顔を見ただけで人が変われるとは信じきれず、最近ずっと疑問に思っていたことを質問した。


「実は、小さい頃からずーっと、分からないことがあったの」


 恥ずかしいことを告白するかのように、とつとつと語り出した。


「将来のために勉強しなさいと言われても、なんで頑張らなきゃいけないのかわからかった……。好きなことを好きなだけやる生活で何が悪いの? と思っていた。でも、ケガをした楓さんを見たとき、私には人に誇れるようなことが何一つないって思い知らせちゃった。私には何もないことに気づいちゃった」


 あの事件が終わってから、そんな想いを抱えているとは予想だにしなかった。もしかしたら何をすれば良いか分からないなりに、ずっと悩んでいたのかもしれない。


「何とかしなきゃと思ったけど、すぐに動くことはできなかったの。だって、頑張る理由がないんだもん。でもね、採点中に寝落ちしたユキトの寝顔を見ていたら、小ちゃくて可愛いユキトと私の居場所を守るためなら、頑張れるって気づいたの! 頑張る理由が見つかったの! 私とユキトのために頑張りたい!」


 人が変わる時とは、大切なことに気づいた瞬間なのかもしれない。


 まっすぐな瞳が、思春期特有の熱い想いが、大人になって枯れてしまった僕の心を激しく揺さぶる。そして、衝撃が収まると熱い気持ちが湧き上がってきた。


 運命のいたずらによってもう一度生きるチャンスがもらえたのに、気持ちまではリセットできなかった。でも、社会で生き残るため、家族を養うためにすり減ってしまった気持ちが、人生を前向きに生きるというパワーが、今世の僕には残っていたようだ。


 このまま前世を言い訳にしていたら、また、無くなっていたかもしれない。気づけておよかった。


 そんな今の僕だからこそ、彼女の決意を尊重したいと思う。

 そして、出来るのであれば、前世に縛られてた自分を変えたい。いや……僕も変わろう。


 大切なことに気づいた喜び、本気に生きていなかった自分への憤り、まだやり直せると思える興奮、いろいろな感情が混ざり合い、なんだか無性に泣き出したくなった。


 胸の中に渦巻いているこの感情を整理するのには時間がかかる。彩瀬さんとの会話はまだ途中だし、この気持ちは一旦抑えて、いつも通りの自分に戻るように意識を切り替えることにした。


「……でも、何をすればいいかわからないから、まずは勉強をして成績を上げる努力をしょうと思ったの。そうすれば、将来の選択肢が増えると思うから!」


「とてもいい考えだね。やっぱり前向きに頑張っている人は応援したくなるし、そういう人は好きだよ。僕のためってのが、少し恥ずかしいけど」


 涙声にならなか心配だったけど、うまく普段の声を出すことができた。

 僕が素直に好意を示したのが恥ずかしかったようで、顔を赤くして金色に輝く髪をいじり、少し早口になりながら話を続けた。


「……あ、ご褒美も期待しているからね! ものすごーく楽しみにしているんだから!」


「楽しみにしているのは良いんだけど、今日はどうだったの?」


「今日のテストは自信があるよ! 絶対に平均点を超えたと思う!」


「それを言っちゃうとフラグになるよ?」


「ぜーったいにちがう! 本当に自信があるんだから! 初めて本気で勉強をしたよ!」


「それでよく高校に受かったね……」


 何気ない普段の会話が、こんなに楽しいものだとは思わなかった。失う前に気づけたよかった。


「それはほら、ダメ元で受験したら間違って合格しちゃうパターンだよ!」


「自分から間違ってって言うんだ……。その学力でよく入試受かったなって、勉強会のときにずっと思っていたけど納得できたよ。運だけで入学できたんだね」


 褒められたと思ったのか、笑顔でこちらを見ている。褒めてないよと、言おうと思ったけど、無邪気な笑顔を見ているとそんな気持ちも霧散してしまった。


 もしかしたら、彼女の笑顔こそが運を引き寄せる最大のコツなのかもしれない。そう思えるぐらい、あの笑顔には人を惹きつける何かがあるように感じられた。


「……二人とも仲がいいね」


 会話を続けているうちに、暗いオーラみたいなのを感じていたので、話題を振るのを避けていた。


 飯島さんの顔を見ると、羨ましそうな顔をして見つめていた。それは、前世の僕を彷彿とさせる、暗く何かを諦めた表情だった。


「き、急にどうしたの?」


 噛みながらも返事ができた自分を褒めてあげたい。


「男性と一緒に生活して、テストの点が良かったらご褒美がもらえるって……目の前で恋愛ドラマを見せられている……親が決めたお見合いなんて無視して、私も参加したかった……」


 心の奥底から出てきた言葉。そう判断に値するほど、重たい言葉だった。


 お見合いのセッティングの調整には年単位の時間が必要だ。しかも、お見合いの調整をしている間は、一般常識として、ハーレムに入ってないけないとされている。理由は、「他の男性にアプローチしていた」女性を、好んで選ぶ男性はいないからだ。前世でいうところの処女厨に近い考え方だろう。


 男女比が偏っていなければ、そんなこと言ってたら彼女なんて作れないし、そういう行為はよくあることだったので気にしていられなかった。でもこの世界では、男性から見ると供給過多な状態で、自由がない代わりに女性だけは選びたい放題だ。他の男性の影がちらつく女性を選ぶ理由なんてないだろう。


 そう考えるとお見合いするメリットがないように感じるけど、お金と時間さえかければ、お見合いが決まる確率は低くない。そして、お見合いさえ決まればほぼ間違いなく結婚できる。


 積極的にアプローチしても近くにいる男性が手に入る可能性は低いので、結婚だけを考えるのであれば、お見合いという選択肢は悪くない。ただし、黙ってても女性が寄ってくるのに、お見合いをするといった時点で、男性は性格的・肉体的な問題を抱えている場合が多いのも事実ではあるが……。


「……」


 気持ちを新たにした僕やコミュニケーション能力の高い彩瀬さんでも、言葉に詰まってしまい何も言うことができなかった。

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