13

 ◇

 ブルーマウンテンの香り――雅也の金縛りは解け、上体を起こし雅也は玲からコーヒーの入ったマグカップを受け取った。

 疑問や質問は山ほどあった。それら全てを口にすることはできなかった。アキラがコーヒーに口もつけずに咲弥を睨んでいたから。


 玲は咲弥の真後ろに立ち、やはりコーヒーに口をつけようとしなかった。

 

 リビング内で七月とは思えないほど空気が張り詰めており、いつ破裂するかとの予感が漂う。

 金縛りから解けてなお、雅也も緊張しつつ問う。

「咲弥さんに憑いているあなたは、何者なんですか? 中井とはどういう関係です?」

「ナギとナーガについては聞かないのか? お前の血統は特殊で――」

「そちらは後でゆっくり、では?」

 すると咲弥は笑ってコーヒーを啜ってマグカップから手を離す。

 マグカップは咲弥の口元で浮いていた。

「カムイではない」

 咲弥は左手で髪を掻き上げ、左耳を見せた。彼女の左耳にもイヤリングが付いていた。そのイヤリングは三つの輪が連なっており、忙しく動いていた。

「複製品だがな、火風輪かふうりんという。あえてわかりやすく使ったが、本物はこれの四倍ぐらい大きく、足に着け音を鳴らして雲を呼び、空を自在に飛ぶ……仙道が一人前になったとき与えられる宝貝パオペイというものの一つだ。ちなみに右耳にはお前を操ったものだ」

 髪を降ろし、マグカップを手に取ってコーヒーを啜ってから咲弥は続けた。

「さっきアキラが出したべんも宝貝。そちらも複製品だが――本物は全て盗まれた。仙界は大混乱している。功夫クンフーを積んだ仙道を派遣して犯人を捜している……分かるか?」

 雅也は頷いて言った。

「なんとなくですが……玲さんを犯人だと思って、咲弥ちゃんに嫌がらせをして、取り憑いた?」

「少し違う。こいつに憑いたのは日本語を覚えるより、喋れる奴に憑くのが早いからだ。こいつの見た男や現象は私ではない。同じ截教せっきょうだが、名前も知らない見習い。ただの悪戯だろう」

「截教って、確か、妖怪ですよね。あなたも?」と雅也が言うと、咲弥が睨みつけてくる。

「失礼しました……で、僕に案内させたのは宝貝を回収するため。弟子に面子が立たないからですか?」

「半分正解だ。仙道の最終目標は宝貝を師から譲り受け、教主から認められ神として封じられること。日本文化はおろかお前らのカムイとは、文字通り次元が違う事だ」

 思わず雅也は「宗教関係はこれだから」と言ってすぐ、口を滑らせた、と悔やむ。

 すぐ玲が口を挟む。

「現代日本人の宗教観では理解し難いかもね。ざっくばらんに言うと多神教。ただし神より高い次元がある」

「〝てん〟……です、か?」雅也の自信なさげな声。

 すると玲が頷く。

「こいつらにとって最上位の存在……その下に神がいくつもあって人間を導くのさ。さらに下には数えきれないほど仙人がいるが、人間とほぼ同じ扱いなんだ。

 西洋宗教の多くは〝ゴッド〟など最高で唯一無二の存在がいて、使いが人間を導くためにる。ただ、日本語では同じように〝かみ〟と言ってしまう。宗教や宗派によって概念が違うから、表現が難しい。あまり名指しで口にするもんじゃないし。そしてカムイを入れると……これらは二日酔いで話す事ではないから、省く」


 雅也はコーヒーに目を向けて思考する。


 ――咲弥(憑依されてるから別人だけど)たち仙道の中では数多の神々が直接人間を導くためにある。天は何人にも成れない存在であり、不可侵領域ということかな。

 ――たしか、仙人が世捨て人の意味を含むのは、神になるまで人間と関わることが許されないからだった。手を出すとすぐさま罰が下る。

 ――人間を助けるために使われる奇跡の業、宝貝という武器を神が仙人に使って懲らしめる、そんな話があった。

 ――神が神である証明の宝貝。仙人と神を分つための宝貝。それが盗まれたとなれば大混乱は必至だ。

 ――今、玲さんみたいなぐうたらや中井みたいな反乱分子でごったがえしているんだろうなぁ。


 雅也はそう考えて、はっとした。

「中井一麿ですか、盗んだのは」

 すると咲弥の目が鋭く光り、雅也を睨んた。

「何故そう思う?」

「流れ的にそうかなと。ただ、僕はカムイと見分けができないので……」

 舌打ちして咲弥はコーヒーを、ごくんと飲み、言った。

「それは別の話だ、が――」

 咲弥は、振り返って玲に向かって言った。

「師は複数犯だと勘ぐっている。私はたまたま仙界にいたから疑われてない。お前は?」

 玲は首を横に振り、そして吐き捨てるように言った。

「あたしもカムイを盗まれた口なんでね」

武人たけひとの敵討ちは?」

「その名、あたしにとっての禁句だよ。さっさと要件を言いな」


 すると咲弥は「私を手伝え。見返りに仙界は中井に付かない、お前らを容疑者候補から外すように計らうが?」と尋ねた。

 誰もが返事をする前に咲弥は言った。

「中井も容疑者の一人だ。捕えるため仙道が都内に陣を敷いた」

「陣ね……雅也の落魂陣を凌いだあいつを相手に、どんな陣が有効か、参考にしたいもんだ」と玲がコーヒーを啜りながら聞いた。

「ほう」と咲弥の声と視線が雅也を向く。

「なかなか優秀だな。豹変する性質タチには見えんが……感情に流されず戦う者ほど、やっかいな相手はいない。術師ならなおさら、敵に回したくないな」


 張り詰めていた空気が幾分か和んだ、と雅也は照れ笑いする。


 咲弥はコーヒーを啜って、

「最近の仙道も術の才はあるのだが……九曲きゅうきょく黄河陣こうがじんを、ここらにさもありなんと敷いたのは良い。ただ反比例して至極、頭が悪い」

「悪名高い九曲黄河陣をね。たしかに凄いのか馬鹿――え? マジで?」

 

 玲が素面でこんな声を出す場面は雅也にとって初めてだった。


「あんたら、馬鹿か? いや、中井には有効――いやいや、たかが中井を捕まえるだけにやりすぎだ!」

 マグカップを後ろに放り投げ、玲は咲弥の頭を掴んだ。キッチンからカップが割れる音がしても玲は気にもしなかった。

「あんなものをこの結界だらけの東京でやると、無限に氣を吸収して霊も精霊も土地神まで干からびる! その後は邪霊や妖魔が寄って来て平安時代の二の舞! そっちが過去の再現してどうする! アホな教主の喧嘩を煽ってるのか!」

「無礼な!」と咲弥も負けじと玲の手を振りほどいて言った。

「そもそも私は関係してないと伝えた――数年前、名も無い仙道が敷いたのだ。最初の一年は、本来の三割の力、小さな邪気を消すだけだったと聞く。それ以上は作動してない」

「それはそれで大問題! 氣の吸収と貯蓄中だよ! さっさと言えっての!」

「容疑者候補に最初から教える道理があるのか? この街に住んでいるから、お前は気づいたと思っていたが、買いかぶったかな」

「すかしてんじゃねぇよ、表ぇ出ろ!」

「はんっ、さっきまでアキラに忠告しておいて、それか? ご自慢の口はどうした?」

「馬鹿に通じる言葉は無い!」

 喧々囂々と二人は言い争い、雅也とアキラは話に置いて行かれた。


 雅也は、アキラに視線を送り激化する言い争いを止めようと念じた。

 アキラはそれが伝わったのか、頷いてすっと立ち上がり右手を懐に忍ばせる――雅也が「げ」と驚愕の声を漏らした瞬間、黒い線が二本、リビングの中を走りいく。


 パパパパン! と風船が連続で割れるような音が鳴る。

 しゅ、とアキラの右手に黒い鞭が収まると彼女は小声で言った。

「本当だった……締めるより叩く方が向いてる……」

 玲と咲弥は床に崩れ落ち、苦悶で唸りながら脳天を押さえていた。


 静かにはなった。

 だが雅也もどんな声を掛けていいのかわからず、冷や汗を拭った。

 脳天を押さえながら、よろよろと立ち上がり、咲弥は、

「の、飲み込みが早い……しかも同時多角攻撃とは」と言いながらソファに腰かけた。

 玲はまだ、うーんうーんと唸って床に膝をついていた。


「手加減した?」と雅也が言うとアキラはうつむきながら答えた。

「思いっきり手加減した……団扇を仰ぐほどの力で振った……」

 右手を見つめアキラはやがて黙ってしまった。

「複製品といっても、使い手の、氣によって本物と張り合える……その力を使えば陣を敷いた仙道との戦闘もできる。私は今、攻撃用宝貝が無い、が」

 咲弥はそう言ってから「ぅ――」と声を漏らしまた脳天を押さえた。


 ◇

 雅也は玲からの指示を待っていたが、彼女は一向に回復の兆しを見せない。雅也自身が分かっているのは時間を浪費している、ということだけだった。

「えっと。名前がわからないから教えてください……そして、その陣の効果は?」

「お前に名乗ると中井に乗っ取られる。咲弥で良い。

 陣は、主に人間や仙道の補助強化作用だ。不死身とはいかないが陣の中にいる者が、あらゆる面で強くなる。大里流の理念で言うと、まず内氣ないきからが抜け、大氣たいきごうする」

「えっと……心から、ネガティブな感情がなくなって、空気中に留まると?」

「ああ。正常なら……外氣がいきにも影響して心身ともに強く、逞しくなる。傷の治りが早くなるし寿命も延びる。仙道にとっては氣の補給地点として栄える。これが良いところだ。

 難点は入った途端、術者の奴隷に成り下がり、死ぬまで命令に従い続けることだ。

 敷いた仙道らは、玲と中井を戦闘、消耗させ、ふらりと立ち寄ったところを……という算段だったらしい。が、思った以上にこの街の結界が強く、誤作動していると聞いた。その仙道も行方知れず。陣に入るとどうなるか、敷いた仙道しか知らない。陣そのものが機能しているかどうか怪しい。

 故に誤作動、と最悪の事態を想定している」

「誤作動とは? 具体的にどうなるんです?」

「多くあるが……行き場を無くした負の念が大氣たいきに溜まり、雨のように陣の中に返還されていく。人間ならその念に憑かれ、自殺、無理心中、殺人……仙道は知恵のある生き物から殺していく。そして寿命だろうと死んだ者はすべからく魂魄になり、陣から出られず負の念になる。仙道でない者に理解できるのはこれぐらいだ。残りは勉強でもして悟れ」

「はあ……あまり問題に思えないんですが」

「だろうな。私たち仙道は時間の概念が薄い。玲は人間なのにそのがある。だからこそ本質、問題を理解しろとは言わん。

 ただ、黄河陣以外でもそうだが、陣を敷いた術者が死亡、もしくは正式な解除手順を踏まない限り、最初の命令を実行するために氣を吸い続ける。氣が尽きるとは、最終的にきれいさっぱり人も動物も霊もいなくなり、陣の中は外界と剥離され認識されなくなる。

 地図から消えた村、そんな都市伝説があるだろう。あんな風に人々の記憶、書物の記録からも消えるだろうな」

 そこでアキラが声を上げた。雅也が驚くほどの怒声だった。

「それを都内でやったの? 日本で、人口が密集し認知されている東京で!」

 

 雅也も事態が飲み込めた。


 ――街が消える、認知されなくなる。

 全てが〝無かったこと〟にされる。

 人口一億以上のこの街が。

 全国にある商業の本社が集うこの街が。

 国の首都であるこの街が。

 他の街なら良かったではない。今、最も間近な人々や住居を失う。

 とてつもない不条理によって――


「玲さん!」

 声を荒げる雅也。

 頭を掻きながら、玲はやっとで立ち上がり、言った。

「今回の仕事は陣を破る。雅也、アキラ。前回と違い、本音だ。それから――」と玲は咲弥を睨みつけた。

「被害が出たら思いっきりふんだくってやる。覚悟しな、出来損ないの〝ナタ・パオペイ〟」

「交渉成立だな……ではこのまま策を練るぞ」

 咲弥は息をつき、指を鳴らした。


 部屋が暗黒に染まる。

 雅也の視界には玲、咲弥、アキラの三名とマグカップが見えるのみで、他は黒く染まっていた。しかし床やソファの感触があり、ホログラムだと察した。


「とは言え、この面子が問題だな」と咲弥「カムイが無いうえ二日酔いの玲、武器が無いうえ他人に憑依した私、カムイも武器も才能もあるものの情緒不安定なアキラ、不確定要素満載の雅也。兵はこれだけ。私から打診した援軍、おそらく期待できんだろう……まず玲、お前が策を練ってみろ。陣の仕組み、仙道の場所、数、実力……私が調べた情報を流してやる」

 咲弥の右手がぼんやりと緑色に光り、掌で球体になる。そして「」と呟くとその球体が玲の額に向かって飛び、玲の身体が一瞬だけ強く発光し、収まる。

「ああ、もうっ。酒が残ってるのに。偉そうにしやがって」と玲は、舌打ちをして顔をしかめた。

 そして、

「まず単純かつ最悪な作戦から。この四人で、陣を敷いた馬鹿を封じる。各個、主要の装置に向かい、主犯が登場するように仙道をバッタバッタと倒していくゲリラ的無双作戦。ノルマは一人につき五百ほど。あんたの情報を最低値にすればの数だが、あたしの見立てでは邪霊を含めると二千は超えるな」


 雅也とアキラが同時に「え?」と尋ねた。

「却下」と咲弥。「目的は良いが手段が阿保だ。私が一騎当千をやれる状態なら、お前らに頼むものか。見てみろ、この体を」と咲弥は腕を玲に見せる。

「おほほー。綺麗な、握り絞めたら折れそうな細い腕ですわねぇ。虫も殺せませんわねぇ、失礼しましたぁ」と玲の作り笑い、愛想の声が、震える。彼女は拳をつくり、それでも次の案を出す。


「雅也とアキラがアタッカー、あたしとあんたがサポートで消耗戦――」

「却下。言葉を変えただけだろう。それに中井と戦闘を控えてるんだろう」

「あんたが陣の中で自爆する。魂魄と溜めた氣で内側から――」

「却下。繰り返すがこの肉体は他人のもの。中立と外道は違う」


 玲の案を咲弥が却下していく中、雅也やアキラも口出ししようとしたが二人のやりとりが早く、傍観していた。


「あたしが外から陣を敷き、一切合切、封印する――」

「却下。封印術は複雑で繊細だ。そもそも玲、考えてるのか?」


 だんだん玲の表情や声にゆとりが無くなって、怒りが浮かんでいく。

 雅也はアキラに、いざというときはまた、と目で送った。

 アキラは無言で頷き、懐に腕を忍ばせた。



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