第21話 重みと想いの思い違い

 雷鳴のような音のあとに現れたのは、雷神ではなく我が妹である美咲だった。いつもの仏頂面で俺の姿を見つけると、やれやれと言わんばかりに右手で髪を払った。


 そして左手には、一本の斧が握られている。


「捜しましたよ、兄さん」


「どうして……」俺が口を開く前に、伊澄が割って入った。「どうして、ここがわかったの」


 明らかな敵意を感じ取ることができた。公園で俺にスタンガンの電流を浴びせる前に放たれたものと同じだ。自分と俺以外の人間に対しての、強烈な敵意。


「どうして、ですか」美咲は感情を表に出さない。「そんなの簡単ですよ。ねえ、兄さん」


「え?」


 なんで俺に振られたんだろう。美咲がいかにして俺を見つけたかなんて、俺がわかるはずないじゃないか。無茶ぶりだ。


「もしかして兄さん、忘れたんですか?」


「忘れた?」


 なにを忘れたのかも忘れているようだ。


 美咲の視線がきつい。


「言ったでしょう。たとえ兄さんが誘拐されたとしても、必ず私が見つけ出すって。必要なのは家族愛だって教えたじゃないですか」


「あっ、ああ……」思い出してきた。いつぞやの登校のときのか。「あれ、マジだったんだな。お兄ちゃんびっくりして驚いちゃったよ」


「そうみたいですね。変な言葉遣いになってます」


「さっきの電話……」伊澄が呟いた。凛久からの電話のことだ。「あなた、いろんな店を回っていたようだけど、それってまさか」


「なんで知っているのかわかりませんけど、おそらく今日兄さんがいた店を訪ね歩いただけですよ。手錠なんかするから、みんな憶えていました」


 いやいや、おかしいから。


 普通わからないから。


 兄貴がどこへ行ったかなんて家族愛を持ってしても、わかるはずないから。


「どこの誰かは存じ上げませんけれど、兄さんは返してもらいますよ」


「嫌だ……」


「どこの誰かは存じ上げませんけれど、勘違いをしないでください。これは交渉でもなんでもないんです。あなたがいくら拒否をしようとも、無意味なんです。ただの戯言、いえ、虫の羽音くらいのものです」


 美咲の登場に伊澄が動揺を隠せないのと反対に、俺は意外と冷静だった。


 まず彼女のおかげでこの秘密基地の内部が明らかになった。手前だけ薄暗く、奥が暗かったのは光がなかったのではなく、そこに壁があったからだ。ベッドの周りには薄い壁があり、それが部屋の全体を隠していた。光があったのは壁が取ってつけたような板で、ところどころに小さく隙間が空いていたからだ。


 美咲の斧によって破壊された壁が隠していたのは、ごく普通の部屋だった。寂れた廃墟でもなく、数年前まで誰かが済んでいた形跡のある場所だ。本棚か箪笥があった場所は日焼けをしておらず、新品同然の壁紙が見えている。荒廃など進んでいない。ベッドから見える窓も綺麗なまま、月の光を室内に注ぎ入れていた。


 そしてなにより匂いが、俺に気付かせた。ここがどこであるかを。


「ここは……」伊澄が声を絞り出した。「ここは私と大地くんの場所。今すぐ出て行って」


「ええ、もちろん。兄さんと一緒に出て行きますよ」


「人の話を聞かないのね」伊澄はベッドから下りた。美咲との距離はそうない。


「あなたに言われるのは心外です」


 先制したのは伊澄だった。目にも止まらぬ速さで蹴りを繰り出し、美咲の持っていた斧を壁まで吹き飛ばした。ほんの一瞬の美咲の抵抗もあったが、あの勢いでは柄が折れていただろう。とても人間業とは思えない。この前の柔らかさとも思えない。どうやら鋼鉄になる脚をお持ちのようだ。


 一方の美咲は、伊澄が次に繰り出した攻撃(おそらくビンタだと思う。正直今の彼女がなにをしても不思議ではない)を最小限の動きで避け、いつの間にか右手に持っていたハサミを伊澄の目を目掛けて突き出した。女子高校生のやる芸当ではないことは明らかだ。完全に殺しにいっている。


 当然、伊澄はこれを避ける。


 避けるというか挟んだ。


 いつの間にか手にしていたハサミで。


 最近の女子高生はハサミを常備しているのだろうか。


 伊澄が空いている右手で美咲へ攻撃しようとしたが、美咲の左手がそれを妨げた。


 お互いにお互いの攻撃を潰し合っている構図ができあがった。伊澄の表情はわからないが、美咲は相変わらず仏頂面だ。


「あのさ、暴力はよくないと思うんだ」俺は二人を抑制しようとした。


「兄さん、これは暴力じゃありません」


「じゃあなんなのさ」


「害虫駆除です」


「大地くん、ちょっと待っててね、すぐに終わらせるから」


「平和的解決は望めるか?」


「ごめんね。それは無理」


 俺にできることはなにか……、それは傍観することだけだ。俺がなにを言っても聞かないのは明らかだし、割って入ろうにも身動きができない。誰が俺を責められるだろうか。


 目の前の二人はただ見合っているだけとなった。素晴らしきかな、拮抗状態。きっと二人の頭の中では俺の思いもつかない心理戦が行われているのだろう。


 あと何時間この状態が続くのだろうか。どこかで特殊な訓練を受けたかのような二人だけれど、できるのならこのままがいい。傷つかないで済むなら、それが一番だ。とにかくハサミを捨てさせよう。それくらいなら聞き入れてくれるかもしれない。


 俺がそれを言おうとしたときだった。


「やってる?」と行きつけの居酒屋を訪ねてきた親父のように、凛久は唐突に現れた。さすがの伊澄と美咲もこれには驚いたようで、二人の顔が凛久を向いたのは同時だった。


 サプライズの多い一日である。


「うわぁ、本当に手錠されてる」凛久は面白そうに言った。そしてハサミを持った二人を見た。「やあ、こんばんは。二人とも可愛いね。どう、ボクと付き合ってくれないかな」


「あなたが凛久さん」伊澄が呟いた。


「そう言うきみは、伊澄さんだね」


「どうしてあなたまでここにいるのよ」


「やだなぁ、そんなの美咲ちゃんをつけてきたからに決まってるじゃないか。このボクがまさか無意味に大地に電話するとでも思ったの?」


「私を尾行していたんですか? まさか、そんなのありえません。気配の一つもありませんでした」


 お前はいったい何者なんだ、と激しく言及したかった。


「やっぱり、近くで見ると可愛いね」凛久はあくまで自分のペースを続ける。「本当に大地と血が繋がっているのか疑いたくなるほどだよ。ボクと付き合ってくれない?」


「ごめんなさい」


「じゃあ、ボクの妹になってよ」


「お断りです」


「残念」


 凛久の登場のおかげで、場の殺気だった空気が一掃された。伊澄たちは両手を下ろし、その手からハサミが消えていた。具現化系なのだろうか。二人は今、明らかに凛久の動向を観察している。


 凛久は何食わぬ顔で俺に近づいてきた。三本ラインの入ったジャージに身を包んでいる。サイズは大きめのようだ。


「大地は飽きない日々を過ごせていいね」


「ほっとけ」


「そんな面白い親友を今、助けてあげよう」凛久はベッドに乗り、手錠に触れた。


「外せるのか?」


「余裕だよ。ピッキング検定準一級のボクになら、たいていの鍵は無意味だ」


「なんだそれ」


 ピッキング検定なるものは心底嘘くさいが、しかしその腕前は本物だった。ほんの少し触っただけで簡単に手錠を外していくのだ。道具を使う素振りも、取り出す仕草もなかった。こいつもこいつで、普通じゃないのはたしかだった。


「きみは、まるでお姫様みたいだね」手首の手錠を外して、凛久は言った。俺は久々の自由を手に入れた。


「ほっとけ」


「気の強いお姫様だ」


「美咲を尾行していたのは本当なのか?」


「本当だよ。まあ、彼女を見かけたのはたまたまなんだけどね。古本屋のおっさんたちが手錠をつけたきみを見たって連絡してきたから、詳しい話を聞こうと思って店に行ったら、見つけちゃったんだよ」


 こんなこともあると思って、顔を知らせておいてよかった。


 凛久は小さくそう告げた。


 古本屋ネットワーク恐るべし。商店街には三、四件くらいあったはずだ。そのどれか一つの琴線に触れると、凛久のところに連絡がいくのか。顔を憶えられてしまった俺は、商店街で下手な行動はできないようだ。……もうしてしまったけど。


 しかし一番恐ろしいのは凛久の手回しの良さだ。こんなこともあるなんて監禁を目論んでいた伊澄以外に予測できることじゃない。


 どうしてわかった。


 さすが俺の親友と言うべきなのか?


「さてと」凛久は手を叩いて仕切り直して、伊澄たちを見た。「ここからは喧嘩はなしだ。きみたちがお互いをどう思っているか知らないけれど、二人とも大地にとっては大切な人だ。そんなきみたちが傷つけば大地は悲しむよ。悲しむ大地が見たいの?」


「……大切な人ってどういう意味ですか?」美咲が俺に目を向けた。


「大地と伊澄ちゃんは付き合っているよ。恋人どうしだ」俺より早く凛久が答えた。


「本当なんですか?」


「本当だよ」と伊澄。


 どうやら俺に話させる気はないらしい。自由の身になっても、不自由な環境だった。


「私と大地くんは付き合ってる。だから妹のあなたが出てくる意味はないの」


「別れてください」


「あなたにどんな権利があるというの。私と大地くんの仲を裂く権利が、あなたなんかにあるはずわけないじゃない」


「私は兄さんの妹です。家族です。その家族の一員がこんな危険に晒されているのに、黙って交際を認めるわけにはいきません。もしかして、自分の異常性がわからないのですか?」


「私は私でいるだけ。普通だとか異常だとか、他人の評価なんかどうでもいい」


 今にも掴みかかりそうなほど、険悪な空気を発する二人。理解した。この二人は犬猿の仲であり、出会えば火に油を注ぐように相手に嗾ける。最悪の相性だ。なにより最悪なのは、確固たる自分を持っていること。相手になにを言われようと挫けない心をその身に宿しているせいで、火に油を注ぐばかりである。


 そんな火に油を注いでばかりいる二人に必要なのは水だ。この場にいて、それにふさわしいのは凛久で間違いない。


「まあまあ、二人とも落ち着いて」


「凛久さん……でしたっけ」美咲が言った。「あなたはどちらなんですか?」


「ボクは大地の味方だ。大地の求める結果がボクの求める結果だ」


「では、兄さんがこのままでいたいと言ったら、あなたはそれに従うのですか?」


「もちろん」


「それでも兄さんの友達ですか」


「それでも友達だ。一応言っておくけど、手錠を壊さなかったのは、大地にもしその意志があった場合のことを考えてのことだ。伊澄ちゃんもそういくつも手錠を持っていないだろうしね」


「もし大地くんが逃げようとしていたら?」


「阻止するよ。逃走は解決にはならないからね」


 さすがは凛久だ。この状況を楽しんで、あくまでもここで俺に答を出させようとしている。見え見えの魂胆だ。きっと内心で満面の笑みを浮かべているに違いない。それに凛久好みの女子高生が二人もいるのだ。少しでも長引かせようともしている。言い回しがくどいのがその証拠。


 しかし魂胆が見えているからといって、俺が凛久の思惑から外れることはできない。すでに掌の上で転がされているビー玉のように、凛久が思うままだ。もしかしたら俺が伊澄と付き合うと聞いたときからこうなることを考えていたんじゃないかとさえ思えてくる。


「とはいえ、きみのお兄さんは逃げたりしないよ。その場の空気に流されやすかったりするけど、きちんと答の出せる奴だからね。そうだろ?」


 なんでこう、俺の周りの奴はどこか人間離れをしているんだろう……。


 俺がそんなにわかりやすい奴なんだろうか。


 以後、気をつけよう。


「ああ」俺は言う。「みんな俺と結婚しよう。これでみんな幸せだろ――かはっ!」


 瞬間、腹部に強烈な痛みが走り、胃の中身が一気に口まで到達した。凛久の拳が腹部にあった。吐き出すことはない。それだけは耐えてみせた。


「違う、そうじゃない」


「いや、だって」俺は呼吸を整える。「そうしたらみんな幸せだろ?」


「変な薬でも飲まされたのかよ……」


「兄さん。兄妹で結婚はできませんよ」


「それも違う。きみたち兄弟は馬鹿なの?」


「ここは承諾をして……、それ以外の人を始末すれば……」伊澄はぼそぼそと呟く。


「うん、そうするのは勝手だけど、そういうのは始末する人間がいないところでね。どんなに呟いても丸聞こえだから」


 なんだここは、と凛久はへらりと笑った。なんだかんだ言って楽しそうである。


「あのねえ、僕が言いたいのは、きみたちの関係が果たして本物であったのかってことだよ」


 俺は伊澄と顔を見合わせた。「本物の関係?」「なんだろうね」と声なきやりたりがあり、再び凛久に視線を移す。


「あれ? もしかしたらさっきのせいでおかしくなった?」


「なに言ってんだ。俺がおかしいのはいつもどおりだろ!」


「そんなに力強く言わなくても……」


「そうですよ、兄さん。身内の恥です」


「そんな大地くんも素敵っ」


 馬鹿ばかりだった。


 少し浮足立っていた感覚が薄れつつあった。いつもの他愛のない会話のおかげで調子が戻ってきたのだ。しかしまだ考えがまとまらない。もう少し時間が欲しい。


 そんな俺の気持ちを察したのか、凛久は語る。


「そもそも今回の伊澄ちゃんの行動の原因はこの男のせいだ」凛久は俺に向けて指をさす。たぶん今、凛久は自分が探偵のような振る舞いをしていることに幾何かの興奮を覚えているだろう。ちょっと楽しそうなのが、表情から見てとれる。


「どういうことですか?」


「告白されて、わけのわからないまま返事をした愛すべきアホなんだ」


「兄さん……」


 妹に憐れみの目を向けられてしまった。


 いやだって、伊澄のような可愛い子から突然告白されたら戸惑うし、たとえそういう感情がなかったにしても頷いてしまうのが男ってもんだろ。


 とは言わず、黙っている。


 ここは黙秘こそが正解。下手なことを言って、罵倒なり侮蔑の目を向けられるよりはずっといい。ちょうしが戻るまでは凛久に任せよう。親友は頼ってなんぼのところがあるからな。


「しかしね、ボクはなにも大地だけを責めるつもりはないんだ。結果から見れば、大地のせいだけれど、その結果を引き出したのは伊澄ちゃんだ」


「告白しただけじゃない」


「本当かなあ」凛久はいやらしく笑う。「きみは大地と付き合うためにあらゆる手段を、方法をとってきたんじゃないの? ボクからすれば、きみの想いは本物だけれど、きみの行動は演技にしか見えない」


 空白の期間ですら、このための必要経費だったように見える。


 凛久はそう告げた。その言葉で俺の中でなにかが噛み合った。噛み合い、もとに戻った。そうだ。それは俺が微かに思っていて、気のせいだと自分に言い聞かせて、心の奥底にしまいこんだこと。


 あくまで俺自身が感じたことで、真実であるとは考えにくい。それにそれは相手を傷つけるとわかるものなのだから、口に出すはずがなかった。


「ボクもね、自慢じゃないけど親友である大地のことをなんでも知ってる。妹の雅ちゃんもそうだ」


「美咲です」


「美咲ちゃんもそうだ。そしてきみもそうだ」凛久は伊澄をまっすぐ見据える。「ねえ、実際のところどうなのかな」


 そういえば、犬猿の仲かつ油と水であるこいつらの共通点は、なんか知らないけど俺のことをよく知っていることだ。美咲は妹だからわからないでもないが、伊澄と凛久は日夜監視をしているんじゃないかと疑うレベルだ。


 それだけに、実際にどうなのかは気になるところである。ただ言うだけ、冗談で言っているだけなのか。本当だったらどうしよう……。どこに引っ越せばプライバシーは守れるのだろう。


「空白期間もわざと作ったんじゃないの?」


「その必要がわからない。その一年があれば、あなたが出会うよりも早く、美咲ちゃんが引っ越してくるより早く、大地くんの近くにいれたわけじゃない」


「九年と十年じゃ重みが違うからね。たった一年の差だけど、区切りってのは大事だ。特に桁が変わるというのは大きい」


 たしかに、たった一年の違いだけど、九年と十年では少しばかり印象が変わる気がする。桁の重みとでも言うべきなのか。ただ人によってはたかが一年としか思わないだろう。そう考えると、伊澄の作戦は甘いんじゃないか。


 しかしそうか。人によっては思わないかもしれないが、伊澄は相手を俺に絞っているんだから、甘いとは言い切れない。そういうふうに考える人物だと調べがついてれば、良策だ。


 俺の知らないところで、心理戦が行われていたということか。


 そして美咲、ここぞとばかりにメモをとるのはやめてくれ。いったいその情報がこの先なんの役に立つと言うのか。


「監禁をしようと思ったのもさ、わかってたからじゃないの?」


 その言葉で初めて伊澄の肩が震えた。訊かれたくない、指摘されたくないと表情が語っている。


 だがもちろん探偵っぽいことができてご満悦の凛久はやめない。凛久が語るのをやめるときは、伊澄が自ら語るときだけだ。


「大地の気持ちが自分にないことがさ」


「…………ない」


「いや多少はあったのかもしれない。だけどこう思い描いていたのは違っていたんじゃないかな。伊澄ちゃんが大地だけを見ていたように、大地が自分を見てくれると思っていたのに、そうならなかった」


「……な、こと……ない」


「でもね、それは当然だよ。憶えてる人と憶えてない人じゃあ、気持ちの基盤がまるで違う。どっちが強固かわかるよね? 自分のことだもんね」


「そんなことない!」


「だったら監禁する必要はなかったんだよ。十年の重みは、伊澄ちゃんにものしかかってきたんだ。気持ちが極端になって、自分だけを見て欲しくなった。自分以外を見て欲しくなかった。行きすぎなんだよ」


「大地くんは――」


「伊澄」


 俺は彼女の名前を呼び、言葉を遮った。とにかく喋らなさすぎた。俺と伊澄の問題なのに、親友と妹を巻き込んでしまっているのに悠長にし過ぎだ。


 俺の考えていたことは、ほぼすべて凛久に言われてしまっていた。


 だから俺の言うべきことは一つだ。


「別れよう」


 はっきりと、しかし若干の躊躇いのあとにそう言った。


 しかしその一言で、伊澄は驚くことも、涙を浮かべることもなかった。むしろ微笑んだ。照れるように、誤魔化すように。


 やはりこれも凛久の言っていたとおりなのだろう。


 伊澄自身が気付いていた。だから彼女はこうなることを、こうなってしまうことをわかっていたのだろう。


「よく言えましたね、兄さん!」


「ああ、僕の親友がまともだ……」


 こいつら、空気読めないのだろうか。


 でもそんなことを言う資格はなかった。助け出してくれたのは美咲たちだし、凛久は場を繋いでくれた。繋ぐどころか真相を言い当て始めたけど。


「なんでしょう、この成長を見届けられたような気分は……」


「ふふ。これで伊澄ちゃんがフリーになり、僕と付き合ってくれる可能性が、微塵でも上がってくれれば勝ちだ」


「もう黙っててくれません?」


 思わず言ってしまった。そうしないといつまでもこの二人が喋り続け、伊澄の返答が訊けそうにない。


 しゅんとする二人を他所に、俺は伊澄を見る。


 視線が合うと、伊澄は天井を見上げ、それから俯いた。それだけでさっきの微笑みの裏にある感情が読みとれる。わかっていたとしても、気持ちの準備ができていたとしても、耐えがたい一言だったに違いない。


「あーあ、ここまでかぁ」


 伊澄は言う。


 その裏にある感情を隠しながら。


 ただ笑顔で。


「ありがとね、大地くん」

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