第二九話 最後の希望
イザミは健やかな寝顔を浮かべていた。
小さき身体は棺桶に近いカプセルに入れられ、白衣を着こむ男女が顔を覗かせている。
二人の顔は優しく、誇らしげでありその目には確かな希望が宿っていた。
「イザミ、これからあなたに歩ませる道は酷く厳しいかもしれない。その手を血で汚させる愚かな選択を強いるかもしれない。でもね、優しさを忘れないで、許すことを捨てないで。人間のいじましさとか愚かさを嫌でも思い知るかもしれない。最初は許せないかもしれないけど、大きくなったらそんな人たちを許してあげて」
女性は頬に涙を流しながら眠るイザミの頭を優しく撫でる。
「だからイザミ、愛することと愛されることを恐れるな。これから送る世界にも必ずお前のことを想い、理解してくれる者が必ずいる。いいか、もし愛する人を救いたいと思うなら己の気持ちに嘘をつくな。いがみ合う感情に苛まれようと男ならその先を目指し超えろ。そうすれば<緋朝>は必ず克己を超える力(オーバーライザー)にて応えてくる」
幼き子の手に男性は緋色のデヴァイスを握らせる。
幼き子はこのデヴァイスを持つ意味が分からないだろう。
分からないだろうと、成長するとともに正しい使い方を覚えて欲しい。
「おれたちの子だ。きっとできる。そうEATRでさえ救うことが――」
獣の咆哮が響き、部屋自体が揺れたことに男性は顔をしかめた。
「……くっ、気づかれたか」
男女は互いに頷き合えば、コンソールへと走り、目にもとまらぬ速さで指を叩きつけている。
優雅なピアノとは程遠い正確無比なタイピングだった。
「空間転移軸OK、次元障壁突破可能だ」
「こちらも転移エネルギーの充填完了を確認したわ。これなら行ける」
「元々はこの世界から別世界へと避難するために開発された並行世界転移装置……よもや子供を逃がすために使用することになるとは……」
「子供の逃がすんじゃない。子供を生かすの」
女性の目に迷いはなく、あるのは慈愛の決意だった。
「そう、だったな……こんな時でも女は強いな」
「急ぎましょう。EATRもすぐ近くまで迫っているわ」
「EATRの正体がヨミガネたる人造兵器であると突き詰めたが、ここに来て大規模な攻勢に打って出るとは。後三日あれば緋陽機の量産が整うというのに」
「だからこそ攻めてきたんでしょう。このシェルターも長くはないわ」
『雨津夫婦、まだここにいるかい?』
青白き粒子が人型へと集い、透過する少女となる。
少女は紛れもなくゴースト・ゼロであった。
「ヒメ、丁度いいところにきたわ。状況は?」
『キミたち以外、誰ももう生きていないよ。君たちといがみ合いながらもなんだかんだで仲の良かった根方夫婦もね。それよりもEATRが一匹、こっちに近づいている。この部屋に後三二秒で辿り着くよ』
「ならこの子を――イザミをお願いしていいかしら?」
『観測機のAIであるボクにできるのは精々見守る程度だよ?』
「それでも構わないわ」
『分かった。ボクはボクなりに役目を果たさせてもらうよ』
「ありがとう」
『ありがとう、か……人間は不思議だ。ただ作られた目的を果たす機械に無用なお礼を言う。でも、その感情たるシステムはいいものだ』
「二人とも無駄話は後だ」
貪る金属はすぐそこまで迫っており、この部屋に突入するのは時間の問題だ。
「イザミ、あなたは私たちの最後の希望よ」
女性は愛しき我が子の頬にキスをし、カプセルを閉じる。
「愛しているわ」
部屋にEATRが飛び込んできたのと転移起動スイッチが押されたのは同時だった。
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