第20話 ゴリラフィッシング

 馬の放牧地に近付き、柵の外から馬を観察する。乾には既に釘を刺しておいたから、チンチンに対して大声で騒ぎ立てるような事はしなかった。それでも、もし俺が「熊井は多分下ネタが嫌いだ」と忠告していなかったら、乾のことだからお構いなしに、チンチンを指差して笑っていたかもしれない。

 それを通り過ぎ、更に坂を登ると渓流釣りができる場所に辿り着いた。自然の川ではあるが、仕切りの中に魚が放されているので、実質は釣堀だ。すぐ近くにはバーベキュー場とレストランもある。


「よーし。昼飯はバーベキューと魚の塩焼だな」


「いいね。賛成~」


 それは美味そうだな。後藤さんと熊井も異論は無いようだ。早速受付で釣竿と餌とバケツを借りた。川を覗き込むと、大量のニジマスが泳いでいるのが見える。5人それぞれバラけて配置につき、餌を取り付けた釣針を川へと投げ込んだ。


「はいきたーー」


 雉田が早速引っ掛け、釣り竿を一気に引っ張る。活きのいいニジマスがピチピチと跳ねながら水面から飛び出し、バケツの中へと吸い込まれていった。乾と後藤さんもすぐに後に続く。釣堀なだけあって、食い付きはいいようだ。

 だが、俺の釣針には未だに手応えが感じられない。眼中にないとでも言うのか。いや、違う。よく見ると針までは食い付かず、餌だけを器用に毟り取られている。魚にまでナメられるとは……。

 俺が手をこまねいている間に、乾達は次々と釣っていく。後藤さんなどもう5匹目だ。本当に彼女は何をやらせても上手くこなす。

 熊井に視線を移すと、熊井も俺と同様まだ1匹も釣れていなかった。というより、釣針を川に投げてすらいない。どうやら餌を針に付けるのに手こずっているらしい。しかも追い打ちをかけるように糸がこんがらがっている。俺より不器用な奴がいてホッとした。

 それに気付いた後藤さんが、熊井をフォローし始めた。糸をほどき、餌を取り付け、後藤さんが指差す場所へ熊井が釣針を下ろす。すぐに魚が食い付き、後藤さんの合図と同時に熊井が釣り竿を引っ張り上げる。あっさりと……実にあっさりと1匹目を釣り上げた。一体どうなっているんだ。

 俺も後藤さんに教えてもらうか? いや、駄目だ。勉強ならともかく、アウトドアな事を女の子に教えてもらうなど、男として恥辱だ。必ず自力で釣るんだ。1匹でいい。せめて1匹は絶対に釣ってみせる……!







「いや~……ある意味すげえわお前。釣堀で1匹も釣れないなんて事あるんだな」


「……」


 まるで悪い夢を見ているかのようだ。恐れていた事がこうも簡単に現実の物となるとは。


「あ、あの、猿山君。私が釣った魚、好きなだけ分けてあげますから。気を落とさないで下さい」


「はは……ありがとう後藤さん」


 乾いた笑いしか出てこない。好きな女の子に慰められた上に食べ物まで恵んで貰うなんて、情けなくて死にたくなってくるな。多分今の俺の目は、バケツの中でぷかぷかと力無く浮かぶこいつらと、同じような目をしているに違いない。


「梨央、甘やかしちゃ駄目だよ。付けあがるから」


「もう、そんなつもりじゃないったら」


 もういい、忘れよう。切り替えるんだ。それよりバーベキューを楽しむ事を考えるんだ。雉田がレストラン内でバーベキューセットを買い揃えている間に、乾が慣れた手つきで魚を捌いていく。今時のパティシエは、板前の真似事も出来るのか……? そして内臓を除去して塩をふんだんに塗す。串を口から差し込んで魚の形をS字にして、1匹ずつ網に乗せて焼いていく。


「うわっ……美味そ」


 熊井がボソッと呟くと、乾が更に調子に乗り始めた。オーバーアクションで格好つけながら、更に手早く魚を乗せていく。もちろん熊井はそんな乾は眼中になさそうだが。


「おっ、いい匂いじゃん」


 雉田がバーベキューセットの大皿を持って戻ってきた。肉や野菜が大量に乗っている。魚もあるのに、こんなに食い切れるのかと思ったが、その心配はない事をすぐに思い出した。後藤さん1人で5人前6人前は軽くいけるからだ。

 肉と野菜も適当に並べ、焼けた物から各々が自分の小皿に取り分けていく。口の中は既に唾液が大洪水を起こしている。逸る気持ちを抑えつつ、早速後藤さんから頂いた魚を一口……。


「……うまい!」


「美味しい!」


「うん、これは美味い」


 乾のこの日一番のドヤ顔が炸裂した。


「だろお? 苦みのある内臓を完璧に取り除いて、尚且つこの絶妙な塩加減だ。美味くないワケが無いんだよなぁ。熊井ちゃんはどうよ?」


「……ふ、ふん。まあまあいけるじゃん」


 つまりめちゃくちゃ美味いという事だ。表情を見れば一目瞭然だ。乾を素直に褒めたくない気持ちは俺もよく分かる。

 肉と野菜も絶品だ。空気が綺麗な山の上で、青空の下で食べるバーベキューの美味さは、日常では絶対に味わえない。釣りでの屈辱などは、俺の中でとうに消えていた。


「いやー、生きた羊を見ながら食べるラム肉はまた絶品だな。正にここは新鮮な食材の宝庫だ」


「乾君、嫌な事言うなぁ……」


「馬鹿言え。俺はこうやって、俺の血肉となってくれる食材に感謝しながら食べてんだよ」


「そんな風には見えないけど」


 あれだけ山盛りになっていた食材が、気付けばもうほとんど無くなっていた。散々歩き回って腹が減っていたというのもあるが、単純に美味い物はいくらでも胃の中に入るという事だ。

 遠くの方に見える羊の放牧地で、シープショーが始まっていた。白と黒のパンダのような模様の牧羊犬……確かボーダーコリーとかいう犬種だったか。牧羊犬に適した、世界一頭のいい犬種だとか。調教師の指示に完璧に従い、自分よりも遙かに大きい羊の群れを、見事に誘導して動かしている。


「へえ~、賢い犬だねぇ」


 雉田がラム肉を頬張りながら感心して言った。


「ああ、大したもんだ。多分乾より頭いいぞ、あの犬」


 俺も雉田に同意して言った。


「んだとお? 釣堀で1匹も釣れねえ間抜けには言われたくねえなぁ!」


「う、うるさい! せっかく忘れてたのに蒸し返すんじゃねえ!」


「ちょ、ちょっと! お2人共喧嘩は止めてください!」


 後藤さんが慌てて割って入ってきた。俺も乾も、頭に疑問符が浮かぶ。何をそんなに慌てているんだと。

 そうか……純粋な後藤さんには、俺達が本気で怒っているように見えたのか。この程度の言い合いは、俺達にとっては日常茶飯事だ。本気で喧嘩する事など滅多にない。


「えと……すいません。余計なお世話だったでしょうか?」


 後藤さんもどうやら空気を察したようだ。まあ、紛らわしい事をした俺達が悪い。俺達はわざとらしく肩を組み、仲直りのポーズを取って見せた。



 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎていく。その後俺達は、子豚のレースを観賞したり、動物への餌やり体験をしたり、羊毛でのアクセサリー作りなどを楽しんだ。夕方になり、日も落ちてきた。閉園時間も近い。

 お土産コーナーでそれぞれのお土産を買い、今日1日酷使したせいか痛む足を駐車場に向ける。車に乗り込む時には、既に辺りは真っ暗になっていた。


「ふい~、つっかれたな-。まあ俺はこれから帰りの運転っていう最後の大仕事が残ってるわけだが」


「……まあ、俺達には頑張ってくれとしか言えないな。代わってやるわけにもいかねえし」


「乾君、すみません。よろしくお願いしますね」


「あいよ。任しとけって」


 乾が気合いを入れ直し、イグニッションキーを回した。エンジンがかかり、車は駐車場を出て帰路に着いた。何とも充実した1日だったな。流石に疲れたが、明日は日曜日だ。家に帰ったら、思う存分寝かせてもらうとしよう。

 走り始めて数分。車が徐々にスピードを落とし始め、やがて停車した。赤信号……ではない。こんな山の上の道路に、そんな物はない。前に障害物があるわけでもない。何故止まった?


「おい、乾どうした?」


「…………ゴホン」


 乾がわざとらしく咳払いをした。


「え-、諸君に残念なお知らせがある」


「は?」


「ガス欠だ」

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