第15話 banana1224

 俺は大きく深呼吸した。台詞まで指定したのは、晴香なりの気遣いだろう。今は用意された台詞でいい。だが、いつか本当に告白する時は……俺自身の言葉で伝えよう。


「後藤さん……」


「は、はい」


 他の6人の視線が一斉に集まる。俺はもう一度息を吸い込み、怯んでしまう前に一気に言葉と共に吐き出した。


「……あなたの事が好きです! 俺と付き合ぶっ!?」


 突然俺の顔面に何かが着弾し、その台詞は遮られた。これは……ケーキか? 目の周りの生クリームを拭うと、視界が開けた。一体誰がこんな事を……。


「えっ、熊井ちゃん何やってんの!?」 


 烏丸さんが驚きの声を上げた。熊井がケーキを投げつけてきたのか。熊井は小悪魔のように舌を出した。


「あ、ごめーん。手が滑っちゃったぁ」


 どんな風に手が滑れば、俺の顔面にケーキが飛んでくるんだ。絶対にわざとだ。まさかこんな強硬手段で妨害してくるとは思わなかった。熊井は悪びれる事もなく、小皿に残っていたケーキを口にした。普段は温厚な俺だが、ここまでされたら流石に怒りが湧いてくる。

 しかし、熊井の様子が何かおかしい事にもすぐに気付いた。顔が見る見るうちに赤くなり、目が泳ぎ始めた。しゃっくりが止まらなくなり、最後にはコタツの上に突っ伏し、そのままイビキをかき始めてしまった。


「な、何? 熊井さんどうしたの?」


 雉田が心配そうに肩を叩くが、起きる気配がない。その時、後藤さんが何かに気付いた。


「あの、乾君。もしかして、このブルーベリーケーキってアルコール入ってます?」


「ん? ああ、隠し味に洋酒がちょびっとだけ混じってるけど…………え、まさかそれで!?」


「ごめんなさい。前もって言っておくべきでした。月乃って、物凄くアルコールに弱いんです」


「よ、弱いったって……。アルコールなんて加熱したらほとんど飛んじまうんだぜ? ケーキのアルコールで酔っ払う奴なんて初めて見たぞ」


 現に、他にもブルーベリーケーキに手を付けた者はいたが、当然誰も酔っ払ったりなどしなかった。ここまで極端に弱いなんて逆に凄いな。

 その時、誰かが部屋をノックした。そのまま入ってきたのは、乾のお母さんだった。


「お楽しみ中ごめんなさいね。もう遅いし、終電なくなる前にそろそろお開きにした方がいいわよ。後片付けは全部やっておくから……って、浮夫君どうしたのその顔」


「あ……はは。いや、何でもないっす」


 結局、告白はうやむやのまま終わってしまった。まんまと熊井にしてやられたというわけだ。

 各々帰り支度を終えるが、熊井は未だに夢の中だ。さてどうしたものかと、俺達は悩む。このままこの部屋に泊まっていけばいいという乾の提案は、当然の如く満場一致で却下された。


「あの……私が月乃をおぶって帰ります。今晩は私の家に泊めさせますから」


 まあ……それが最も平和的か。後藤さんは軽々と熊井を背負い立ち上がった。後藤さんにとって、人1人の重さなどどうという事はないのだろう。


「おい猿山。女の子だけで夜道を歩かせるのは危ねえ。お前駅まで送っていってやれよ」


「えっ?」


「そうだね、そうしなよ兄貴。あたしは先に1人で帰るから」


 なるほど……。乾も晴香も、駅までの道のりでもう一押ししておけと言っているのだろうな。


「じゃあ、僕達はこれで。おばさん、ケーキ美味しかったです」


「またいつでも遊びにいらっしゃい」


「はい。ご馳走様でした~」


 雉田達も駅までは同じ道を歩くはずだが、空気を読んでくれたのか、先に行ってしまった。皆して応援してくれるのはありがたいが、何となく小っ恥ずかしい。


「じゃあ、行こうか後藤さん」


「はい。お願いします」


 乾のお母さんに挨拶してから、階段を降りる。店は閉まっているので、裏口から外に出た。来た時も寒かったが、この時間は更に冷え込んでいる。それを受けて、俺は後藤さんを気にかけた。ゴリラは熱帯地方に住むから、寒さにはあまり強くないはずだが大丈夫なのだろうか。しかし後藤さんは、それほど厚着しているようにも見えないのに、平気な顔をしていた。

 ……当たり前だろう。後藤さんはゴリラじゃないんだから。未だに後藤さんがれっきとした人間だという事を忘れそうになる。

 頼りない月明かりに照らされた夜道を、俺は自転車を押しながら、熊井を背負った後藤さんと並んで歩く。駅まではそれほど遠くはない。何か……何か話さないと。


「猿山君」


「えっ、あ、何?」


「今日はとても楽しかったです。あんなに笑ったの久しぶりかもしれません。誘ってくれてありがとうございました」


「いや、後藤さんこそ来てくれてありがとう。最近ずっと受験勉強ばかりだったから、いい息抜きになったよ」


 俺が話題を探していると、大抵後藤さんが先に話し掛けてくれるのだ。俺ももっとしっかりしないとな……。


「話変わりますけど、月乃の事、あまり怒らないであげてくださいね。きっと、酔って気が強くなっちゃったんだと思います」


「ん。ああ、別に怒ってないよ」


 後藤さんは分かっていない。酔っていようがいまいが、熊井にはあの場でああする動機がしっかりとあるのだ。ゲームとはいえ、俺の告白を万が一にも後藤さんが本気で受け止めてしまう事を恐れたのだろう。


「こんな話、猿山君にしていいのか分かりませんけど。月乃は……本当はあんな事するような子じゃないんです。普段は突っ張ってますけど、本当は凄く気が小さいんです」


「えっ……」


 熊井が? 全く信じられない。勉強は真面目にしているとはいえ、熊井は見た目も喋り方も不良少女そのものだ。常に俺を敵視し、もし俺が後藤さんに何かしようものなら、野犬のように噛み付きそうな気配を醸し出している。


「月乃……小学校と中学校で、よく男の子達にいじめられてたらしくて、あまり男性に対していい印象がないらしいんです。それで高校に入る直前に髪を染めて、舐められないようにワルっぽく振る舞うようにしたみたいです」


「そうだったのか。だからいつも俺に突っかかってくるのかな」


 まあ1番の理由は、後藤さんを好きになってしまった俺が邪魔なんだろうけどな。元々男嫌いだが、その中でも特に俺の事が嫌いなのだろう。


「……えと……まあ、そうかも……しれないですね、はい」


「どうしたの?」


「いえ、何でもありません」


「……?」


 もしかして、後藤さんは熊井の自分への気持ちに気付いているのか? 後藤さんの態度からは、その真意までは読み取る事が出来ない。

 街灯やコンビニなどが増えてきて、道が明るくなってきた。駅が近付いてきたのだ。


「1年生の時の最初の頃、クラスの皆が私を怖がっていたのは分かりました。私もそれは慣れっこでしたけど、やはり独りは寂しいものです。そしてある日、月乃が私に声をかけてくれました。一緒にお昼ごはん食べない? って」


 そういえば以前雉田が言っていた。1人の女子が後藤さんに話し掛けたのをきっかけに、後藤さんはクラスの皆と打ち解けるようになったと。それが熊井だったのか。 


「凄く嬉しかったです。その日から今まで、月乃は私の1番の友達です。そしてきっと、これからもずっと。月乃は私が知っている誰よりも優しい子です。ただちょっと臆病で、周りに強く当たってしまうだけなんです」


「大丈夫だよ。熊井に多少何か嫌な事言われたぐらいで、別に俺は気にしたりはしない」


「はい。ありがとうございます。猿山君もとても優しい人です」


 その言葉に、俺はドキッとした。後藤さん、それは違うよ。誰よりも優しいのは、君なんだ。

 誰もが驚き、怖がり、距離を置きたくなるような、そのゴリラのような容姿。きっと今まで辛い思いや寂しい思いをしてきたのだろう。普通なら心がねじ曲がり、周りの人を憎み、そんな容姿で生まれてきた自分の運命を呪ってもおかしくはなかった。

 しかしそれでも君は、自分を差し置いてまで他人に優しくする事が出来た。そんな事が出来る人間が、果たしてどれだけいるだろうか。


「猿山君。駅ももうすぐそこですし、ここまでで大丈夫です」


「そ、そうか。ていうか本当に熊井おぶったままで大丈夫? 俺がおぶるわけにはいかないけど、鞄ぐらい持とうか?」


「全然平気です。月乃の体重なんて、私の半分もないんですよ」


 ……リアクションに困る。笑っていいのかどうなのか。後藤さんは笑ってるから、とりあえず俺も笑い返しておこう。


「それじゃあ……」


「あっ、ちょっと待って!」


 忘れるところだった。俺はまだ、今日の最終目標を達成していない。


「はい?」


「あの……もし良かったらでいいんだけど。連絡先、交換してくれないか? いや、不都合だったらいいんだ、ホントに」


「……」


 後藤さんは、キョトンとした顔をしたまま動かない。やはり駄目か? 流石に連絡先の交換ともなると、抵抗があるのだろうか。


「……いいですよ」


 後藤さんが鞄から携帯を取り出し、ニコリと笑った。その時、俺の中で季節外れの花火が弾けた。やった! 遂にやったぞ! リア充からしてみれば、こんなのは別に大した事ではないのかもしれない。しかし俺にとっては、初めてスタートラインに立ったような出来事なのだ。

 俺も震える手でポケットから携帯を出した。震えているのは、決して寒さのせいなどではない。お互いの電話番号とメールアドレスを交換。後藤さんのアドレスは、banana1224だった。思わず笑ってしまいそうになる。ん? 1224……?


「後藤さんの誕生日って、もしかして12月24日?」


「はい、昨日18歳になりました」


「そうだったのか。1日過ぎちゃったけど、おめでとう。知ってたら何かプレゼント持ってきてたんだけど」


「お気持ちだけで充分です。じゃあ、そろそろ電車来るので」


「ああ、引き止めてごめん。帰り気を付けて」


「はい。それじゃ、また……」


 後藤さんが歩き出し、改札を抜けた。俺はその姿が見えなくなるまで見送ってから、自転車に跨がってペダルを踏み込んだ。長かったような、あっという間だったような、そんな2時間半だった。何だかんだで緊張しっぱなしで疲れたし、ケーキの食べ過ぎで腹も苦しい。早く帰って寝よう。

 冷たい夜風に全身を包まれながら自転車で走る事30分、我が家に到着した。靴を乱暴に脱ぎ散らかしてリビングに入り、保温ポットに残っていた温かいお茶を啜り、ようやく一息つけた。


「兄貴、お帰り。どう? 何か進展あった?」


 晴香が2階の自室から下りてきていた。そして俺に期待の眼差しを向けてくる。


「ああ。連絡先の交換出来た」


「おおお、やるじゃん! それじゃあ何? 今度デートにでも誘っちゃう?」


 デート……いい響きだ。その言葉だけでいろいろな事を妄想してしまう。しかし、俺はその誘惑を振り払った。


「いや、入試までもう時間がない。遊ぶのは今日で最後だ」


「そっか。まあ、頑張んなよ」


「おう。あと、今日はいろいろありがとな」


「な、何だよ改まって。礼なんていいって。あっ、無事付き合えたら成功報酬はもらうけどね!」


「分かってるよ」


 付き合えたら……か。何だか夢のような話だな。まだまだ現実味がない。俺はそんな事を思いながら、リビングを出て階段に足をかけた。


「あっ、待って兄貴。1つだけ気になった事があったんだけどさ」


「ん?」


「あの熊井さんって人なんだけど。あの人ってさ……」


「うん」


「……いや、やっぱいいや。何でもない」


「なんだよ、変な奴」


 晴香はそのまま何も言わず、風呂場へと入っていってしまった。結局何が言いたかったんだ。まあいい。俺もいい加減眠い。今日はゆっくりと休んで、明日からの受験勉強ラストスパートに備えるとしよう。

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