第22話『約束の朝-後編-』
午前10時15分。
俺と琴音は予定通りの時刻に金崎駅のホームに降り立ち、慣れない場所ではあったが他の人が作る流れに身を任せて無事に改札を出ることができた。
さて、ここから白鳥女学院まで徒歩5分。10時35分から3時間目の授業が始まるので十分に間に合うだろう。
「授業参観があるからでしょうか? 人が多いですね」
「そうだな。高等部の方も授業参観があるみたいだ」
「白鳥女学院は中高一貫校ですからね……」
歩きながら周りの様子を見てみると、やはり、1番多いのは生徒の両親だと思われる男女2人組。次いで多いのは女性数人のグループ。いわゆるママさん友達というやつだろうか。そして、俺や琴音のような学生でしかも男女2人という組み合わせはどこにも見あたらず。
「やっぱり私達目立ってしまいますか? 私は制服姿ですし……」
「まあ、妹の授業参観を兄貴とその友達が来るのは珍しいと思うけど……別に変なことじゃないし気にしなくて大丈夫だと思うぞ」
「そうですよね。妹さんの授業参観に来ているんですもんね。妹さんのお名前は?」
「明日香だ。今日明日の明日と、香るっていう字で明日香」
「可愛らしいお名前ですね。大輔君みたいに髪の色が水色なんですか?」
「……いや、明日香の髪の色は明るい茶色だ。ちなみにここに勤めている姉さんは黒。何で俺だけ髪が水色になるのかね……」
突然変異でも起こったんじゃないだろうか。
「か、かっこいいと思いますよ! 水色の髪の人なんてそうそういませんし……」
「確かにいないだろうな」
3年前の事件より前は特にこの髪の色について言われなかったのに、あの事件以降は色々なことを言われた。実は非行に走っていて頻繁に水色のトリートメントで染めているんじゃないかって。
「琴音が羨ましいよ。黒くて艶もあるし。特に癖がない状態のロングヘアだし。まさに大和撫子って感じがする」
「そんなことを言っても何も出ませんよ、と言いたいところですけど……微笑みながらそう言われると、何か出さないといけない気がします。大輔君が望むものなら私、体を張ってでもお出しします!」
と言いつつ、琴音は少しずつ顔を近づけている。何とも言えない上目遣いのおかげで俺の視線が琴音の瞳の方にしっかりと固定させられる。
まさかとは思うけど、一昨日の昼みたいに琴音をあっちの方向に動かす引き金を引いてしまったということはないよな? 雰囲気がその時と類似している。
いつの間にか俺の握っていた琴音の右手が放されていて、彼女は右腕を俺の左腕に絡ませている。その所為で彼女の豊満な胸が腕に当たっているし。
「大和撫子という言葉が似合うと思ったのは本当だけど、だからと言って特に琴音から何か褒美を得たいがために言ったわけじゃなくて……」
「遠慮しなくても良いんですよ? それなら私から大輔君にご褒美を……」
「いやいや、その気持ちだけで十分だ。それにここは公共の場で……段々と周りからの視線が集まってきているんだよ」
「……えっ?」
琴音が立ち止まったので、ここで一旦ストップ。
ちなみに今の俺と琴音の顔は互いの吐息の温もりが分かるくらいに近い。
おそらく、注目を集め出したのは琴音が腕を絡ませた時からだ。千葉県にある夢の国に行く途中ならまだしも、今は白鳥女学院の方に向かっている途中の道だから、学生の男女2人がこうして密着し合っているのは異様な光景と言えよう。魅惑の美貌を兼ね備える琴音がするなら尚更だ。
また、琴音は周りを見渡すと、恥ずかしそうにそっと俺から離れた。どうやら、今の状況が飲み込めたみたいで。
「……ご、ごめんなさい。私、また気を乱してしまって……」
「いやいや、気にしなくていいさ」
おそらく、俺が原因だと思うから。
「彼女でもないのに大輔君と腕を組んでしまうなんて……」
「別に俺は悪く思ってないし。ほら、学校までもう少しだけど……手を繋ごう」
「……大輔君は優しいですね。お言葉に甘えちゃいます」
一瞬だけど、今の琴音が杏奈と重なって見えた気がした。
再び手を繋ぎ、俺と琴音は白鳥女学院の方へ歩き始める。既に白鳥女学院の校舎らしき大きな建物が見え始めているのであと少しだろう。
「そういや、琴音は兄弟とかはいるのか?」
「あっ、はい。妹が1人いまして」
「へえ。学年は?」
「中学二年生です。私に似ていて、妹も白鳥女学院に受験しようか迷っていたらしいんですが、友達と離れるのが嫌だったらしくて、今は公立の中学校に通っています」
「小学校から中学校に進学するときは、大抵は地元の中学に行くからな……」
中学受験なんて俺は考えたこともなかったな。あの頃は桜沢西中学のサッカー部に入って全国に行ってやる、という気持ちが何よりも強かったから。
「でも、琴音や妹さんならどこか私立の中学に通っているイメージがあったけど公立中学に通っているなんて意外だな」
「両親も地元の人との繋がりを大切にしなさい、と言いまして」
「良い考えの持ち主だ」
1年前、明日香に白鳥女学院を受験したいと言われたとき、受かるかどうかよりも小学校の友達と離れることで寂しくならないかということで心配になった。今の明日香を見れば、白鳥女学院に入学して良かったと思えるけど、3年前の事件があったせいか俺はそんなところでずっと不安を抱いていた。
「いつか私の家に来てください。その時に紹介したいので」
「ああ、楽しみにしてるよ」
「はい。……ところで、大輔君」
「どうした?」
「あのリムジン……もしかして片岡君の家のでしょうか?」
琴音の指差す先に、黒塗りの高級車がちょうど停車するところだった。今まで見たことのないようなデザインだし、運転手の方らしき人が左側の方に乗っているし……これは海外の高級ブランドだろう。
そして、そのリムジンの右側には白鳥女学院の正門。もうこれはほぼ間違いなく片岡家のリムジンだろう。リムジンで送ってもらうと片岡も言っていたし。
「間違いなく片岡の家のものだろうな」
俺と琴音は人の流れから外れ、リムジンの近くで立ち止まる。
「到着しました。瑞樹坊ちゃま」
「うん、どうもありがとう」
小さかったけれど、そのような会話が聞こえた後、黒スーツを着た男が後方のドアを開ける。
すると、中からカジュアルな服装の片岡が出てきた。青いデニムのジーンズに上は白いワイシャツに黒い革のベストを着ている。
「おはよう、荻原君、柊さん」
「おう、おはよう」
「おはようございます、片岡君」
俺達が挨拶を交わしている間にリムジンは早々と走り去った。
「あのリムジン、やっぱりお前の家のものだったのか」
「うん。授業に間に合うかどうか心配だったけど、どうやら大丈夫だったみたいだね」
「俺達も今来たところだ」
「そうか。それにしても、2人は仲睦まじい感じに見えるね」
片岡は相変わらずの笑顔である一点を集中して見ている。
「あっ……なるほど」
繋がれている俺と琴音の手のことか。
「何かおかしいか?」
「手を繋いでいること自体には何にも言わないけど、どうしてそうなったのかちょっと気になるね」
「私が大輔君に手を繋いで欲しいと言ったんです。片岡君も知っている通りこの前、数人の男性の方々に襲われそうになったので」
「ああ、それって荻原君が柊さんを助けたエピソードだね。当事者じゃないけれど、その話には僕も心がほっこりするよ」
琴音が無事という意味ではほっこりできるのかもしれないけれど、全ての内容がほのぼのとしているわけじゃない。意外と片岡は終わり良ければ全てよし主義なのかな。
「それで、またあの時のような目に遭いたくないという理由で、ここに来るまでずっと手を握ってもらっていたんです」
「へえ、僕の思った通り荻原君は紳士的な人だったんだね」
「何一つ嫌な顔をせずに快く握ってくれたんですよ。……大輔君、私のためにありがとうございました。途中、ちょっと粗相をしてしまいましたが」
「琴音に対してできることがあれば、と思ってしただけだ。それにさっきのことはあまり気にするな」
「はい……ありがとうございます」
そう言うと、琴音はゆっくりと手を離した。
「羨ましい話だね。僕は久しく女性と手は繋いでいないよ」
「……例の許嫁とは繋がないのか?」
「中学生になったぐらいからかな。きっと、彼女も成長してきて色々と恥ずかしくなったんじゃないかって思ってる。小学生の時は彼女と結構手を繋いでいたのだけれど」
爽やかな笑顔でそう言うってことは、手を繋げなくなったことにさほどショックは受けていないんだな。中学生というと思春期の真っ只中にいるわけだし、異性と手を繋ぐことに躊躇いを持ってもおかしくない。普段と変わらない雰囲気で話すのだから、片岡はそのことを受け入れているんだ。こいつ、意外と寛容な奴かもしれない。
「でも、女性を守るために快く手を繋ぐ男性なんてあっちでも出会ったことはないよ。これはちゃんとメモをして覚えておかないと」
と言って、片岡は懐からメモ帳と黒いボールペンを取り出す。公私関係なくこの2点セットは常備しているわけか。
「……よし、これで大丈夫かな」
「相変わらず勉強熱心な奴だな、お前って」
「何度も言っているように、僕は荻原君から日本人の男としての何たるかを教わる気持ちでいるからね。荻原君と会うとなれば何時でもメモを取れる環境を整えておかないと思って」
その前向きな姿勢にむしろ俺の方が敬意を表したいところだよ。
周りを見ると白鳥女学院に入っていく人の数が減ってきている。時計を見てみると針が10時25分を指している。
「あと10分で3時間目が始まる。急いで明日香のクラスの教室へ行くぞ」
「そうですね」
俺と琴音、片岡は白鳥女学院に足を踏み入れたのであった。
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