第513話維摩VS光厳童子
弥勒菩薩にも維摩への見舞いを断られた釈迦は、次に光厳童子に頼んだ。
(尚、光厳童子は子供ではなく、強烈な求道心を持った修行者である)
しかし、その光厳童子も、釈迦の依頼を断ると言う。
「すみません、師匠」
「私が昔、毘耶離大城(びやりだいじょう)を出ようとした時のことなんです」
「あの維摩さんが大城に入ろうとして、ばったりと出会ってしまったのです」
「私が維摩さんに聞いたんです」
「維摩さんはどちらから来られたのですかと」
「そうしたら維摩さんは、私は道場から来ましたとの答え」
「てっきり、それは師匠が悟りを開いたブッダガヤの道場と思いまして」
「いやはや、随分遠い所から、と思ってしまったのです」
「ところが・・・それが大きな間違いだったのです」
「維摩さんが言った道場とは、そんな現実で具体的な場所ではなかったのです」
「つまり、ありとあらゆるものが、道場ということ」
「生活全般、行住坐臥の一切が道場との意味だったのでした」
特定の場所でしか修行が出来ないと考えるのは、大きな間違いであって、それそのものが、執着の極み。
日々のどんな状態であっても、修行である。
そのため、生活そのものが道場、生きていくことが道場になる。
さて、またレベルが違う話になるかもしれない。
仏像などに表現された如来の衣装とか菩薩の衣装とか、それについても神聖なものとして、あがめ奉れと教えるお寺や僧侶たちが多い。
しかし、仏像の衣装は、インド古代の衣装に基づくものである。
如来は、今のインド女性が着るサリーの着付けとよく似ている。
菩薩は、釈迦が王子であった頃の華やかな服装。
十二神将などの天部は、釈迦が王子であった頃の家来や侍女の衣装をモデルとしている。
また、それについては、有名な仏師が、インド古典舞踊を鑑賞し、実際に舞踊の団員に話を聞き、確認した話である。
そうなると、過去連綿と聞かされてきた仏像衣装の神聖説が、いささか怪しくなる。
そもそも、インドの古代衣装を特定して、神聖視するのはおかしい。
そんなことを教えるお寺や僧侶たちは、それこそ、モノに執着していることを、自ら語っているとは思わないのだろうか。
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