第510話維摩VS羅喉羅

維摩への見舞いを、次々に辞退された釈迦は、とうとう自身の子供であり、持戒密行第一と言われた、羅喉羅に維摩への見舞いを指示する。

しかし、我が子羅喉羅も、維摩への見舞いを辞退したいと言ってきた。


羅喉羅の言い分としては、

「昔のことです、ヴァイシャリー城の長者の子供が、私の前に来て聞くんです」


「あなたは、釈迦様の本当のお子様でしょう」

「そのまま出家などしなければ、転輪聖王と言う王様の位を継ぐお人」

「それを何故に、出家などしたんですか?」

「出家とは、王様の位よりも、素晴らしい何かがあるのですか?」


私は、それに対して、

「いや、世間における楽しみなどは、長らく楽しむことなど、難しいんです」

「出家の場合は、無為を楽しむことができるので、とにかく、どれほど優れた功徳があるのか、と言うことを説明したのです」


「そこまで話を進めた時でした」

「あの維摩さんがやってきて、叱るんです」


「おい、羅喉羅さん」

「あんたね、出家の功徳なんて、どうして説けるの?」

「出家の功徳を説いてはいけないのではないかね?」

「得をするから出家で、しないから世俗に留まるって何事?」

「出家には、利益もなく、功徳もない、それが真の功徳なのさ」

「出家の場所は、心の中にある」

「心の中のたくさんの魔物を滅ぼし、余計な屁理屈を捨てて、名声も名誉も関係ない、自分の心の中だもの」

「全ての執着を絶つと言うこと」

「そもそも、出家とは、家を出るってことではないよ、心の執着を捨て去るってこと」


形式的に出家をして、僧侶の容姿となり、僧侶の戒律や理論を学んだところで、心の中が執着だらけでは、真の出家とは言えない。

真の出家とは、心がまっさら、空っぽになること。

心が空っぽであるのだから、功徳も悪徳もない。


その維摩さんの理論で言えば、僧服を着て、金集めと名誉を高めることに奔走する僧侶(現代でも、ほとんど)は、どのような存在なのだろうか。

出家のフリをした、単なる職業お経読みアナウンサー。

しかも、求めるのは法外な経読み代金、支払う人の苦しみなどは、どこふく風。

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