第460話石仏の話(73)
手を頬にあてた仏は、思惟観音と言われるのが基本。
だいたいは右手を頬にあてるけれど、まれには、左手をあてているものもあるようだ。
また、観音と呼ばれず、「歯痛地蔵」と呼ばれている場合もある。
仏典などあまり読む機会もなかった庶民にとっては、石で彫られたものは、全て地蔵様となったのかもしれない。
ただ、それは、それでいいと思う。
たいせつなことは、拝む対象があること。
あまり信仰に理論付けを持ち込むべきとは思わない。
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