第34話 蒲田未来堂

 蒲田の駅を降り、五丁目の信号を過ぎるとあやめ橋にぶつかる。そこを左に折れ小さな路地を少し入ると、その店はあった。

 「こんなところに店なんかあったかなあ?」

 私は、新しくできたであろうその小さな店の前で歩みを止めた。

 その店には看板らしきものがない。表札ほどの小さな木の板に、クレヨンのようなもので『蒲田未来堂』とだけ書いてある。

 店の外からは、この店がいったい何を売っているのか、はたまた、何の類の店なのか見当もつかない。


 しばらくの間、入り口で次の一歩が出ないでいると、ひとりの女性が私の横をすり抜けてその店の扉を開いた。

 私は半分閉まりかかった扉の隙間から、必死に中を覗いてみようと首を伸ばした。ところが意に反して、扉はさらに大きく開けられた。

 中から、そんな私に気付いたのか、この店の店員が扉を開けてくれたのだ。

 私は自分の意志とは関係なく、この『蒲田未来堂』なる店の中へと招かれたのである。


 中では先程の女性が、何やら真剣な表情で別の店員とやりとりをしている。

 私は店の中をぐるりと見回した。

 店の正面には小さなカウンターがあり、隣同士がついたてで仕切られている。その奥には無数のファイルが並んでいる。背表紙に文字が書かれているが、ここからは読みとることができない。


 そんな中でひとつ異様な雰囲気を醸し出しているのが、左右両方の壁一杯に吊された様々な人間のレプリカである。

 右側には、長島茂雄に石原裕次郎、有名な政治家もあれば若手の歌舞伎俳優のもある。何とジャンアント馬場まであるではないか。そうかと思えば、まったく見ず知らずの一般人までが所狭しと吊されているのだ。

 左側には女性のそれが。私には名前がよくわからないが、吉永小百合ぐらいは見分けがつく。

 

 私が呆気に取られていると、後ろからひとりの店員がボソっと声をかけてきた。

 「こんな世の中が嫌になったのですか?」

 「・・・・・」

 私が返答に困っていると、店員はなおも尋ねてきた。

 「どなたにお成りになりたいと思ってらっしゃるのですか?」

 「どなたに?・・・」

 さすがに、この店員も私がこの店のシステムについて何も知らないと分かったのであろう。店員は私を手招きすると、先程の女性の隣へと導いてくれた。

もちろん隣の女性とは不透明なガラスのついたてで仕切られてはいるのだが、声だけはハッキリと聞くことが出来る。


 私は目の前の店員と話す振りをしながら、耳だけはその女性の口元に集中していった。



 「女優の朝霧今日子さんのをお願いします」

 朝霧今日子と言えば、今をときめく若手女優のポープである。しかし、むしろ私が気に掛かったのは、「・・・さんのを」という言葉の下りであった。

 朝霧今日子のグッズでも売っているのか? それとも、コンサートのチケットなのか?

 私はさらに聞き耳を立てた。

 「朝霧さんのは人気が高いので、少々お値段の方もお高く・・・」

 店員の言葉に、女性も間髪入れずに答えた。

 「お金ならいくらでもあります。ほら、この通り」

 音だけでも、カウンターの上に幾つもの札束が重ねられていくのがわかる。


 私は何がなんだか分からないまま、目の前の店員の方に目を移した。

 店員はコクリとひとつ頷くと、それが三千万円ぐらいとでも言いたいのだろうか、立てた三本の指を胸の中へとしまう素振りをする。


 女性に変わって、今度は応対をしていた店員の声が聞こえてきた。

 「朝霧さんはねえ、そりゃ見た目は派手だけれど、彼女なりに随分努力をしているんだよ。それに、彼女のお父さんは末期ガンでね・・・」

 「そんなの関係ありません。もうこんな平凡な生活なんて耐えられない。回りのみんなから注目されたいの。私は、私は朝霧今日子になりたいんです!」


 ようやく私にも、この女性がこの店に来た理由が分かってきた。彼女は朝霧今日子を、そう朝霧今日子という人生を買いに来たのだ。

 店員は、そんな女性に根負けしたのか、奥のファイルから何やら怪しげなお札と小さな液体の入ったガラスの小瓶を女性の前へと並べた。

 「この札を家の一番明るいところに貼って下さい。ただし、決して人に見られてはなりません。小瓶の中の液体は、もし元の自分に戻りたくなったら飲んで下さい」

 店員は、さらに言葉を続ける。

 「良いですか。朝霧今日子になるには、朝霧今日子そのものの人生を受け入れることなのですよ。そうしないと・・・」

 女性はお札だけをバッグにしまうと、コンパクトの手鏡で自分の顔をもう一度見直した。


 「今日でこの顔ともお別れね。明日から私は朝霧今日子のような人生を歩むんだわ」

 店員が女性に、ガラスの小瓶も手渡そうとしたが、女性はとうとうそれを持っていこうとはしなかった。

 彼女は来たときと同じように、足早に店を出ていった。



 「おわかりですか?」

 ぽかんと口を開けている私に、目の前の店員が尋ねる。

 「当店では、お客様に別の方の生き方を、つまり第二の人生の種をお譲りしているのでございます」

 「第二の人生?・・・」

 私はこの非日常的な言葉に、少しの不安と大いなる興味をもった。


 「あのお札みたいなものは、いったい?・・・」

 「成りたい方の念が封じ込めてあります。もちろん、作り方は企業秘密ですがね」

 店員は微笑みを浮かべながらも、目だけは真剣な眼差しで私を見ている。

 「ガラスの小瓶に入った液体のような・・・」

 質問を最後まで聞く前に、店員はその答えをしゃべり始めた。店員は、朝刊を広げると、その三面記事の片隅に小さく載っている記事を指さす。

 そこには、ある若者の自殺の記事が載っていた。


 『プロ野球選手を目指していた若者が、ビルから飛び降りて自殺』


 店員は、私の目の前に先程のそれとは違う、小さなガラスの小瓶を置いた。

 「これが、以前彼が置いていってしまった『元の人生を取り戻す』ための瓶です。中には液体が入っています」

 「もちろん、これも企業秘密ですよね?・・・」と、相槌を入れた私に、店員は急に真剣な表情で語りかける。


 「彼は、イチローに成りたかったんですよ。あなたもご存じでしょう、大リーグ活躍する彼を?」

 もちろんイチローのことを知らないわけがない。私は黙って頷いた。 

 「自殺した彼もイチローにあこがれ、彼の人生を手に入れようとした。もちろん、あのお札さえあれば何でも願いが叶うというわけではありませんが、イチローに成れる人生の種は芽生えたはずです」

 店員はさらに続ける。

 「耐えられなかったんですよ彼は、本物のイチローが抱える悩みや重圧にね。彼は新しい人生を手に入れる代わりに、イチローが抱えるそれらもすべてのものも受け入れなければならなかったのです」

 私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 「それに、現に本物のイチローは存在するのですからね」

 店員は目を伏せながら、もう一度新聞の記事を指でなぞる。

 「それでも、これさえ持っていれば死なずにすんだものを・・・」

 彼は先程の小さなガラスの小瓶を手にすると、手のひらでくるりと回した。

 「それは、確か元の生活に戻るための・・・」

 「そう、これさえ飲めば何もかも元に戻すことが・・・」

 店員は言いかけて、小さく首を振った。


 私は急に、さっきの女性のことが気になり始めた。確か彼女もその小さな小瓶を置いていったはずだが・・・

 「では、先程の彼女も・・・」

 店員は朝霧今日子のファイルを見ながら、静かに呟く。

 「恐らくは、彼女も耐えられないでしょう。華やかな生活の裏に隠れている本物の朝霧今日子が抱えるプレッシャーと苦悩には・・・」

 私はもう一度新聞の記事に目を落とした。


 「ところで、お客様もどうでしょう? 新たな人生を手にしては?」

 先程までのことが嘘であったかのように、店員は、晴れやかな顔で尋ねてきた。

 「新たな人生ですか? しかし、別に私は今の生活に不満なわけではない。いや、むしろ満足しているくらいだ」

 「満足している?・・・」

 店員は不思議そうな顔をしたが、事実、私は今の生活にとても満足していた。

 けっして大きくはないが会社を経営し、美人の妻と二人の娘にも恵まれている。たまの休日には、こうして大好きな散歩にも出掛けられる。波瀾万丈に満ちた人生とはいえないまでも、私は今のこの生活を十分に楽しんでいる。


 さらに私は、その店員に付け加えた。

 「それに、もしその気があったとしても、私にはとても別の人生を買うような、そんな大金もありませんよ」

 すると店員は身を乗り出すように、その顔を私に近づけると、こう囁いた。

 「その件でしたら、ご心配はいりません。お客様の人生と、お客様がお望みに成られる方の人生とを交換することも出来るのです」

 「交換?」

 私もいつしか、カウンターにひじをついては身を乗り出すように聞いていた。 


 「お客様のように、今の生活に満足している方の人生は大変人気があるのです。もちろん高値で引き取らせて頂きます。代わりに、別の方の人生を・・・」

 そこまで言いかけた時、私は店員の話を遮った。


 人生の交換など出来るわけがない。

 だいいち、私には愛する妻とかわいい二人の娘がいるではないか・・・

 店員は、そんな私の気の迷いを察知したのか、さらにたたみかけてくる。

 「もちろん、奥様やお子さまのことでしたら当方にお任せ下さい。アフターサービスの一環といたしまして、それぞれすばらしい人生をご用意させていただきます」


 私はしばらくの間考えを巡らせたが、やはりやめることにした。

 店員は、私が店を出るまで、私を、いや私の人生を引き留めたがっていたが、私の決心は変わらなかった。


 店を出た私は、ふと気付くとあやめ橋の上にいた。

 私は振り返った。しかし、私にはもうあの路地すら何処だったのか分からない。はたして、あれは幻だったのだろうか?・・・



 それから数ヶ月後、私はもうあの日のことなどすっかり忘れかけていた。当然、私の生活は何ひとつ変わってはいないのだ。

 私は妻が入れてくれたモーニングコーヒーを飲みながら、おもむろに朝刊に目を通した。と、次の瞬間、私は三面記事の片隅にこんな記事を見つけた。


 『女優を夢見ていた女性が、マンションの浴室で手首を切り自殺!』


 そして、その記事の横には、確かにあの日、あの店で見た、あの女性の顔が写し出されていた・・・

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