第4話

 細かい花柄が目にうるさい紫のトップスとゆったりした黒いパンツ――。

 逆光の中、普段よりずっとお洒落をして見えるメイクばっちりなその表情はノミで彫ったように険しかった。ウメさんはサンダルを脱いでのしのしと入ってきた。いつものことながら何だろうこの婆さんの存在感は。こんなに痩せていて小柄なのに。

 愛莉ちゃんがおずおずと尋ねる。

「お婆ちゃん、東地区で『ゲリラ餅つき大会』じゃなかったの?」

「どっからか湧いてきたヒスモンペ共に妨害されちまったよ!」

 ウメさんは掴んでいた白い布を足元に叩き付けた。三角巾と割烹着だった。さも忌々しげに舌打ちをした。

「屋外調理は不衛生だぁ? 無菌室でやれってかい、バカバカしい。嫌な世の中になっちまったもんだよまったく。おちおち餅もつけやしない。奴らそのくせ一方じゃ『地域の伝統を継承しよう』だの何だのいっぱしの文化人ヅラもしてみせるんだからね」

 手に負えないよ! と畳の上に唾でも吐かんばかりのウメさんは自身が呼ぶところのヒスモンペ(ヒステリック・モンスターペアレンツ=モンペの中でもとりわけ感情のコントロールができない傍迷惑な個体群に対する蔑称)に多く見られる『近視眼的衛生観』についてアグレッシヴな持論を打ち始めた。

 ウメさんの予言によると、過ぎた衛生環境を声高に求めるヒスモンペ及び哀れなその子供たちがマジョリティとなる未来において、彼らの理想通りならば減少してしかるべき各種医療機関の利用者数は現代のそれよりもむしろ格段に跳ね上がり、虚弱体質な人間ばかり増えてGDPの値はますます落ち込んでいくのに医療費の国民負担は増加する一方という、想像するだに恐ろしい負のスパイラルに国は陥ってしまうのだった。

 どうでもいいけれど『立て板に水』とか『口から先に生まれて来たよう』ってのはこういうことを言うんだな、と俺はこの婆さんと会うたびにつくづく思わされる。

「それにしてもだ。何てザマだい。ええ? 鷹山愛莉!」

「はい!」

 鞭で打つようなフルネーム疾呼に愛莉ちゃんが気をつけの姿勢を取った。指先までピンと伸ばした両手を身体の脇につけて斜め上を見る。

 ウメさんの険し過ぎるほど険しい眼差しは孫娘に対する祖母のというよりもアスリートに対する鬼コーチのそれだった。

「合い鍵貸してやって菜園開放してやって、私がこんだけあれこれお膳立てしてやったのにモヤシ学生の胃袋ひとつ満たせないのかいアンタ。そんな不甲斐ないことで春からの寮生活は本当に大丈夫なのかい。ええ?」

「サーセンシタッ!」

 愛莉ちゃんがほとんど叫ぶように謝った。ビシッと音がしそうなお辞儀付きだ。

「アンタが進学予定の高校は徹底した自己管理とやらが求められる厳しい環境なんだろう? 炊事洗濯は寮生の義務なんだろう? 何だいこの赤いヘドロは。お粥もまともに作れないなんて情けない。真剣さが足りないんじゃないのかい真剣さが」

「サーセンシタッ!」

「気持ちだよ気持ち。心構えが肝心なんだよ何をするにしたって。陸上なら克己心。己に打ち克つ強い心があればきつい練習も乗りきれる。そうだろう? 料理なら真心だ。食べる人のことを本気で思って本気で作ればレシピなんざ後からついて来る」

 来ねえよ、という俺の冷静なツッコミは愛莉ちゃんのサーセンシタッ! に掻き消された。何だこの状況。今まで気付かなかったけど二人のときはいつもこんな体育会系のノリだったのか?

 ウメさんが呆れ混じりの溜息でこちらを向いた。

「アンタもアンタだ二◯一号」

「竹内琢磨。店子を部屋番号で呼ぶなって」

「小娘とはいえ仮にも女の手料理だってのに、ちょっと見た目が悪いくらいで及び腰になって匙も付けきれないその男気の無さ。アンタが死んだウチの爺さんなら晩飯にゃ泥団子を食わされてたところだよ。完熟堆肥を混ぜ込んだ栄養満点の土でこさえたヤツをね」

 ウメさんなら本気で実行しかねない。

 たじろいだ俺に彼女はトーンを落として続けた。

「……アンタ今年の正月は? 親に電話くらいしたのかい?」

 愛莉ちゃんが気まずそうに視線を逸らした。俺と親父との間にある確執のことは彼女も知っている。

 胸に抱えた疚しさをストレートに刺激されていよいよ返す言葉もない俺に、ウメさんは何を思ったか、例の小鍋をずずいと突きつけてきた。ほのかな温もりと吐瀉物めいたヴィジュアルと野草の青臭さが鼻先を襲った。

「アンタが風邪をこじらせたらしいことには気付いてた。愛莉をこっちに呼び返して合い鍵持たせたのは私さ。畑の草で七草粥を作ってやれって言ったのもね。まさかケチャップぶち込んでアレンジかますとは思わなかったけども。ところでアンタこれ、実際どんな草が入ってるかは分かるかい?」

 どんな草が入ってるか? 俺は改めて小鍋を覗き込む。スプラッタな殺人現場に初めて臨場する新米刑事の気分だった。すぐに降参した。不揃いに切り刻まれた多様な緑たちはどれもこれも、俺が知っている葉茎菜類ではないし根菜の葉部でもない。

 ウメさんは盛大に溜息をついた。またぞろ説教が始まるのかと思いきや、愛莉、とこちらを向いたまま孫娘に呼びかけた。

「見たとこ鍋の中にゃ緑が六種類しか入ってないよ。私が最後に言ったアレを採り忘れてるみたいだね」

「え? 最後のって……、あ!」

 この上まだ何か食材(?)を投入するつもりなのか。

 というかこの変わり七草のチョイス、適当じゃなくてウメさんの指示通り? 

 俺の困惑をよそに、愛莉ちゃんはスカートを翻して風のように部屋から出て行った。


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