ここに参上、三条さん
久佐馬野景
信用ならない人を信用するなと言う人は実はもっと信用ならない
私は、呪われているそうなのです。
全くもって不本意ではあります。それはもう、好き好んで呪われる人はいないのは当然のことなのです。そもそも呪いなどというものを信じていない私です。なので私個人としては全否定したいところなのですが、こればっかりはどうしようもありません。
認定されているのです。
周りから。
はじめは、入学式から一箇月ほど経って、未だクラスに馴染めていない私を見かねて心優しい方々が声をかけてきてくれた時でした。
はい。正直に言って、完全に迷惑です。考えてもみてください。一箇月、クラスの誰とも喋らずに隅っこ――と言っても私の席は教室のど真ん中なのですが――でじっとしている人間が、果たしてクラスに馴染みたいと思っているでしょうか。
答えは至極単純明朗、否です。
頼むから空気を読んでくれと思ったものです。向こうからすればみんなが仲良くしている教室の空気をど真ん中の席で乱している私のほうが空気を読めと言いたかったのでしょうが、そこは譲り合いというものでしょう。
とりあえず謝っておきますから二度と話しかけないでください――そう告げようと思った矢先、話しかけてきた女子生徒が首を掻き毟りだしたのです。
息が――できないようでした。
私がどうしたことだろうと立ち上がると、その女子生徒は気を失って床に倒れました。
教室中が大騒ぎです。
事情が全く呑み込めないままその場で棒立ちになっていると、きゃあきゃあ悲鳴を上げながら教室を飛び出していったお仲間の生徒が保険医を連れてきて、男子生徒数名が担架を持ってくると保健室に急行です。
ところがこれは思ったほど大事にはなりませんでした。
その女子生徒が保健室への道中、ぱちりと目を覚ましたからです。
あらわたくし何をしていたのかしらいやだわはしたないウフフ――などと言ったかどうかは知りませんが、とにかくその生徒はぴんぴんしていて、一応の検査も全く問題なかったことからすぐに教室に戻ってきました。
この時はまあ、ちょっとしたアクシデントとして笑い話ですまされた程度でした。私としては、話しかけられなくてラッキー程度に思ったものです。
しかし、その後はもう、笑い話ですまなくなっていきます。
私に話しかける生徒が皆、呼吸困難に陥るのです。
いや、私の立ち位置上、機会はごくごく少ないものでしかないのですが、それでもたまに私に話しかけようとする物好きな方がいるのです。
で、私に話しかけようとすると、みなさん首を掻き毟って意識を失うのです。
二回目の時点で疑惑に、三回目の時点で確信に変わります。
こいつはやばい。明らかにやばい。何がかはわからないけどとにかくやばい。
とまあ、私の評価はこうして固定された結果、一番わかりやすく説明するために、呪われていると結論付けられたのです。めでたしめでたし。
実際、別段困ることはないのです。もとより私はクラスに馴染む気は微塵もなかったのですし、話しかけられることは迷惑以外の何物でもなかったのですから、その機会がゼロになったのは喜ばしいことですらあります。
それに加えて、私がスーパーパワーでクラスの方々を攻撃しているのだと認識されずに、呪いという穏当な表現に落ち着いたことは幸運という他ありません。
私に害意はなく、ただ不幸な呪いのために話しかけた者が卒倒する――本当かどうかは無意味なことです。クラスの間でそう認識されているのなら、それでいいのです。
個人的にはあなた呪われてるわヨと言われても、またまたご冗談をと言い返したいところなのですが、今のところ全て滞りなく回っているので、まあこれでいいかと不本意ながら受け入れている状態というわけです。
とはいえこんな状態が平和なまま続くことは当然ないわけでして、ある日私は職員室に呼び出されました。
担任の先生は、難しい顔をして私を睨みます。
「本当に何もやってないんだよな?」
私に話しかけた生徒が倒れるという事実は先生も承知の上です。そうなれば私に疑いがかかるのは当然の帰結なのですが。
「やってないから問題なんだよなあ……」
先生はご自分で結論を出しました。
私が何もしていないことは、クラス中が確認ずみなのです。私が何もせずに話しかけた生徒が倒れるから呪いだと言われるのですから、つまり私は何もしていないことが大前提なわけでして。
「とりあえず親御さんに連絡は入れるからな」
どうやらこちらが本題だったようです。手に負えないので親に任せる。なんとも無責任とは思いますが、実際手に負えないのですから、先生には同情を禁じ得ません。
そんなわけでその日帰ると、夕食の席でお父さんがこの世の終わりのような顔をして切り出しました。
「担任の先生から聞いたんだが――」
その通りなので首肯すると、お父さんは青い顔をしてどこかへ電話をかけます。
翌日は休日だったので、私とお父さんは連れ立って街の貧相なビルに向かいました。
「ようこそ。私が霊能者のジョン中島です」
私達を迎え入れたのは、道着を着た恰幅のいい男性でした。
お父さんはどうにかこうにか伝手を辿り、この霊能者を紹介してもらったそうです。話ではテレビにも出たことがある有名な方なのだそうですが、私は残念ながら存じ上げませんでした。
しかし呪いだと言われてほいほい霊能者の許を訪れるというのはどうかと思うのですが、そこはお父さんが私を心配してくれているのだと思うことにします。
霊能者――中島さんは私に正座するように言って――正直足が痺れるので厭だったのですが――なにやら物々しい祭壇の前に正座しました。
何の知識のない私にも、あっ、なんかそれっぽいな、と思わせる呪文のようなものを唱えながら、中島さんは指で空を切ります。
「この者に取り憑く悪霊よ、姿を現せぇいぇい!」
最後のほうは妙な抑揚を付けて、中島さんはかーっと気合を入れます。
いつの間にか悪霊に取り憑かれたことになっている私は、特に何の感慨もなく、そろそろ足を崩してもいいだろうかなどというようなことを考えていました。
「もう大丈夫です。悪霊は速やかに撃退しました」
中島さんは笑顔でそう言って、私に向き合います。
「さ、では一緒にご本尊様への感謝を唱えましょう。ご本尊様は今なら割引していますから、お宅にもお一つ置いておけば安心で――」
中島さんは、急に首を掻き毟って苦しみだしました。
中島さんの弟子と思しき人達が慌てて走ってきて、中島さんに必死に呼びかけます。
はっと正気付いた中島さんは、青い顔をして一言、
「マジのやつじゃねえかよ」
中島さんはその後、別の霊能者を紹介してくれました。自分の手に余ると告白したのも同義ですが、そもそも私の呪いを受けている時点で何の解決にも至っていないことは明白ですから、本来なら代金を受け取ることすら憚るところでしょう。それでもきちんと代金を受け取っているあたり、やはりプロは違います。
翌日、日曜日に、私とお父さんはまた街に出て、今度は立派な一軒家にお邪魔することになりました。
「初めまして。私が霊能者のサイコ堀川です」
今回は四十手前の、ナチュラルメイクが上手な女性の方でした。
家の中は改装されていて、居住スペースとは別に備え付けの祭壇やら仏具やらが置かれた部屋がありました。
「あの、中島先生とはどういう……」
お父さんが訊くと、堀川さんは真面目な顔で、
「中島は私の弟子です」
言った途端、堀川さんは首を掻き毟って倒れます。
いつものです。中島さんの時よりも多い弟子の方々が堀川さんを助け、堀川さんは目を開けるとすっかり怯えてしまいました。
完全に戦意喪失してしまったようで、堀川さんは何もせず、代金ももらわずに私達を追い返しました。
お父さんはがっかりしたようですが、私は浮いたお金でおいしいものが食べられると上機嫌です。
堀川さんの家を出ようとすると、部屋の前で妙な男の人が入ってくるのと鉢合わせしました。
結構年齢はいっているのですが、恰好が若者風で浮ついて見えます。堀川さんは穏やかな笑みを浮かべたその人の顔を見ると、私の時よりも切羽詰まった表情になります。
「さ、三条――さん」
堀川さんは慌てて弟子の方々を奥に下げると、その男の人にへこへこと頭を下げます。威厳もへったくれもありません。
「今日は何用でしょう……私共は誠心誠意、明朗会計でやらせてもらってますが……」
男の人は愛想のいい笑顔のまま口を開きます。
「ただ近くに寄らせていただいたので、お顔を拝見しに伺っただけです。何かお困りごとがあれば、いつでも言いつけていただけるように、と。営業ですね」
冗談のつもりらしく、男の人は一人で笑います。堀川さんがだらだらと冷や汗を流していることに気付かないふりをしているようです。
「そういえば昨日、中島さんから連絡をいただきましてね。自分に悪霊が憑いたかもしれないから、見てほしいと。お話を聞くと、依頼人の方が自分の手に負えないレベルのマジモンだったらしく、自分にも障りがあるのではと怖くなったから、と。それで堀川さんを紹介したと聞きました」
「あの野――」
堀川さんは慌てて言葉を呑み込みます。最後の『郎』が出なくとも、堀川さんが中島さんのヘマに激怒し、そして目の前の人に怯えていることがよくわかります。
「それで――何かありましたか?」
男の人は、堀川さんではなく、お父さんに向かってそう訊きました。
お父さんはその人にこれまでのあらましをすっかり打ち明けていました。
「お代をいただなかったのは賢明でしたね。場合によっては潰さなければならないところでした」
笑顔でさらっと怖いことを言うこの人は一体何者なのでしょうか。
「僕は霊能者ではありませんが、相談に乗ることくらいはできると思います。堀川さん」
男の人が名を呼ぶと、堀川さんは畏まって答えます。
「どうぞ、こちらをお使いください」
頭を下げて奥に引っ込んでいきます。
「とりあえず座りましょう」
言われた通り、足を崩して腰を下ろします。
「僕は三条といいます。さっき言った通り、霊能者ではありません」
そこで三条さんは堀川さんが消えたドアのほうを見て苦笑します。
「霊能者を自称する人には気を付けたほうがいいですよ。そういう手合いに心を許すとろくなことになりません」
そう言って自分を信用させようとしているのでしょうか。他者を貶めて自分の評価を上げる。よくある手口です。
「インチキということでしょうか……?」
「そう受け取ってもいいでしょう。ただし、正確には霊能者にはインチキというものは存在しません」
「はい?」
お父さんがきょとんとする中、三条さんは祭壇の机をとんとんと叩きます。
「能力のあるなしというものは、霊能者を名乗るのには必要のないものなんです。仮令本人自身が自分がインチキだと自覚していようと、その人の許に救いを求めて誰かがやってくる時点で、その人は霊能者として成立しているんです」
だからこの人は霊能者を自称しない――そういうことでしょうか。
霊能者というのはそういうシステムです――三条さんは笑顔のまま続けます。
「霊障というのは、大抵は気の迷いです。そこから助けを求めて霊能者の許を訪れ、霊能者が何らかのアクションを起こす。それでほとんどの場合は解決します。実際、本物の場合でも、嘘や出鱈目だろうとその過程が存在しているということが意味を持つことがあります。呪術は出鱈目でも利くんです」
ただ――と三条さんは少し暗い顔をします。
「今回のように、完全に手に負えない事例が出た場合、ややこしいことになるんです。実際のやり口を説明しますと、中島さんが対応できなかったことで、堀川さんが紹介されました。この時、堀川さんから中島さんに紹介料が支払われます。中島さんは仕事の代金をきちんと受け取っていますから、何も解決していないのに儲かるという仕組みです。堀川さんが除霊を試みて失敗しても、同じことが起きるところでした。霊能者を盥回しにされ、何も解決しないままに組合の中がどんどん儲かっていく――実に悪辣です」
なるほど、よくできています。上手なビジネスモデルです。
「そういう僕は、彼らにとって商売敵のようなものなんです。僕のやっている仕事は、在野の霊能者と依頼人の仲介に入り、お金のやり取りを管理するというものです。本物の方々はまず自分を霊能者と名乗ったりしませんし、自分から相談を請け負うこともほとんどありません。僕はそうした人達に仕事を斡旋して、依頼人の方の窓口になります。組合の中で金をむしり取ろうとする方達からは、当然目の敵にされます」
それにしては堀川さんは敵視するというよりはむしろ、大いに怯えていたようでしたが。
「なので僕もあまりこうした方々と接点を持たないようにしています。ただ、今回のようにお金だけが取られていくという状況は個人的に遺憾に思うので。彼らが本当にどうしようもない、自分の身にまで危機が及ぶのではないかというような場合に、僕に連絡をよこすように伝えてあるんです。それはつまり、依頼人の方がのっぴきならない状況ということですからね」
それはつまり、今回は二件目で三条さんが現れて運がよかったということでしょうか。
「あの、それでは……」
お父さんが三条さんに助けを求めようと下手に出ます。それはこの人の思うつぼだと思うのですが、三条さんは予想の上をいきました。
「実はですね……今この近辺にいる僕の仕事を受けてくれる霊能者が、全員出払っているんです」
「は?」
「一人は新婚旅行。一人は妊娠中。最後の一人は行方をくらましまして。それで僕も非常に困っているんです。実は住んでいたアパートが火事で燃えて、貯金はあるんですが、現在住所不定無職という状況でして……」
お悩み相談が逆転してませんか。
「それはお困りでしょう」
お父さん、それ以上はいけません。
「はい。僕も一応、技術は身につけています。お嬢さんの身に起こったことを分析し、対処することくらいはできると思うんですが」
この人、明らかに付け込んできています。
「それでは暫く私共の家にお住まいになりませんか。広いのと部屋数が多いのだけが取り柄のボロ家ですが」
「そんな、ご迷惑でしょう」
「ご心配なく。私も娘の近くに事情を心得た方がいてくれたほうが安心です」
完全に誘導されています。三条さんは途中から明らかに私の家に転がり込むために話を進めていました。
この人、どう考えてもアウトです。
お父さんと三条さんは私のことなどほっぽって二人で細かいところ詰めていきます。
インチキ霊能者に騙されるよりよっぽど酷い状況に陥っている気がしてならないのですが、お父さんはそもそもインチキ霊能者に騙されるタイプの人間でした。そして三条さんはその上をいくペテン師なのです。どうしようもありません。
翌日、三条さんは私の家にやってきました。
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