今日の図書部2~scramble river~

 その日、川上は図書室の床に伏せて倒れていた。見た目はそうだった。さめざめと泣いているような。俺と池田は顔を見合わせた。そして、おそるおそる聞く。

「何があったんだ?」

「おい、川上。何があった」

 俺と池田は同時に川上の肩を揺すった。顔を覆ってしまっている川上の耳は真っ赤だ。

 本当、何があったんだ? そう思っていると、川上は顔をもごもごと何か言い始めた。

「田中は、まだ来てないですよね……」

 唯一の女子部員、田中の到着を気にしている。俺と池田は同時に図書室の入り口を見た。

「あぁ、まだ来てないな。なんだ、田中絡みか」

「あいつ、先輩に対して生意気だからな。川上、いつもからかわれてるだろ」

 池田が苦笑しながら言う。確かに、うちの一年部員である田中は先輩男子(主に俺たち)三人にも臆さずズバズバと物を言う。二年部員の川上は、毎回ターゲットにされていた。

 しかし、川上は弱々しくも首を横に振った。

「いえ、そうじゃないんです。でも、ほら、田中ってデリカシーないじゃないですか。あんまり聞かれたくないっていうか」

 川上はようやく顔から手を離した。耳が真っ赤だということは当然、顔も真っ赤なわけで、情けなく鼻をすすりながらようやく起き上がる。

「斉藤先輩、池田先輩」

「はい……」

 真剣な口調のせいで、こちらまで改まってしまう。

「絶対に田中には言わないでくださいね」

 そう念を押して、川上は袖で涙を拭いた。

 おっと、どうやら回想に入るらしい。

「この間、苗字レベルの話をしたじゃないですか。どんな苗字が強いか、とか。池田や川上はレベル1とか。あれからちょっと他にも派生を考えてみようと思い立ったわけなんですが……」

「待て待て待て。なんだ急に。冒頭から既に話が見えないんだけど!」

 回想一旦中断。

 川上は眉間にシワを寄せた。横やりを入れた池田をじっとりと見る。

「したじゃないですか、苗字レベルの話」

「いや、したけどね? 何、そんなとこから遡るわけ? 今日も苗字に関する話?」

「池田よ、とりあえず最後まで聞こうじゃないか。話が進まん」

 俺の言葉に、池田は不満そうだったが渋々黙りこんだ。川上が咳払いする。

「それでですね。苗字って変わらないからレベルも上がらない。だったら下の名前はどうだろう、と考えてみた結果、苗字レベルほど面白くはありませんでした。斉藤先輩なら陽斗はると、池田先輩は優馬ゆうま、オレは竜好たつよしで、田中は美桜みおう。キラキラネームならまだしも、そうじゃないし。レベルもそこそこです」

「そこそこって言うな。人の名前をそこそこって」

 堪らず、今度は俺が回想を中断させた。池田に関しては既に飽きている様子。

「話はここからですよ。いいからちゃんと聞いてください」

 川上は床をペシペシと叩いて言った。

 いつから話が面白くなるんだろう……

 そんな不安を抱きながら、俺と池田は言われた通り大人しくしておく。

「えっと、それで。オレのクラスに川崎って名前の女子がいます」

 これまた唐突に登場人物が増えたぞ。しかも女子。

「その川崎とまぁ、仲がよくて。川上、川崎だから席も番号も近いわけです。その川崎と話は盛り上がりました」

 ――さて、ここからは川上と川崎の会話へと移るらしい。俺と池田はひとまず舞台から降りていよう。


 ***


 彼女の名前は川崎稲美いなみ。苗字レベルの話をしたら、すぐに共感を得られたところから話は始まった。

「んじゃあ、あたしの川崎はレベル3くらい?」

「いや、『崎』って入る時点で画数多いし、レベルは10くらいでいいと思う」

「レベル10かぁ~、川上は1なのにね。その基準がよくわかんないな」

 そう言うと川崎は何か閃いたのか、「あ、そうだ」と声を上げた。

「この学校って、『川』の字が入った苗字が多いらしいんだよ」

「え、そうなの?」

「うん。二年はどうも川の字族らしいんだ」

 二年だけなのだろうか。

 そう言えば、斉藤先輩と池田先輩は三年四組には「田」の字が多いと言っていた。そういうのって集まってしまうものなのか。

 現に、川上と川崎が同じクラスだ。これで二つの川がある。そう考えてみると、オレは川の字族について興味が湧いた。

「ちなみに、川崎は川の字族をどのくらい知ってるの?」

 訊くと彼女は「うーん」と考えながら言う。

「えっとね、一組の川田、川端かわばた川西かわにし。二組の川相かわい、川岡、川谷、川田、三組の小川、四組の川上、川崎、五組の――」

 ……駄目だ。川のゲシュタルト崩壊が起きる。

 ここまで川の字族に詳しい川崎もどうかと思うけれど、この学校、この学年、川の字族が多すぎないか。

「あ、でも五組のカワハラは駄目だ。三本川じゃないもん。さんずいの河だからこいつは川の字族に入れない」

 川崎は辛辣に言った。顔も知らないけど、河原さん、なんだかごめんなさい。

「ね、川上」

「なんだ、川崎」

「川の字族、集めてみない?」

 川崎はいたずらっぽく、歯を見せて笑う。

 確かに面白そうだ。この学校にどのくらいの川が潜んでいるのか知りたくはある。

 オレは楽観に話に乗った。

 まずは、先程に川崎が言った川の字族をきちんとリスト化しよう。


 一組……川田、川端、川西

 二組……川相、川岡、川谷、川田

 三組……小川

 四組……川上、川崎

 五組……川村、川下

 七組……井川


「うーん……六組にはいないのかなぁ? よく知らないんだよね」

「まぁ、知ってたら引くなぁ。お前、川の字ネットワーク広すぎるよ」

「川だからね」

 よく分からない返しだな。それにしても網羅しすぎだと思う。

「でも、これ以外の川は知らないよ。部活とか友達とか去年のクラスとかで知っているだけだし、三年と一年は知らないし。どうせなら川の字族みんな集まって川まで遊びに行きたいね。そんで、川の字になって寝るの。あ、なんか面白そう」

 もちろん冗談だろう。

「そうそう。川上はさ、苗字がどうやって出来たのか知ってる?」

「苗字の由来ってこと?」

 訊くと川崎は「うん」と頷いた。

「どうもね、ルーツが色々あるらしいんだ。大昔のなんとか氏とかあるじゃん。この間、確か日本史でやったよね。藤原氏とか。あと、地名なんかも由来してるんだって」

「へぇ、そうなんだ。よく知ってるね、川崎」

「なんだっけ、氏族? っていうの。ほら、やっぱり川の字族って言い方は間違いないよ」

 確かに間違いではないのかも。というか、間違いも正解もないし。

 だけど、川崎の嬉々とした楽しげな表情にはなんだか考えるのもどうでも良くなってくるような。楽しいからいいや、みたいな。

「そう言えば」

 ノートに書かれた川の字族を指でトントンと叩きながら、川崎が言う。

「この川相って名前は珍しいよね。レベルはどんくらい?」

「レベル? あぁ、苗字レベル……どうなんだろ。50とか?」

「おお、なかなかに高い。川崎よりも上なんだ」

 まぁ、川相っていう苗字はそう見ないかも。

 現に、一組の川田と二組の川田がかぶっているわけで、苗字レベル一桁の川の字族は、川相、川端、川崎以外がほとんどだろう。基準なんてのはあくまでオレの偏見だ。これがもし、「川相」が「川合」だったらレベルは確実に50よりも下回る。(※個人の感想)

「でもまぁ、あんまり珍しい少数派の苗字だと困ることも多いだろうね」

 川崎が言った。

 困ること……例えば、画数が多いとか?

 斉藤先輩の場合、藤の字が面倒そうだ。これが齋藤、齊藤、斎藤となれば更に。

 その点、オレは川上だから直線、曲線をピーッと引っ張るだけでオーケー。池田先輩も田中も同じく。困ることと言えばそれくらいだろうか。

 言ってみると、彼女は「それもあるけど」と苦笑した。

「その話だと異体字は面倒そうだね。『渡邉わたなべ』、『渡邊』とか。難しい字だと口頭で伝えるのも大変だし、サイトウさん、ワタナベさん、あとヨシダさんもかな。吉田の吉は上が長い『吉』と下が長い『𠮷』があるし。それと、常用漢字でない苗字も伝え方が大変な気がするよ。例えば……『楡井にれい』『よろず』とか? どう説明したらいいか分かんないよね」

 言われてみれば。オレなんて、「三本川に上」で事足りるからな。川崎も伝えようによってはバリエーションがあるから困らないんだろう。

「それもあるけど、他にも困ること一つ。印鑑がね、なかなか売ってないんだって」

 川崎はさも経験したかのように言った。

「印鑑か……それは盲点だったな」

「でしょ? この間、法事で印鑑が必要ってなったんだけど、別の親戚がね、これがまた珍しい苗字で。井吹いぶきさんっていうんだけどね、おばさんが言うには『百均行っても売ってないから困るのよ~、川崎さんみたいな普通の苗字が羨ましいわ』だってさ」

「なるほど。そういうこともあるのか……でも、こっちからしたら井吹ってカッコイイなと思っちゃうよね」

 言ってみると、川崎は深く頷いた。

「でしょ。レベル高いくせにーって思っちゃう。覚えやすくていいと思うんだけど、困りごとはやっぱり人それぞれよね」

 そうやって川崎は締めくくった。そして、厳かに両手を組む。

「よし、それじゃあ川の字族をかき集めて川に行こう計画を立てようか、川上」

「え? それマジだったの? 冗談じゃなく?」

「冗談なわけないじゃん。やるよ、本気で。川の字族みんなに会いたいもん」

 至って真面目に、真剣に川崎は言いきる。オレは引いた目で見ておく。苦笑いを満面に。

 だって、まさか本気だとは思わないし。

「ん? なんだ、川上。やる気ないの? だったらもうあんたの協力無しでやろっかな」

「えっ……ちょ……」

「よーし、今日からお前は『河上』な。はい、川の字族追放!」

「ちょっと待って!?」

 なんで追放されなきゃならない! オレの名前は川上だ! れっきとした川の字族だ!

 しかし、拗ねた川崎はそれからもう取り合ってはくれなかった。


 ***


「……以上です」

 話し終えた川上は脱力したように細長い溜息を吐いた。

 俺と池田はその目の前でスマートフォンをいじったりゲームをしたり。聞いてはいたけど、結局話が面白くなかったので各自好きなことをしている。

「あの……聞いてました?」

「うん、きーてた。要するに、川の字族から追放されたんだろ。ドンマイ」

 池田がゲームをしながら軽く言った。しっかり聞いてるだけマシだろう。しかし、川上は納得がいかないらしい。

「ドンマイじゃない!」

 床に拳を落とす……が、すぐに手の甲をさする。お前、非力なんだから無理するなよ。

「それにしても、その川崎さんは『さんずい』の河に恨みでもあるのか? やたら嫌ってるよな」

 川上のために同情の言葉をかけてみるが、俺の目はスマホを向きっぱなし。

「やっぱりそう思いますよね。なんか、どうも『さんずい河』に恨みがありそうな……そんなわけで、さんずい河族を調べようかと思うんです」

「なんで」

 俺と池田が同時に言った。

「いや、なんで。どうしてそうなった。おかしくね?」

「おかしくないです。これは川上として生きていくために必要なことです。だから、斉藤先輩、池田先輩。手伝ってください」

 いや、待て。やっぱりおかしいぞ。何かズレてる気がする。

「……なぁ、河上」

「池田先輩、川上です。わざと言ってるでしょ」

 文字の訂正を入れてくる辺り、川上の「川上」へのこだわりが強い。池田は冷やかしの笑いを投げる。俺も面白そうだったので言ってみた。

「まぁ落ち着けよ、河上」

「川上です。いい加減にしないと、本気で怒りますからね」

「はいはい」

 川上は神経質になっている。今や、さんずい河に恨みを持っているような……あ、待てよ。

「もしかして、その川崎さんも『さんずい河』と間違われることがあるから嫌いなんじゃないか?」

 ふと思いついたことを言ってみる。すると、池田も「あっ」と声を上げた。

「そういうことか。今の川上のように神経質になってるんだな。さすが斉藤。名推理だぜ」

「なに、たわいない」

 そうして笑い合う俺と池田。だが、川上はしかめっ面のままだった。

「うーん……納得できないこともないような」

 不服そうだが納得はしているらしい。そんな聞き分けのいい川上後輩のため、俺はふざけるのをやめて眼鏡を押し上げた。

「名前を間違えられると怒る人って案外いるらしいから、きっと川崎もそれだろう」

 俺も斉藤を変換ミスされたら怒る質だ。下の名前も同じく。

「そうなんだ。池田は間違えようがないからわかんねー感覚だな」

 まぁ、池田はそうだろうな。

「なるほど……オレも今までに川上で間違えられたことないから気づきませんでした」

 川上は眉間に寄せたしわを伸ばすと、一息つく。それから「分かりました」とようやく床から立ち上がった。

「じゃあ、川崎への宣戦布告はやめときます。川上を追放したことを後悔させようと、さんずい河を集めて勝負を挑むつもりでしたが、それならいいです」

 川上はカバンを持つと、スタスタと図書室の扉まで向かう。

「いや、待て待て川上」

 あまりにもあっさりとしているせいで、俺と池田は慌てて声をかける。

「いいのか、お前は、それで」

「まだ追放されたまんまなんだろ? いいのか、それで」

 池田が問う。すると、川上はこちらを振り返った。

「いいわけないじゃないですか」

「だったら……」

「だから、川の字族を集めればいいんですよ。だから、今から集めてきます」

 親指を突き立てて言う川上。それはもう、とてもいい笑顔で。

 おお……眩しいぞ。言ってることは全然かっこよくないのに……

 俺たちはもうとやかく言わずにいた。その勇姿に敬礼まで送る。

「あ、でも参考までに聞いてもいいですか」

 勇者の出で立ちだった川上がこちらに戻ってくる。そして、俺たちに両手を合わせてきた。「お願い」のポーズ……

「三年の川の字族、全部教えてください」

 勇姿はどこへやら。全然締まらない。

「しょうがねぇな……」

 俺と池田は仕方なく、知っている限り川の字族を並べた。感謝しろよ、川上。


 ***


 後日。川上は川の字族を率いて川崎へと献上することに成功したらしい。

 全員で川へ遊びに行ったのか、本当に川の字で寝たのか。それは定かじゃないが、この川の字族という集まりは夏休みの間もしばらく活動していたという。

 ちなみに、話を全て知ったうちの女子部員、田中が「川上先輩と川崎先輩が付き合うのはいつなんでしょうね」なんてボソボソと漏らしていたが、俺と池田は耳を塞いで聞かなかったことにした。

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