第46話 勝利への跳躍

 顔の近くを鋭利な爪が通り過ぎていく。間一髪、後ろに跳んだことで避けたミィナは口笛を吹く。

 深追いはしない。そもそも、やりの一突きでどうにかなる相手ではない。


 見極めろ、生と死の境目を。高ぶる心を理性で制御しつつ、機を見て戦士としての本能を解放しろ。

 生き残れ。アゼルが言ったように。それこそが、勝利への道だ。


 ミィナは岩場を盾に、こうがんじゆうの死角へと回り込む。その隙に、弓矢隊は再び弓の雨を降らす。

 獣はその爪で、顔の近くのそれをはじばす。金属のような高い音を発して、その体は矢が刺さるのを拒む。しかし、その一本がブスリと、深くこうがんじゆうの体に突き刺さった。


 獣は叫ぶ。その声は、ミィナが初めて聞いたものだ。彼女はにやりと口端をゆがめる。


「効いてきた、効いてきた」


 いらちを含んだほうこうが採石場に響く。鋼鉄の皮膚が、その効力を失いつつあった。体に刺さったままの矢は目視できるほどに目立ってきた。それが血なのか、もともとれていた獣の毛はますます黒くなっている。

 動きも、かすかに鈍り始めている。最初のような猛威は感じられない。ミィナの思惑通り、確実にこの金色の災いは力を失いつつある。


 これは好機だ。


 ミィナは一歩踏み出そうとして、がくっと膝が悲鳴をあげたのを感じた。彼女は少し慌てた様子で、こうがんじゆうの視界から再び消える。

 幸運なことに、体に刺さった矢を抜こうとしていてミィナには気づいていないようだ。ふぅ、と小さく彼女は息を吐く。


「まいったな。もうちょっともってよ、あたしの体」


 やりを握る手にもわずかな震えを感じる。自覚してしまうと、全身が何かおかしい。ここまでの疲労は感じたことが無い。体中に、何らかの重りがまとわりついているようだ。

 繰り返す全力疾走と全開の回避。そして、岩から岩への跳躍。人間相手にはしない動きが、ミィナの体から容赦なく力を奪っていったのだ。

 そして、彼女の鋼の精神も、未知の相手に対しての緊張ですり減っていた。一歩間違えれば切り裂かれ、砕かれる。死への恐怖は薄くとも、現実の脅威は確実に彼女の心をむしばんでいた。


「は、かっこわるい」


 力強く、やりを握りしめた。揺らいでいた瞳に光が戻る。彼女は生まれていた迷いを己の意思で吹き飛ばす。


「こんなんじゃ、『楽園』で待ってる叔父貴の顔が見れないっての」


 叔父、オルドー。父、リチィオ。彼らから受け継いだ誇り高きアルテの血をひくのは、このミィナレア・アルテ・ロンドルだ。

 戦士として任せられた舞台で、まだ手にするやりが折れていないのに、自分が折れてどうするのだ。ミィナは己を奮い立たせて立ち上がった。


「それに、アゼルにだってバカにされるしね」


 おそらく今頃、たった一人でこうがんじゆうに立ち向かっているだろう戦友の顔を思い出す。援護のある自分が弱音を吐けない。そして、負けたくない。一人の戦士として、アゼルには負けていられない。体の重りはまだ残っている。それでも、足は動き出す。

 そして、ミィナは駆けだした。再び、死の恐怖が踊る舞台で舞うために。



 ミィナが放つやりの一撃は、こうがんじゆうの膝に突き刺さる。最初は感じていた堅さも和らいでいる。このまま追撃といきたいところだが、彼女はそれを引き抜き、背後へと転がった。受け身をとって立ち上がると、先ほどまでミィナがいた場所へ獣は腕を振るっていた。

 強さはそのまま、しかし、明らかに鈍い。こうがんじゆうの動きは遅くなっている。避ける余裕が出てきたミィナは、それでも気を引き締めるために前をにらんだ。


 自分の動きも遅くなっているのだ。それも計算に入れねば、一瞬でこの優位は消え去ってしまう。

 手放してはいけない。せっかく、ここまできたんだ。最後まで、油断はしない。


 目の前に再び矢が降り注ぐ。ぶすりと肉に刺さる音がミィナにも聞こえた。痛みで叫ぶこうがんじゆうは、怒りの声をあげる。しかし、その声も小さくなっていた。


 そして、ついに。獣は己のきよを支えきれず、ガクンと膝を地面についた。それを見て、ミィナの目が一際強く輝く。


「今だ!」


 こうがんじゆうの攻撃で少なくなった岩石。それでも残っている大きな岩に、ミィナは駆け上った。勢いよく、滑り落ちることを恐れずにその頂点を目指す。

 そこに立ったミィナは、この戦いで初めてこうがんじゆうを見下ろした。眼下では苦しみにもだえ、それでも立ち上がろうとする獣の姿。その輝く瞳を見て、シルクの言葉を思い出す。


――文献ではあの目に刃を突き刺した時、ようやく獣は絶命したとあった。


 最初から狙いは一つだった。しかし、あの巨体と暴風雨のような爪を相手に、どうやりを届かせるか。

 ミィナの下した決断は、いたってシンプルだ。高いところから、跳べば良い。


「いくよっ!」


 やりを握りしめ、ミィナはその頂から跳んだ。全ての力を、やり先ただ一点に込めるために。狙いはただ一つ、あの黄金の眼。


 全体重を乗せ、狙い通り、それは獣の金色の眼球を貫いた。


 この世のものとは思えぬ、世界を震わす絶叫が響く。こうがんじゆうは、最後の力を振り絞り、ミィナの体を振り落とそうと暴れ狂う。体が振り回され、近寄ってくる腕に蹴りを入れ、それでもミィナはやりを離さない。

 それどころか、獣の頭へと足をつけ、さらに深くやりを突き刺した。瞬間、獣は大きく頭を振った。振り落とされる、反射的にミィナは深く刺さったやりを強く握った。


 ここまできたんだ。負けてなるものか。つないできたおもいがある。それを手放してなるものか。


 やがて、巨獣はその動きを止める。

 ようやく訪れた静寂の後、地響きをたててこうがんじゆうは地面へと倒れ伏した。その様に、ミィナの攻防を、息を飲んで見守っていた弓矢隊から歓声が上がる。


 ミィナはその声を背に受け、もつれる足で地に立った。そして、貫いた目からやりを引き抜く。

 肩で息をする。消耗は激しい。気を抜けば、自分も前に倒れてしまう。


 ミィナはこうがんじゆういちべつする。残った目に生気は無い。とりあえず、自分の役目は果たせたようだ。呼吸を整えるために、大きく息を吐いた。


「まだ、終わってない」


 静寂を取り戻した採石場。だからこそ、まだ続いている戦場の気配を感じられる。

 

 ミィナはやりを握りしめ、次の戦場に向けて歩き出した。風に漂う戦の臭いを追って。

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