第20話 賢者の敗因
遠くから聞こえていた音は、徐々に近づいてきている。もう、互いの兵士がつばぜり合う金属の音まで耳に届くようになった。
「風が変わったか」
リチィオは耳に入ってくる
敵兵との接触を予想していなかったわけではない。あり得るだろう、と準備をしてきた。ただ、実際に戦闘が始まって数刻。すでに、自軍は押され切ってしまっている事実にリチィオは頭を抱えた。
ほんの少し。そう、ほんの少しだ。
相手側の
「油断、していたつもりはないんだけどねぇ」
しかし、リチィオはあくまでも
彼の顔を見ることができる味方は、すでに外に出払っている。敵兵から、族長であるリチィオを護る為に。
「さて、何がいけなかったんだろうか」
頭を
「前のめりになりすぎたのを、私が抑えきれなかったんだな」
考える間もなく、すぐに一つの結論に達した。
彼の周辺に残っているのは比較的若い、いや未熟と言っていい戦士達。練度の高い者は各地の砦を制する為に前線に送っている。そうでなければ、ここまでの躍進は不可能であった。
地の利があるとはいえ、フェルデンを攻略するには全精力を傾けなければいけなかった。そして、素早くダーボン城周辺を同時に落とす。そうしなければ、この戦に勝利はない。かき集めた兵力を結集させ、奇襲を成功させた。
しかし、それ故にリチィオの指揮が及ばないところまで戦線が広がってしまったのも事実。もちろん綿密に、敵勢力は分析していた。この周辺に、ここまで動ける部隊を王国は配置していない。そう、結論づけていた。
「動き出すには
どうやら、自分が最前線と思っていた内側に、自分を上回る速度で人を動かせる者がいたらしい。
とはいえ、数は少ない。もしかしたら、これぐらいは残っているかもしれないと考えていた人数に
「相手の将の力量を見誤ったな」
しかし、こちらの精神的な虚を突いて立ち回る相手の兵力は実際の人数以上に膨れ上がっているようだ。
「さぁ、ここからどうするか」
リチィオは嘆息して、虚空を見つめた。思い返すのは、ここに来るまでの日々。
リチィオの兄、オルドーが王国に捕らえられた後、一族を説得して族長を引き継いだ。王国から扱いやすい穏健派、しかし、上に立つには覇気が無い人物だとリチィオは思われていた。だから、王国は彼が族長になったことに気づかなかった。
表向きには王国に従順な姿を見せて、未だに兄を族長と慕う行動を取る。
しかし、胸の炎はオルドーが最初の反乱を起こした時よりも前から、王国打倒に向けて燃え上がっていたのだ。オルドーに賛同しなかったのは「まだ、その時期じゃない」と考えたまで。
王国の監視から隠れて族長となってからは、リチィオは動きに動いた。
下調べと事前準備を迅速に、しかし慎重に。
そうして、数年。この土地を取り戻すまで、あと一歩。あと一歩のところまで来たのだ。
「
だから、中央の勢力であるフェルデンの攻略に一番力を注いだ。オットマーが信頼する精鋭を閉じ込めるつもりだったから、彼らの相手をしなくてもよい算段だった。
事実、身動きを取りづらくするための周辺拠点の警備は薄く、リチィオが思ったよりも簡単に終わってしまった。あとは、ゆっくりとオットマー達を締め上げるだけ。
「まさか、こんなに攻めることのできる部隊が
木登りは、飛び降りられる高さまで降りた時が一番注意しなければいけないという。まさに、リチィオの見せた唯一の隙を敵は突いてきたのだ。
「敵を率いているのは……まさか、彼かな?」
一人だけ、リチィオに思い当たる人物がいる。オットマーにどうやら嫌われているらしい彼は、ダーボン城から遠く離れた場所で雑務ばかりしていた。
そんな彼も、ここからは遠く離れた場所にいたはずだ。
「まぁ、でも。それしかないか」
どうやら、リチィオの目を盗んで部隊を移動させていたらしい。それにしても、動きが速すぎる。しかし、彼が近くにいると考えればリチィオには納得がいく。
「これは私の居場所も事前に知られていたな。いやぁ、さすがにまいった」
リチィオは、どこか嬉しそうな表情で頭を抱えていた。
「リチィオ殿っ!」
ドン、という物音と共に飛び込んできた自分を呼ぶ声。がリチィオは思考を中断させて向き直る。
その音の方には、味方の戦士が倒れている。なんとかリチィオのいる天幕に飛び込み、そして、動けなくなったのか。入り口で倒れたまま、その体を小刻みに震わせている。
「ドルト」
リチィオはその容姿に見覚えがあった。彼に呼ばれて、顔をあげた青年は間違いなくリチィオが知っている人物であった。
ドルトナーム。
父を王国に奪われ、
この反乱に参加したのも、父の敵を取るため。その熱意は買うが、どこか危ういとリチィオは考えて前線に送らなかった。
しかし、かつて目にした熱い血を、彼の頬に感じることはできない。
「リチィオ殿、逃げてください。もう、ここまで、敵が……き……て」
ドルトは力を振り絞るも、最後までリチィオに伝えることはできない。リチィオの視線の先で、彼はそのまま力尽きてしまった。
リチィオの意識はドルトに集中している。彼の亡骸に近寄ろうとするまで、リチィオはその存在に気づけなかった。
「おや」
入り口に立つ、一つの影。
(ああ、やはりそうか)
リチィオはその姿を一目見て、自身が追い詰められている理由が自分が考えた通りであったことを悟った。
「
その銀色の髪が、雨に濡れて光っていた。
その容貌に一致する敵兵を、リチィオは一人しか知らない。そして彼は、今回の戦で唯一、自分の予想を上回ってきた相手だ。
「ここで命を奪うことはしない。貴方にも言い分はあるでしょう。処分はその後で」
その敵に対する甘さに顔が緩みそうになりながら、リチィオは真っ直ぐに彼の視線を受け止めていた。
(なるほど。彼は、こんなに小さかったのか)
女性のような顔立ちに、軍人らしからぬ細い体。情報から推測していたものよりも、一回り小さい彼の体にリチィオは驚きを覚えていた。
北部軍士官、シルク・アルビス。エンブル砦の攻防で、オルドーが最期の相手と決めた北部の将の一人。
(いや、あの時は候補生だったか)
あの戦に負けても、他に策はあった。しかし、新たに準備が必要になった。
(その時間が、彼を成長させたとしたら皮肉なものだ)
エンブル砦で一躍、敵の英雄となった少年。彼の存在がここまでリチィオの計算を狂わせるとは、その時のリチィオには予想できなかった。
しかし、今なら心から納得できる。彼は、それを為してしまう人物なのだと。
指揮官でありながら、真正面からリチィオのもとまで斬り込んできたシルク。その行動から、彼が取った行動をリチィオは読み取って、その大胆さに呆れさえ覚えていた。
(自分を
シルクの銀色の髪。それはアルテ族はもちろん、王国に反旗を翻した仲間にとって忌むべく色。
銀の髪は、ヴェレリア王家に色濃く残る血縁の
(まぁ、無理もない。若い子達には効いちゃうよな)
冷静に見ることができれば、ただの髪の色だ。しかし、人の心は簡単に制御できない。反乱に手を貸してくれた者達にとって、銀髪は圧政の象徴なのだ。
そんな相手の感情をシルクは利用した。自身を危険にさらすというのに、勝率があがるというのなら
(よくやるなぁ。ミィナと同じくらいだろう、この子は)
リチィオは娘の顔を思い出す。
若き将の存在は、戦場を一変させる。シルクがそうであるように、ミィナだってその武が生み出す相乗効果は計り知れなかったはず。おそらく速攻はさらに速度を増し、北部軍を、そしてシルクの予想を超えて立ち回れた。
(ああ、なんだ)
そこまで一瞬で考えて、リチィオは悟った。
(敗因は私の親心か)
先程、シルクのことを甘いとリチィオは思った。しかし、自分も大概だ。そして、シルクよりもたちが悪い。
リチィオの甘さは味方の命を奪い、シルクはリチィオを生かそうとしている。
(ここまでだな)
完敗だ。リチィオは観念し、両手を上げる。
「えっ?」
その潔さに、シルクは明らかに動揺していた。無理もない。命尽きるまで戦うのがアルテだというのが、皆の共通認識だ。
(その辺は未熟だな)
表情に出すとは可愛いところもあるではないか、とリチィオは思った。やはり、年齢相応の幼い部分はシルクにも残っているのだとリチィオは内心で微笑んだ。
これなら、まだ、勝ち目はある。リチィオは負けたとしても、アルテは負けない。
「私を連れて行くなら連れていきなさい」
リチィオは若くして自分に策で対抗してくるシルクが自分をどう扱うのか楽しみであった。それは、散った仲間のことを思えば不謹慎なこと。
しかし、そんな態度をとれるのは、リチィオの自信の表れでもある。
革命は、終わらない。
たとえ自分が散っても、最低でも北部の奪還は可能である。絶体絶命の状況にありながら、リチィオは確信を持っていたのであった。
「そ、そうか。それは
反乱の首謀者を捕らえた、という情報はすぐにダーボン城にも伝わった。
「は、ははは。やりおった。やりおったわ、あいつ!」
オットマーは笑いをこらえきれない。まさに崖の上に立っていた心境だったのに、逆に相手を突き落としたような気持ちだ。
シルクに助けられた形であるが、そんな彼への劣等感も、今は感じることがないほどに気分がいい。
「攻撃の手が止んだと思っていたが、そういうことだったか」
反乱軍にも伝わったのだろう。敵兵の動きは鈍り、次の行動を測りかねているようだ。拠点を奪われているという事実に変化はないが、
「さぁ、どうしてやろうか」
不安で揺れていたオットマーの視線は定まった。ここから一気に現状をひっくり返してやろうと、ほくそ笑む。
一つ、彼の頭に思い浮かんだ光景があった。その絵があまりにも愉快で、笑みがこぼれる。
「ああ、そうだ。そうしよう。場所は、あそこがいいな」
ぶつぶつと呟くオットマー。その悪趣味な笑顔は、ずっと彼の顔に貼り付いたままであった。
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