第10話 一矢報いる

「ああ、うっとうしい!」

 砦から飛んでくる払い落としてアルテ族の将、バルダニは吠えた。


 バルダニは、昨夜から常に逃げ腰の態度をとっている相手に腹が立っている。バルダニは久々のいくさに興奮していた。それなのに敵兵は一度もぶつかりあうことなく、砦内に引きこもっている。

 結果、ヴェレリアの犬どもの首を欲するあまり、バルダニは消化不良に陥っていた。


「ふん、時間稼ぎなどして何になる」

 どうせ、助けなどこないというのに何を待っているのか。仮にも戦士であれば、戦場で散ることを選ぶべきではないか。

「逃げ道などないというのに」

 王国の援軍が来たという報告はあったが、よく聞いてみればそれは助けとは呼べないほどの少数。彼らの指導者、リチィオの戦略通りに大きな部隊は各地に散っているようだ。


 バルダニが任されたのは東門。時間はかかっているが、戦況は順調に推移している。

 確かに突貫工事で、かつ老朽化も進んでいる。しかし、さすがに戦時に用意された砦である。門はなかなか破れない。攻城兵器でもあれば別であるが、そればかりは用意することができなかった。


 だが、敵兵を守る壁を自軍が超えるのは時間の問題だろう。壁は、それほど高くはない。相手側の妨害も弱まっている。

「背中を斬る趣味はないんだがな」

 壁を超え、門を開けたら最早戦場とは呼べない状況になるだろう。圧倒的な兵力での蹂躙じゅうりん、それはバルダニの流儀に反している。

「まぁ、そのときになったら俺は撤退するがな」

 今まで虐げられてきた恨みを晴らす、そう考えている同胞もいるだろうから彼らに任せよう。


「ん?」

 バルダニが今後を思案している最中、異常なほどの騒がしさが生まれていたことに気づく気づく。敵襲か、と身構えてみればどうも様子がおかしかった。

 重なる悲鳴と、それを囲む困惑の声。周囲もそれに気づいたか、同様に声のする方に睨みを利かせている。


 最初は敵影かと身構えた。しかし、明らかに味方の声が多い。それなのに、騒ぎの中心ははさらに近づいてくる。


(単騎? ……まさか、ここまで来るのか)

 その姿を視認した時、バルダニの額に冷たい汗がつたった。


 味方は自分の死に気づくことなく、道を空けていく。鍛え抜かれたアルテの戦士ならまだしも、蛮族上がりの男達には為す術がない。

 手にした槍を構える。本能が危機を告げる。ぐらり、と近くの味方の影が揺らいだ。


(くるか)

 しかし、槍を構えた先にいるはずの姿がそこにはない。何かが爆ぜる音を残して、敵は姿を消した。


「なっ」

 しかし、それはバルダニの目の能力をはるかに凌駕りょうがする速度で槍の間合いに踏み込んできただけだった。


 躊躇ちゅうちょなく振るわれた銀色の閃き。それが、バルダニの見た最期の光景だった。



 時は少しさかのぼる。


 シルク達が突撃した頃、アゼルは数人の仲間と共に息を潜めていた。


 木々の隙間から様子を窺う。シルクの読み通り、北へ退避した彼らを追いかけていった者達の数の分、砦を囲う兵力が薄くなっている。そのせいでもあるだろう。到着した時には見えなかった、東門の様子が見えるようになっている。

 それでも、ちらちらと、だ。

 

「けっこうマズイな」


 予想より早く門が開きそうだ、とアゼルは予測する。砦を守る兵達の士気が見るからに低い。壁を登る者への妨害も弱々しい。

 絶え間ない攻勢への疲労感が、砦全体から感じられるようだとアゼルは思った。

 

 顔を引っ込めて、アゼル胸をたたく。幼い頃から身につけていたお守りは、育った家に置いてきた。それでも、ここを触れば、誰かが見守ってくれているような気分になる。


(こりゃ、失敗できんな)

 アゼルは、シルクのオーダーを自身の中で復唱する。


 ――東門の攻略を指揮しているのは恐らく一人。部隊の人数の割に率いる者が少ないのが、彼らの欠点だ。だから……、その一人を討ち取ってきてくれ。


 簡単に言ってくれちゃって、とアゼルは笑う。

「ま、何でも言えって言ったのは俺自身だ」

 それでも、シルクが簡単に言うときはアゼルなら必ず実行できると信じてくれているときなのだ。事実、アゼルに作戦実行に対する不安はない。

 ただ、シルクと違って失敗したときの行動を予測できないから怖さは残ってしまう。自分がシルクの期待に応えられなかったらどうなってしまうのか、と。


 こればかりは、幼い頃から変わっていない。勇猛に見えて、アゼルは臆病なのだ。しかし、臆病だからこそ死地にも踏み込める。

 そう、生き残る為に。


「まぁ、やるしかないか」

 事前に考えるより、その場の直感に任せる方がうまくいくのが自分だとアゼルはよく分かっている。


 剣を抜いて、突入の準備をしているアゼルはその手を止めた。仲間の一人の手が微かに震えている。

 それに気がついたアゼルは彼に笑いかけた。

「怖いよな。当たり前だ。一歩、外に出れば命の奪い合いなんだから」

 

 突如、自分の恐怖を肯定された者は驚きの表情を浮かべる。自分だけ怖がって情けないと自身を責めていたものだから、まるで全てを許されたような心持ちになっていた。

 

「あのな、死にたくないってのは大事だぜ。うまく扱えると、その怖いって気持ちも強さになる」

 見本を見せてやるからとアゼルは心からの笑顔を浮かべる。そう、アゼルだって臆病なのだ。誰よりも、彼の気持ちが分かっていた。


「おまえらは、俺の背中についてこい。それだけで、十分だ」

 自分の力量さえ出し切ってもらえれば、彼らは生き残れる。シルクが選んだ人選だから間違いはない。

「俺が声を出したら、分かってるな? それまでは全力で追ってこい」

 そう、皆に告げるアゼル。すぐさま、彼は一本の矢となって戦場に飛び込んでいった。


(す、すごい)

 アゼルが文字通り切り開いた道を、ひたすら走っていく。時折、襲ってくる敵兵を返り討ちにしながら、とにかくアゼルについていくことに専念した。


 自身の身を守るのに必死ではあるが、それでも、こうしてアゼルの背中を見ていて気づくことがある。

 一見、死をもいとわない勇敢かつ無謀な突撃に見える。だが、その実は重なり合う死の気配を敏感に察知して、その合間を駆け抜けているのだ。隙間がなくても、無駄のない剣戟がその壁を切り払っている。

 そうして、アゼルはただひたすら目標に向かって進んでいくのだ。段々と仲間と離れてしまっているが、それもシルクの言っていた通りだから何の問題はない。


(あと少し……)

 アゼルは明確に一点を目指していた。シルクが偵察した通り、この場の指揮官はただ一人。彼だけを、アゼルの剣先は狙っていた。


 誰を狙えばよいか、シルクに尋ねると彼はこういった。

 それは君に任せるよ、と。


 確かにシルクの言う通りだとアゼルは思った。

 こうして戦場に立ってみれば、誰も彼もがばらばらに行動しているよく分かる。アゼルがいくら俊敏であろうと、道を塞ぐように組織だって行動されれば、上手く事を運ぶことはできないだろう。

 自分が狙うべき指揮官も遠目で見て判断ができた。そして、その標的はすでに目前に迫っている。


「はぁっ!」

 一息、突き出された槍を最小限の動きでかわして懐に飛び込んだ。そのまま、体の勢いにまかして剣を振るう。

 その剣が敵をとらえ、その体躯が大地に倒れ込んだのを視認するとアゼルは大声で叫んだ。


「敵将、討ち取ったっ!」

 周囲の敵兵が信じられない様子でアゼルの言葉を聞いている。何人かは倒れ込んだ男に視線を泳がせていた。

 アゼルが走ってきた道は、まだ閉じていない。味方が、打ち合わせた通りに自分に近づく敵兵を相手にしてくれていたからだ。


 さぁ、次の行動は決まっている。


(さて、こっからは運に任せるってところか。ま、それも悪くはない)

 シルクの策も、ここからは確定的ではない。それでも自分のやるべき行動は決まっている。

 まずは、この混乱から脱出しなければ。

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