第45話 寂しさを持ち寄って
俺は志願
表向きの肩書は馬匹管理長とかなんとかで、軍事用の馬の調教や厩舎の設備責任者を兼ねた役割――ということらしい。結構上の立場だ。
特別上級士官。イリエ特別上級士官と呼ばれるようになってしまった俺は、その表の仕事をこなしつつ秘密裏にある計画の中心に据えられる羽目になった。
馬を育てて調教するだけなら得意な仕事だ。護法軍の中でもやっていけるだけの自信もあったし、俺個人がいままで培ってきた努力を十分に発揮できる場でもある。
だけど殺人人形・
はっきりいって面白くない。
結局のところ百の手は殺人人形なのだ。
いくら俺になついたところで、原罪なき者を皆殺しにしようとする本能みたいなものは残っている。それを我慢させることはどうも無理なようだ。
たとえば対フィーンド戦に参加させたとしても、フィーンドよりも護法軍の味方をブチ殺すのでは被害が増すだけだ。
だから……。
ちくしょう、なんでそんな話になる!
俺はニムボロゥ将軍を始めとした軍首脳陣の決定に耳を疑った。決定だ。検討じゃない。
あいつらは、俺『だけ』を戦場に放り込み――いいか? 俺だけ、俺ひとりだけだ。俺ひとりをフィーンドとグレイ=グーひしめく戦場に放り込んで、その性能を確かめることにした。
こんなもの、厄介払いにきまっている。
危険極まりない百の手が灰の中で暴れてくれるならそれで十分。俺が死んでも護法軍の腹は痛まないし、万が一グレイ=グーを撃退する能力が認められればそのまま同じように転戦させる気だ。
どう転んでも俺には悲惨な末路が待っている。護法軍は降って湧いた幸運をとりあえず試しに使ってみるかという感覚に違いない。
だから俺は憤慨し、一日中いらついて馬の世話にも身が入らない。
ぼんやりと腰掛けているところに、チャンプが大きな体で近づいてきて横顔をぶつけてきた。
半端じゃない馬体重のある陸王サイのパワーは、俺の体を横倒しに転ばせた。
――てめー、どうでもいいけど俺様の世話くらいしやがれ。シワんところに灰が残っててピリピリするんだよ。
そんなふうな目で俺を睨みつけた。
「悪い。ちょっとな」
会話が成立しているかのように俺はチャンプの足元に踏み台を置いて、肩から背中をブラッシングしてやった。
平和な時間だった。
灰も降ってこないし、慌ただしい出兵の様子もない。グレイ=グーの暗躍はどこか遠い場所の出来事のような気がする。
本当にそうだったらいいのに。
ラルコ、ルシウムは死んだ。グレイ=グーのせいで。
「俺だって、仇が討てるってんならそうしてるけどさあ。でも……」
――ふん、女々しい野郎だ。お前の代わりにあの怪物どもを踏みつぶしてやろうか。
「無茶いうな、あいつら死なないんだぞ」
――だったらあのなんとかいう人形はどうなんだ、あれがあれば……おっと、客人だぞ。
振り返るとリリウムがいた。今日はトゥルーメイジではなく単なる普通の格好をした女に見える。服装がそれらしくなければ、特別な雰囲気をまとっている感じはしない。
「本当に動物と心が通じているのね。魔法を使っても会話までは中々できるものじゃないわ」
「陸王サイの頭がいいだけだよ。それに、通じあってるって思い込んでるだけかも」
「でも、それでも凄いと思う」
リリウムは気安い感じで俺の隣に来て、チャンプのごつごつした肌をなでた。
そこらじゅうから馬糞の臭いが漂っている。俺はもう慣れてしまっているが、リリウムはどうなんだろう。大きなお世話かも知れないがそんなことを考えた。
眼帯をしていない右目は上空の雲の行方を見ていた。
「夜から雨になりそう」
「それも、魔法の力で?」
「もぉ、違いますよ。天気くらい何となくわかります」
そういうものだろうか。俺にはよくわからないが、彼女がそう言うならそうなんだろう。毒混じりの雨にふられたら面倒だから、今日は早めに厩舎に引っ込めよう。
俺はどうもリリウムの言うことを簡単に信じすぎている気がする。トゥルーメイジという立場の人間が軽々しく嘘をつくはずがないという思い込みもあるが、それ以上に彼女だから信じてもいいという気持ちが強い。
ルシウムの妹であるということに同情心があるのか、それとも彼女に惚れたのか? まあ、確かに彼女は美人だが。
「ねえ、イリエ」
「はい?」
「あなたは本当に別の世界から来たの? その……」
「チャールズ・アシュフォードと同じように?」
「まあ、そうなるかな。時代も国も違うけど。前にも言った通りだよ。地球っていう、全然別の世界から……」
「魔法の代わりに機械と電子と化石燃料が動かしているのでしょう? すごいなあ……どんな世界なんだろう。灰の降る前のこの世界より栄えていたのかな?」
リリウムはまた俺の言葉を最後まで言わせずに、夢見る乙女のように指を組んで片目をきらめかせた。
彼女はまだ19歳だという。
つまり生まれてから今まで灰の降る環境以外を見たことがない。地球のことはもちろん、自分が生まれた世界の本来の姿さえ想像できないのではないかと思うと、俺は胸の中に泥が詰まったみたいな嫌な気分になった。
「それで……イリエ。決心はつきましたか?」
「決心? 俺の決心なんて護法軍は考慮してくれないんだろう? 武器にするにしても捨て駒に使うとしても、軍は絶対百の手を使おうとするだろうし」
いまは黒い箱『禁断』に隔離されている百の手のことを想像しながら、俺は平静を装った。俺はもうただ灰の毒を恐れているだけの立場ではいられない。戦争に巻き込まれているんだ。不安がどうやっても拭えない。
「封印したまま無理して使わなきゃいいものを。勝手なことばっか言いやがって」
「じゃあ、辞める?」
「え?」
「私の権限で計画を全て中止にさせることは……一応できると思う」
「そりゃあ……そう言ってくれるのはありがたいけど。でも、そんなことしたっていずれは……」
全部灰に沈む。俺はそう言いたかったが、口には出さなかった。見ないふりをしていることをわざわざ明らかにしなくてもいい。
「……聞いたよ、北の方でまた集落が全滅したって」
「そうらしいです。防衛にあたっていた護法軍も壊滅だって」
「グレイ=グーかな」
「そうだと思う。最近はもう、この地上を好きなように蹂躙しているらしくって……」
「じゃあ、ますます百の手を使いたいと思うだろうなあ。もう護法軍には余裕が無い。使えるものは800年前の殺人マシーンでも使えってね。そうなると俺にも逃げ場がないってことになる」
俺の少しおどけたような態度に、リリウムは顔を伏せた。気の毒に思ってくれているのかもしれない。思われたくらいでどうにかなるものでもないが、一応嬉しかった。
「では、せめて私も現場で対応できるよう同行します」
「え?」
「最悪の場合でも、私の魔法ならグレイ=グーを遠くまで
「ちょ、ちょっとまって待って」
「はい?」
「だって、リリウムはトゥルーメイジなんだろう? 世界であと何人残っているのかわからないけど、その最後の最後なんだろう? そんな人間がうっかり外に姿晒したらヤバいんじゃないの? もし何かあったら、俺はどうすりゃいいのか」
「それなら、あまり気にしないで。私が死んだくらいじゃ、大した影響はないわ」
俺はぽかんと口を開け、何を言えばいいのかわからずに開けっ放しになった。
だって、トゥルーメイジだ。
世界の魔法を支える3つの要素、魔法の塔、大坑道の秘石、そしてトゥルーメイジだ。それがなくなったらいよいよ人間には後がなくなる。
リリウムがそのひとりで、そのリリウムが死んだら……。
「ううん、そうじゃなくて。私、トゥルーメイジじゃないの」
「……ん?」
「だから、私はトゥルーメイジじゃないの。護法軍最高魔法顧問だけど、トゥルーメイジじゃないの」
「だって、あのニムボロゥ将軍が『この世に残された世界最高の魔法使い』って……」
「うん、それは本当」
「だったら」
「最高の魔法使いだけど、トゥルーメイジじゃないってこと」
「それは、その……どういう?」
トゥルーメイジは
*
魔法使いも老いるのだ。
灰が降り始めてから半世紀。その間、新しいトゥルーメイジはひとりも生まれなかったという。
つまり、この時代のトゥルーメイジというのは灰が降り始める前から生きていた人物ということになる。灰が降り始めた時の年齢プラス50年。
「本当の最後のひとりが亡くなったのはもう10年以上昔なの。それから空白が続いて、私がたまたま魔法の力が強かったから、代理の代理で『今の世界で一番高位の』魔法使いになっているってわけ」
リリウムは寂しそうに肩をすくめた。
彼女もまた自分にはふさわしくない場所に連れて来られたひとりだった。
一番高位といってもそれはこの時代だから言えることで、正式な階級で言えばトップから数えて4番目くらいに当たるらしい。つまりそこから上はもう誰も生き残っていない。
まだ10代の若さでそこまでの才能を発揮するのはおどろくべきことのはずだ。
でもいまは彼女が事実上のトップを務めなければならない状態で、護法軍に保護されつつ力を貸している協力関係を結んでいる。
問題は彼女自身のことよりも、トゥルーメイジがすでに10年以上不在だったという事実だ。
トゥルーメイジがいなくなると魔法の力が維持できなくなってもうどうにもならなくなる。そう聞いていた。
「実際、もうどうにもならなくなっているでしょう? もう、どうにもならない」
リリウムはそう言った。皮肉げな言葉だけど本人も俺もそれを皮肉と捉えることはできなかった。言われてみればそのとおりなのだ。トゥルーメイジがいなくなったらもう終わりだ――そう言いつつこの世界の人々は生きてきた。でもついにグレイ=グーなんて怪物が現れ始めた。本当にもう終わりだ。
「大坑道で死んだと言われているトゥルーメイジは、本当はトゥルーメイジじゃなくて私と同じ上級魔法使いで……でも、命を落としたのは本当。彼女は私の先輩で、なんて言えばいいのか、もうひとりの姉みたいな人でした」
また嫌な話を聞いた。
他人の口から出る言葉はいつだって灰の毒が混ざっている。
明るい話?
そんなものあるもんか。
俺はどんどん落ち着かない気分になってきて、こっちに来てからの3年間を全部話してやろうかと思ったが、思っただけだった。
俺の話なんてどうでもいいことだ。リリウムに聞かせて何になる。同情でもして欲しいのか?
して欲しいのかな。
して欲しいのかもしれないな。
足元に雨粒が落ちてきた。
雨音の風情も、毒を含んだ雨だと思うと気が滅入るばかりだ。
*
一夜明けて、俺は出征した。
百の手が入った箱を荷台に載せ、チャンプの引く馬車を駆り、グレイ=グーがブドウをすり潰すみたいに人間を殺している工場都市ネモ=レイドに向けて。
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