第43話 樹を巡る二者の対立
護法軍総司令官ニムボロゥ将軍と、ルシウムの妹で実はトゥルーメイジだったというリリウム、そして油断のない目つきの護法軍軍人数名に囲まれて、俺は大本営地下にある牢獄と金庫を組み合わせたようなデカい檻の前にまで連れて来られた。
鉄格子にぐるりと囲まれた空間は広い。たぶんコンビニ2店舗分はある。
鉄格子とは言うものの、太さが尋常じゃない。電柱みたいな鉄の柱が縦横に組み合わさって出来ている。おそらくその材質もただの鉄じゃなくて、魔法刻印の入った強化金属だろう。
「これが『狂える人形遣い』チャールズ・アシュフォードの遺産だ。800年前に生み出された
ニムボロゥ将軍が険しい顔で檻の中を遠巻きに覗きつつ、言った。
「イリエ、どうぞ中を」
リリウムにそう言われ、俺は腰の引けた姿勢で太い鉄格子に近寄って、隙間から中にあるモノを見た。
檻の中央で重そうな鎖がからみ合って、小さな山ができている。これがアーティファクトなのか?
「そうではない。鎖が絡んで動けなくなっているのだ」
目を凝らすとその意味がわかった。
鎖の山から、マネキンのような『手』が何本かでたらめな方向に飛び出している。腕だけで、頭や足はない。見えるだけでも何本か、鎖のせいで見えない腕も何本かあるだろう。『百の手』といわれれば確かにそんな感じはする。
ずいぶん念入りだ。鎖で簀巻きにして、そのうえ檻に閉じ込めるなんて。
「鎖で巻いた上で閉じ込めないといけないからだ。これの動きを封じ込めるために兵士たちの命がどれだけ奪われたか。詳しく聞きたいか?」
ニムボロゥ将軍の眼光は鋭く、俺は苦笑いして遠慮した。
*
俺はあることに気付いた。
あの黒い箱に護法軍がこだわって、最終的に部外者の俺に託してまで送り届けたことの意味も、この『百の手』にあるのではないか。
あの黒い箱、アーティファクト『禁断』は、定められた方法で開けない限り破壊不能だという。外からも、内側からも。その中に『百の手』を封印してしまえば、こんなごつい檻を使う必要はなくなるはずだ。
「おおむね正解だ。『百の手』は護法軍の本営を建設する際に
ひとり残らず絞め殺す? 確か重要施設防衛のための自律思考ゴーレムという話だったはずだ。でもそれじゃただの無差別殺人マシーンだ。
チャールズは誰を殺し、誰を通し、誰を排除するか区別する方法の実現に悩んでいた。つまり基準のことだ。
合言葉でもなんでもいいはずなのに、チャールズ・アシュフォードはもっと完璧を求めた。これまでにない、画期的な手段を、究極的な答えを求めた。
人間と人間でないもの、敵意を持つものと敵意を持たないもの、善と悪、義人と罪人。
魔法を使うもの、使えないもの、その目的。一体何を基準に敵と味方を区別させればいいのか?
ゴーレム内部に自立思考型人工霊魂を封入するのはいいとして、そのプログラムの最も初期段階にあたる『人間と人間でないもの』を分ける部分。そこさえクリアすれば、あとは思考内容の調整でなんとかなるはずだ……。
ここまで来ると行き過ぎじゃないかと俺は思った。
手記の記述を追う限り、チャールズは、通していい人間と排除すべき人間の違いをゴーレムに判断させる手段というよりは、別のものを追い求めているようにしか思えない。
それは人間と人間以外を区別する者はなにか、そして善と悪とはなにかという宗教的な問題を、高性能防衛ゴーレムの制作の最中に考えすぎていたようだった。
それが間違いの始まりだった。
「何かが彼を狂気へと駆り立ててしまったの。でもそれが何か、800年の歳月を経てもわからない」
リリウムが音もなく俺の横に来て、手元のウィジャ・メモリボードを見るように促した。
「手記の残りの部分は、どういうわけかほとんど読み取れなくなっているでしょう? 文字も言葉もなんであれ意味が通じるはずなのに、いったいどういう方法を取ったのか、彼は神の祝福を回避して記録を残している」
俺はリリウムの言葉に従い、手記の大半を飛ばして後ろのページを開いた。
確かに、前半のページに比べれば歯抜けのように『読めない』文や単語が出てくるようだった。『読めない』というのは、言語を超えて意味が頭のなかに入ってくる魔法の作用が働かないという意味だ。
ただ、リリウムの言うような『ほとんど読み取れない』ようには思えなかった。
もしかしたら、これは神の祝福とは少し違う問題なのかもしれない。
俺は地球人で、曲がりなりにも英語教育を受けていた。古い英文であっても単語を拾ってニュアンスを理解するくらいならできる。
そのせいか、他のページと比べて極端に『読み取れない』ことはなかった。
つまりこういうことだ。
この世界の人間には、たとえリリウムのような大魔法使いであっても読めない手記の内容を、俺だけが読める可能性がある。そういうことになる。
*
『私は聖書の神に信仰を捧げた。魔法の神に信仰を捧げた。ふたつの神はその本質において同じであると私は信じた』
『夏と冬で太陽のあたたか味が違うように、我が故郷とこの世界では差し伸べられる愛もまた異なるだろう』
『しかし、私は知ってしまった』
『なぜもっと早くこのことに思い当たらなかったのだろう?』
『私は激しい嫉妬と憎しみを抱いてしまった。おお、お許し下さい。私はもう後戻りできなくなってしまった』
『私はもう魔法の力を身につけてしまった。元の子羊ではいられなくなってしまった』
『我らの祖は神の庭から実をもいだ。罰せられ、罪とされた。では彼らはどうか? 魔法の神は彼らに何を――――』
『罰せられてなどいない。我らは有罪で、彼らは無罪』
『やはり、そうだ。生まれつき違うのだ。そうであるならば、私は私の叛乱を始めなければならない。私と私の運命への叛乱を』
『主よ、お許し下さい。Original Sinをもたぬ全ての者、汝らに災いあれ』
*
Original Sin? オリジナル・シン?
シン……罪? オリジナルの罪っていうのは……『原罪』のことか?
生まれた時から人間は罪を背負わされているっていう、例の勝手な言い分だ。
原罪か。
原罪をもたない全ての者を、チャールズ・アシュフォードは呪った。
この世界の神話ではバベルの塔みたいなものを建てても怒られるどころか褒められて、魔法の力を与えられた。
庭に生えてた知恵の実を食った食わない程度で人間を楽園から追い出した懐の狭い誰かに比べれば、ほとんど甘やかされていると言ってもいい。
そして、手記の記述を読む限りチャールズは同じようなゴーレムを多数制作して、それを従え、たったひとりで叛乱を仕掛けた……。
『狂える人形使い事件』という名前で呼ばれるテロのせいで、
ひとりの異世界人が、ひとりの地球人が、信仰と魔法で揺れ動いた男が、人類全ての財産を奪ってしまった……。
無茶苦茶だ。何でそんなことを? 何のためにそんな破壊活動を仕掛けたんだ?
世界のすべてを敵に回して、そんなことをして行き着く先は自分か全人類どちらかが死ぬまで終わらない。理解できない行動だ。
「原罪を持たない者って、要するにこの世界の人間全員のことじゃないか」
俺は深く考えずにつぶやいただけだった。
でもその瞬間、『百の手』の檻を取り囲む全員にざわっと緊張が走った。
「待て、何と言った? 聞き捨てならんぞ」
「まさかイリエ、あなた『ゲンザイ』の意味がわかるの?」
「どういうことだ? お前はチャールズ・アシュフォードの記述を理解したのか?」
「教えてください、ゲンザイとはどういう意味なのか」
ニムボロゥとリリウムが、交互に俺を質問攻めにした。
何なんだこれは。どうなってるんだ。
俺は反射的に曖昧に笑ってごまかそうとした。
それが通じる状況ではなさそうだ。
*
知っている範囲のことを説明させられた。
ちょっと信じられないことだけど、ニムボロゥも、リリウムも、他の人間も、彼らはみんな原罪という言葉の意味を全然知らなかった。
800年間、ずっと謎のままだったチャールズ・アシュフォードの動機を、適当な語学力しか持たない俺が解いてしまった。
そう考えると、チャールズの葛藤を少しは理解できたような気がする。
この世界の人間は、聖書の神が人間に架した原罪を全く知らないまま魔法の力という物凄く強大なものを与えられている。
一方、俺達が元いた世界では、生まれる前から罪を背負わされ、ずっとその罪を背負い続けて生きている。
どう思う? 俺ならそんなズルい話があるか、と思う。
かたや神に祝福されて魔法の力を授けられ、かたや楽園から追放されて罪を背負わされ。
この神が、もし同一人物だとしたらひどい
俺ならそう解釈する。
でも俺と違ってチャールズは真面目な、熱心な、本当に真剣な信仰心を持っていた。適当なたとえ話じゃなく、信仰が根底からくつがえるような気分をずっと味わいながら、それでも神と魔法の追求を行っていた。
そのあたりの断絶みたいなものが我慢できなくなって、それでも魔法使いと信仰者の両方であり続けることしかできなくて、ついに原罪の有無という根本的な差に思い至って、最後には心に亀裂が入ってしまった――らしい。
理解できる話――いや、やっぱり俺には理解できない。
チャールズは結局はこの世界でただひとり『地球の人』であり続けようとしていたんじゃないだろうか。
いいとか悪いとかじゃなく、しっかりしたアイデンティティがずっとあって、そこに魔法使いとしての新しい価値観が入って、ふたつが混じらないままその瞬間を迎えてしまった。
俺が早々に諦めてしまったものを、彼はずっと手放さなかった。
理不尽だ。
俺も、彼も、自分の意志とは関係なくこの世界に飛ばされただけなのに、何で俺達ばっかり色んな物を失わなきゃならないんだ?
これじゃあ灰があってもなくても変わらないじゃないか。
なんで俺達だけが失い続けるんだ。
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