第30話 灰色の大地を駆ける王者
東エーア=メシオン連合王国という国があって、昔は相当な大国だったらしいが、地獄が地上に噴きでた後の舵取りに失敗した。
降灰直後の混乱に乗じて版図を広げようと真っ先に戦争を仕掛けて、それどころではないことに気付いた時には何もかも手遅れになっていた。
初めから周辺国と団結していればもう少しマシだったかもしれないが、今さらそんなことを言ってもしょうがない。
結果として、聞くのも嫌になるくらいの命が失われ、十分な対策を講じられないまま水源も穀倉地帯も穢された。
多くの国民の命が失われた。当時の王侯貴族たちも同じく毒の灰で死んだ。あるいは怒り狂った国民に吊るされて死んだ。誰がどうやって、という細かい末路はわかっていない。そんなことを振り返っている暇はもう人類には残されていなかったからだ。
現在では、かつての領土の8割ほどは灰に沈んでいて、人間が住むことはできない。灰が降り始めてから最も被害が大きかった地域だという。もっとも、いまは国境さえ失われているから、大きいも小さいも関係なくどこも似たようなものだ。
絶滅の波という言葉があって、それは生存可能領域が限界を超えて連鎖的に破綻していく様子を意味している。その最初の大波は灰による大量死とその後の極めて重大な食料不足によって起こった。
家畜が死んで、畑の土も汚染されたらどうなるか。答えは簡単、食べるものがなくなる。
魔法による代用食料の生産と、一部のイモ類が毒の影響をほとんど受けないということを発見されなければ、人口減少率はもっと垂直に近くなっていたはずだ。
ちなみに代用食料は食感とカロリーがあるだけで、ビタミンAとかBとかそういった栄養素はほとんど含まれていない。魔法で完全再現するのは難しくて、実現するまで待っていたら飢餓を食い止めることはできなかったらしい。
一方で、汚染に強いナナイモは栄養豊富だけどストレートに不味い。
ジャカルタから入ってきたイモが訛ってジャガイモになったみたいに、ナナイモのナナもどこかの地名らしい。
その土地もどこかで灰に埋もれているんじゃないかな。
ともかく、毒を防ぐ農法や飼育法が確立されるまでは酷かったらしい。息を吸ったら毒で死ぬ、食い物に毒が混じって死ぬ、食い物がなくなって死ぬ、食い物の奪い合いで死ぬ、食い物にされて死ぬ。
俺もこっちの世界に来てからずいぶん苦痛を味わったし、目の前で人が死んでいくのも見てきた。十分なほどキツかった。だけどそれよりもずっと厳しい時代があったのは間違いない。
そんな環境がしばらく続いて、現在の世界情勢がある。
激減した人口と、灰を防ぐ食料生産が広まってできたわずかな均衡。それが上っ面だけの安定に過ぎないことは誰もが知っている。このまま灰が降り続く限りいつか必ず限界が来る。
だけど大抵の人は自滅を避けようとするし、生き延びて少しでも楽な生活を送りたいと願う。積極的に欲を満たそうとしたり、生きがいを手に入れたいという自由がある。結果として願いが叶わないとしてもそれは別の問題だ。
人類が滅びるとしても、笑ったり喜んだりしたらいけないなんて話にはならない。
商売での損得勘定も無くならない。デカい儲け。挑戦と成功。そういうものは存在する。かつての平和な時代なら鼻で笑われるほどのデカさであったとしても。
俺だってそうだ。護法軍から重大な仕事を任されて、かなりの報酬が約束され、荷駄に転用するのがおそろしく難しい陸王サイを手なずけることができた。充実していたといってもいい。
俺はこのとき『先』を見ていた。
何かもっと大きなものが得られるチャンスなんじゃないかと、そんなことを思ってしまった。
俺らしくない。いつもなら頭のなかのもうひとりの俺がたしなめていたはずだ。死なない程度に仕事をこなして、そこそこカネを貰って、世界の片隅で細々生きていればいい。それ以上を望むと転ぶだけだぞ……。
そのままの生き方を続ける方が正しいと俺は知っている。
死にかけた世界の片隅でいい、できるだけ安全な場所で生きていく方が絶対にいい。
そうするべきだと俺は知っている。
なのに俺は、あやふやなチャンスへと手を伸ばそうとしていた。
後悔することになるぞ――。
知ってるよ、そんなこと。
*
目的地は、旧東エーア=メシオン連合王国領内のニューステージ市に置かれた護法軍の本拠地。
極光都市と呼ばれていたニューステージは、灰が降りだす以前は聖地とみなされる場所だった。
はるか昔に魔法の塔の一本・
見る影もない廃都同然になった今もなおその力は存在し続けていて、それを利用するために護法軍が本拠地を作ったという。
俺は出発前に使い古しの灰合羽や防毒マスクをまるごと買い替えた。
旧アベリー市からニューステージまでは距離がある。長期間灰にさらされることを考えると、できるだけ信頼できる装備にしておきたかった。荷物を運ぶというよりは登山に近いと思ってほしい。簡単に後戻りできないし、手落ちがあれば生死に直結する。
他にも細々とした品を買い込んだがいちいち挙げる必要はないだろう。
空の魔法箱と、ついでに護法軍本拠地に運ぶ物資をいくつか、それに護衛のためルシウムとラルコが同行することになった。
俺ひとりで移動するよりははるかに安全だとわかってはいるが、正直なところまたこいつらかよ、と思わないでもない。
できればあのバウリという女士官と一緒のほうが良かった。彼女は有能だが事務方なのでそれはかなわなかったが。
ともかく、出発が決まった。
「チャンプ、いよいよ出発だってよ」
俺は陸王サイの前足にブラシをかけながら話しかけた。チャンプというのは俺のつけた名前だ。
チャンプはものすごい勢いで鼻息を吹き出し、首を傾けて上から睨んできた。いつまでまたせやがる、早く俺様に走らせろ。そういう目だった。
軍馬としては無理でも、荷駄として
言葉がなくても意思疎通ができるという神の祝福のせいなのかもしれない。ウロコ馬のときも陸王サイのときも、俺は何となく気持ちがわかった。向こうも俺の言いたいことがわかっている。
気のせいといわれればそこまでだ。だから人前では言わない。でも、俺はそう信じている。
「全て積み込み終わったな? ではイリエ、出発してくれ」
ルシウムのはっきりとした声が薄曇りの空に響く。
俺はチャンプの長々した手綱を引いて、馬車を発進させた。
歩幅も足の長さもぜんぜん違うから、ウロコ馬のスピードの比ではない。その分操作は大変だが、それは何とかできそうだ。
半分闇に包まれたような旧アベリー市は早くも小さくなっていく。
もう戻れないかもしれないなと思った。感傷でもなんでもなく、道中で何が起こるかわからないからだ。
反対に、目を離した隙に街の方がまるごとなくなっているかもしれない。実際にそうなる可能性はある。一夜にして全てが灰に沈むなんてことになっても不思議じゃない。これは別に旧アベリー市だけじゃなく、どこの場所でもそうだ。
どこに居たってそうなんだ。
どこに居たって同じだ。
だったら御者台の上に居た方が少しはマシなんじゃないか?
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