第三十五話

 打ち所が悪かったのか、入浴中も入浴後も目を覚まさない彼女を居間のソファーに寝かせ、うちわで扇ぎながらテレビの電源を入れる。

 入浴前とほとんど変わらない内容を報道しているニュース番組。

 ただ、被害情報が更新されたのか、壊された民家や小屋などの映像が鮮明に映し出され、リポーターが現場で状況の説明を行っている。

「やれやれ。祭り好きなのかどうかは知らんが、派手に動いているねー。警察なんて怖くないと宣言しているのか、自分の技術力をアピールしたいだけなのか」

『マスター、ビールをお持ちしました』

「ご苦労。って、俺は未成年だぞ。酒を飲ませるな」

『冗談です。本当はオレンジジュースです。風呂上がりの熱を冷まされるのにちょうど良いかと』

「冷た過ぎると温度差で口と胃が大変なことになりかねませんよっと」

 コップを受け取り、氷入りのオレンジジュースを口内に流し込んで熱していた体を冷ますと同時に咽喉の渇きを潤す。

 あまりにも冷たいため、軽度のアイスクリーム頭痛を起こし掛けたが痛いと明言できるほどの痛みではなかったので我慢。

 のぼせていた頭がオレンジジュースの冷気で冷えていくのを実感し、液体を失ったコップの中を占領している氷も口に含んで噛み砕く。

『お代わりは要らないようですね』

「一杯で十分だ。うむ。やはり風呂上がりの冷たい飲み物は王道だな。こういうジュース系も好きだが、特に牛乳は最高だ。まさに至高にして究極」

『コーヒー牛乳がよろしかったでしょうか。それともフルーツ牛乳でしょうか』

「気分によるが、フルーツ牛乳派寄りだな。不毛な争いに参加する気はないが」

『それにしてもマスター、大々的に巨人について報道されているようですが、この騒ぎはいつ終息すると思われますか?』

「なんだ、一号。お前も気になっていたのか?」

『気になると申しますか、あまり騒ぎが大きくなられますと楽しみにしているドラマの再放送が中断や延期されてしまう危険がありますので』

「それは辛いなー。俺も最近は結構気になるアニメとかあるし。野球とかやるのは構わないけど、アニメとかの時間をずらすのはやめて欲しいな、ほんと」

『と、話は変わりますが、マスター、先程、保険医様より電話がありました』

「保険医から? 用件は?」

『公的機関が動いているんだから派手に動いたりするな。とのことです。無論、貴方様が言うなと返答しておきましたのでツッコミは不要かと』

「よくやった、一号。後でトマトを一個、多目にくれてやろう」

『いりません』

「在庫処分品が余っているんだ」

『ご自身でお食べください。マスター、そろそろ刑事モノのドラマが始まる時間です。巨人などというどうでもいいニュースはもう消してもよろしいでしょうか』

 返事は聞かず、リモコンを奪い取るとチャンネルを変更。

 密かに時間を計っていたのか、タイミングよくドラマのOPが始まり――直後に画面が報道番組へ変更され、巨人についての臨時ニュースが流される。

『…………』

「……あー、まあ騒動が収まればまた放送されるだろうから、それまでの辛抱だ」

『……そうですね。では私はまだ家事が残っておりますので、そちらを終わらせに参ります。マスターは如何されますか?』

「紗菜が目を覚ますまで付き添って、その後に寝る。しっかし誓約があるから目覚めても襲われないだろうし、今日の夜は中々気楽だな」

『油断大敵と申しますよ、マスター。紗菜様は心配する必要がないとしても、今朝のように巨人がマスターの寝室を見張っているかもしれません』

「噂をすれば影、という。下手なことは口にするな、一号。本当に寝室の窓に巨人の目があったら俺は言葉で表現し難い顔になると確信している」

『それはつまり、どのような顔ですか?』

「表現し難いと言った。まっ、巨人なんかにストーキングされる理由も思い付かないし、いくら深夜でも巨人が一人で外に立っていたら今度こそ夜の連中に襲われるだろうから、気にしなくても平気なはずだ」

『先程、噂をすれば影とおっしゃられましたのはマスターですが』

「……この際だ。来たら来たで盛大に歓迎してやろう。向こうが創られた有機物の巨人ならこっちは造られた無機物の巨人だ」

『この前、ガン○ムを模した巨大ロボットを建造しようとして怒られたのをもうお忘れになられたのですか?』

「うむ。ガ○ダムだから怒られたのだ。故に○ンダムでなければ怒られない。すなわち今度制作すべきは勇者エクスカ○ザー! もしくは太陽の勇者ファイバ○ド!」

『マスター。寝言は寝ている間に好きなだけおほざきください。そろそろ付き合うのも面倒になってきましたので』

「我が作品ながら冷たいなー。お前もそうは思わなイカ?」

「どっちかというと暑い。だからあにぃ、冷たいジュース頂戴」

「一号、イチゴ牛乳を一つ」

『イチゴ牛乳はジュースに分類されませんが』

「なんでもいいから冷えた飲み物! 妾は今、乾いておるのじゃ!」

『畏まりました、紗菜様』

「うむうむ。苦しゅうない。あにぃ、もうちょっと強く扇いで。その程度のそよ風じゃ私の体の熱は冷ませないのじゃ!」

「仰せのままに」

 扇がれていることに優越感を覚えた紗菜は起き上がっては姿勢を変え、片膝を突いてうちわを扇ぐ実兄の左右の肩、それぞれに足を乗せるとだらしなく座る。

 年頃の乙女がしてはいけない体勢。股を大きく開いて隠すべき場所を堂々と曝け出している妹に仁は眉一つ動かさない。

 戻って来た一号が明らかに呆れたとわかったのは一瞬のこと。

 お盆に乗せたイチゴ牛乳入りのコップを彼女に差し出し、関わり合いになりたくないと態度に表すように居間から去る。

 氷菓子の如く冷え切ったイチゴ牛乳。熱く滾っていようと――熱く滾っているからこそ少しずつ飲むべきものをまるでビールを一気飲みする中年オヤジが如き勢いで飲み干し、周囲をまったく気にしていない盛大なゲップを漏らす彼女は若くして完全に女を捨てているようにしか見えない。

「どうしたの、あにぃ。うちわを扇ぐ速度が遅くなっているわよ」

「兄には色々とあるのだよ。お前も兄になればわかる」

「性転換しないと無理な話ね。あと、お父さんとお母さんに頑張ってもらうか、何処かその辺の孤児を適当に見繕って養子縁組を結ばせるとか?」

「後者はアウトな発言だ。第一、あのぶっ飛んだ両親の養子になりたいと願う奴が何処にいる? いたとしても俺は全力で止めるぞ。あの二人に預けるのも、この家に住まわせるのも危険極まりないからな」

「父さんと母さんが養子相手だろうと厳しい特訓を強いるのはわかるけど、なんでこの家に住まわせるのが危険なの?」

「放し飼いになっている性獣が一頭、住んでいるからな。本当は鎖に繋いで鋼鉄製の小屋の中にでも入れるのがベターなんだろうが、そのくらいのことで制御できるほどおとなしいケダモノじゃないし」

「ケダモノにケダモノ呼ばわりされたくないっての。ふぁ、ふあー、あっ……」

 宙に投げられたコップが地面に落ちる前に仁が回収。

 ほぼ同時に姿を消していた紗菜が彼の背中を椅子代わりに腰を下ろし、眠たそうに目蓋を擦って欠伸をする。

「お姫様はそろそろおねむの時間らしいな。そんなところは子供らしい」

「そうみたい。今日も色々頑張ったから、ちゃんと回復させないと。ってなわけであにぃ、添い寝したいなら私の部屋に来ていいわよ」

「悪いが、寝る時は一人の方が気楽なんでな。それに誰かと一緒に寝ると睡眠欲より警戒心の方が高まって軽い興奮状態に陥って眠れなくなってしまうんだ」

「結婚したらそんなこと言ってられないんだし、今の内に一緒のベッドで眠るのに慣れておいた方がいいんじゃないの?」

「その時が来たらその時に考えるさ。どの道、お前と一緒に寝る気はない」

「前は一緒に寝てくれてたのにー。お兄ちゃんってばいつからそんな血の通っていない冷血人間になっちゃったのー?」

「冷血って冷たい血は流れているんじゃないのか? それに一緒に寝たって言っても数えられる程度の回数だろう。いつまでも馬鹿なことを言ってないで、さっさと寝ろ。そして明日の朝もちゃんと起きろ」

「ハーイ」

 彼の背から腰を離した直後、仁の後ろに紗菜の姿はない。

 目に映らない速さでの移動。既に彼女が自室に入ったことは二階から聞こえてくる扉の開閉音からも明白。

 紗菜が眠った以上、仁も夜更かしする理由がなくなったので一号に作業が終わり次第、明かりを消すように一声掛けて自室で就寝。

 珍妙なのか、おかしい点は一つもないのか、起きた時には思い出せないが、夢を見たという感覚だけは残っている中途半端な目覚めに首を回して肩を鳴らす。

 窓を開ければ差し込む太陽の光。巨人の姿など何処にもなく、昨日の出来事は全て夢だったと言われても納得できるくらい清々しい早朝。

 同じく目を覚ました紗菜と合流し、一階へ降りて着替え、歯磨き、洗顔といった身支度を済ませて一号が用意した朝食にありつく。

 テレビを点ければどうでもいい赤の他人の情報や天気、そして巨人についての新たな被害報告が報道され、弛緩した朝の空気が僅かに引き締まる。

「んー、朝から元気ねー。それとも夜からお盛んだったとか?」

「お前じゃあるまいし、年中発情してはいないだろう。だが巨人同士が盛り合ってくれていた方がまだマシだな。その間に仕留めれば無駄に消耗しなくても済むし」

「物騒な考え方。にしても、ここの外で人にあらざる者がこんなに派手な騒ぎを起こすのって何年ぶりだったっけ?」

「確か三年ぶりだ。三年前に首都全域を花粉で覆い尽す花の化身が大暴れして、プロの退治屋や悪魔祓いに滅せられた」

「あー、そういえばアレも結構な被害だったのよねー。花粉の影響で交通機関が完全にマヒして派手な事故を起こしたり、花の化身に養分として吸収されたりして被害は数百人から数千人、下手をすると数万人規模に及んだとか?」

「実際にはもっと多くの犠牲者が出ている。尤も、大地の養分を手当たり次第に吸収して同族である多くの草花を枯らした上に、人間たちから養分を吸収して大妖怪と肩を並べる存在を目指した馬鹿の末路なんてあっけないものだがな」

「もうちょっと真っ当なやり方で大妖怪の地位を目指せばいいのに。無茶なやり方で上を目指しても下や横の連中の反発を招くだけなのよねー」

「退治屋たちに弱点を教えたのも同族だったって噂すらあるからな。せめて初めから人間だけに狙いを定めておけば同族たちを敵に回すこともなかっただろうに」

「それはそれで成長する前に退治屋たちに葬られてたんじゃない?」

「かもな。そこのジャムを取ってくれ。イチゴじゃなくてブルーベリーの方」

「今日はリンゴの気分」

「お前の気分なんて訊いてない。わかった、自分で取る」

「そんなに急がなくてもいいじゃない。まだまだ時間的には余裕があるんだから」

 弾む会話と朝ごはん。暗いニュースは半分以上が他人事。

 食休みを挟んで再び歯を磨き、鞄を持って兄妹揃って登校中、通学路に人だかりを発見したので彼等も野次馬に加わる。

 集団の視線の先、道路の真ん中に落ちていたのは干乾びた巨人の残骸。

 全身から血液を抜かれ、生命活動を停止した巨人の死骸を警察らしき人々が回収して何処かへ運送する。

「なにあれ? 一晩で干物になっちゃうなんてあり得るの?」

「でっかい蚊に襲われたのか、はたまた吸血鬼に血を吸い尽くされたのか。十字架も玉ねぎも水もライターも持ち歩かずに夜の街を出歩くのは危険だと、誰かあの巨人に教えてやらなかったんだろうか」

「最近は異常なくらい禁煙ブームだし、十字架と玉ねぎとライターはあまり持ち歩かないんじゃないの?」

「何もない時は公園に行くといい。水を噴射すれば追い返せる」

「吸血鬼ってそんなにしょうもない一族だったっけ?」

「鬼だって豆をぶつければ逃げ出すんだから、吸血鬼がしょうもない一族だったとしても驚くには値せん」

「そんなこと言っているとまた華恋さんに怒られちゃうんじゃないの?」

「神凪君をけしかけるからまあまあ大丈夫。さて、巨人の干物も野次馬たちもいなくなったことだし、俺たちも行くか」

「はいはーい」

 並んで歩く兄妹はその後も多種多様な殺され方をされている巨人たちの残骸を複数人の野次馬と共に発見する。

 が、兄も妹も無残な姿となった巨人の死骸に興味を無くしていたのか、歩みを止めることはなく、適当な分かれ道で解散、各々の学校を目指した。

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