第五話
置き去りにされた仁は膝を抱えて蹲り、コンクリート製の地面にのの字を書いてイジケてしまう。
だがしかし、イジケてしまった彼に優しい言葉を掛けてくれる者はおらず、一人で立ち直った彼は限界を超えた速度で走り出し、理香と東間を追い抜くと二人の前で仁王立ち。
当然の如く横を通り過ぎていく彼等に一抹の寂しさを覚えながらその成長を称えるようにニヒルな笑みを浮かべる。
「フッ。この俺を超えていくとは、幼馴染みたちの成長は早いぜ」
「面倒だから相手にするつもりはないわよ」
「取り敢えず、そろそろ発狂状態から回復した方がいいかな」
「うん」
自身でも正気に戻った方がいいと思っていたのか、頷いた仁はあっけからんと彼等の隣に並び、雑談に加わる。
明日の天気から唐突に始まるしりとり。正真正銘、暇を潰すためだけの無意味かつ不毛な雑談を繰り広げている間に公園へ到着。
自動販売機で好きなジュースを購入後、ベンチに座って一休み。
「東間、ちょっとそっちのジュース飲ませてくれ」
「これが欲しいのなら最初から買えばいいのに」
「最初から狙っていたが、お前が先に買ってしまったんだ。被るのは科学者としてのプライドが許さん」
「ハイハイ。相変わらずよくわからないプライドを持っているんだね」
ジュースを交換した二人は軽く口の中へジュースを流し込み、全てを飲み切る前に再び交換を果たす。
一方で二人共に理香が飲んでいるジュースには興味がなかったらしく、交換を持ちかけられなかったことに疎外感を覚えながら半ばヤケ気味にジュースを飲み、空となった缶を握り潰す。
「おいおい、何も握り潰すことはないだろう。缶が可哀想じゃなイカ」
「仁。空き缶は潰してまとめて捨てるものだよ」
「そうだとしても空き缶だって生きているんだ。生きているなら俺たちは友達になれる可能性があるんだ」
「物を大切にするのは物作りとして当たり前のことかもしれないけど、空き缶が生きているなんてことはあり得ないから」
「甘いな東間。世の中には付喪神と呼ばれる存在もいてだな。ある日突然、電話が掛かって来て背後を徐々に標的に接近、最終的に背後に立っていた何者かに殺害されて行方不明になるという」
「付喪神は怪談話とは関係ないよ」
「怪談ではない。都市伝説だ!」
「どっちでもいいわよ。あっ、クレープ屋がある。ちょっと買ってきていい?」
「太るぞ」
「太るね」
「……運動するから平気よ!」
ほぼ同時に断言されたことに些か気圧されながらも理香は財布を片手にクレープを購入するべく走る。
残された男たちは少しずつジュースを飲み、思い出したように東間が顔を上げて周囲を見回す。
「なんだ。まだ視線とやらを感じるのか?」
「ううん。今はもう感じられない」
「うん? ということはストーカーの類いじゃなかったと?」
「……わからない。わからないから少し不安かな」
「まっ、気のせいってこともあるだろうから、気にし過ぎは禁物だぞ。常に周りを警戒しながら過ごすなんてことになったら数日くらいで精神が限界を迎える」
「そんなに軟な精神じゃない――って、言いたいけど、状況次第では数日も保たないかもね」
「お待たせー」
三人分のクレープを買ってきた理香は二人に並サイズのクレープを手渡し、自身は二回りほど巨大なクレープを頬張る。
大きさの違いについて何か言うべきだったかもしれないが、奢りであるために文句を言う権利はないとジュースを飲みながら細々とクレープを齧る。
「んー、甘くて美味しい! やっぱりクレープって最高ね!」
「中身は全員一緒なんだな」
「迷ったけど、下手にバラけさせるよりいいかなって」
「うん。僕もそっちの方がいいと思うよ。バラけさせると何処かの誰かさんが確実におねだりしてきて、そのまま全部食べちゃうだろうから」
「ドコカ=ノ=ダレカさんだと? そんな名前の人物は聞いたこともないが、東間は俺が思っているよりもずっと交友関係が広そうだから、俺の知らない友人がいたとしても不思議なことは何もなイカ」
「ツッコミを入れるべきは二点。そんな不思議な名前の人は僕も聞いたことがないことと、交友関係の広さは君の方が僕よりも圧倒的に上だって点だね」
「じゃあクレープ頂戴」
「何がじゃあなのよ」
「俺が知るか!」
「開き直るな!」
「あらあら。皆さん、とってもお元気ですね」
ベンチで寛ぐ三人に近づいてくる影は一つ。
だが彼女の存在は気配で気付いていたため、驚く素振りを見せる者は誰もおらず、ごく自然に手を振りながら迎える。
「委員長、お勤めご苦労様です!」
「ご苦労様です!」
「バカ二人は放っておくとして、珍しいわね。委員長がこんな時間に公園に来るなんて。今日は日課の稽古の方はいいの?」
「はい。本日は先生が少々体調を崩されてしまったようですので、時間が空いたので久しぶりに公園に寄ってみました」
立ったまま笑顔で場所を空けるよう促す委員長に正面から中指を立てて威嚇する仁を放って理香と東間が立ち上がり、巻き込まれないように移動する。
直後、中指を立てた状態で前のめりに倒れた仁は土下座の体勢を維持。
終始笑顔の委員長は中指を立てながら土下座する仁を見下ろしつつ、空いたベンチに座って立っている二人へと微笑みを深める。
「ありがとうございます。相変わらずお二人とも優しいですね」
「別に。委員長も疲れているだろうし、私たちは座っていても立っていてもたいして変わらないわ」
「理香は日頃から道場で鍛えているからね。まあこの街に住んでいれば否応なく体が鍛えられるわけだけど」
「まあでも幼少期から住んでいないとキツいっていうのはわかるわ。慣れている私たちでさえ時々、体力を使い果たすほど疲れてしまうもの」
「誰か俺のこの華麗な土下座に対して言及する人はいませんか?」
「そういえばこの前、本屋に引っ越してきた子たちがいるらしいよ。確か姉妹で上の子が高校生、下の子が中学生だっけ」
「なんでそんなことを知っているのよ?」
「本屋に立ち寄った時に偶然会ったんだ。そこでちょっと話をしたんだけど、なんだか妹さんの方が風邪でも引いちゃったのか、途中から顔を赤くしていたけど、もう治ったかな?」
「……程々にしておきなさいよ」
「無視ですかー、そうですかー、仁君は寂しいと死んじゃうっていう諺を知らない愚か者共に鉄槌を浴びせたくなってきたんだぜー」
「でしたら無視されないような行いをされた方が良いのでは?」
「それは無理だな。俺は常に本能に従って行動している。これはもはや俺にも止められない、言うなれば俺が生まれながらに抱えている宿業! 俺の本能を止められる者など誰もいないのだ! 腐ハハハハハハハハハ!」
「……変わりませんね、貴方は」
「ハハハハハハハ――んんっ?」
聞き覚えのない声に顔を上げた仁の視界に映るのはメイド服に身を包んだ見たこともない少女。
自身と同年代か少し上であることが推測できる何処か幼さを残したその顔を注視する仁は頭の中で引っ掛かりのようなものを覚える。
会ったことなどないと確信を持って言える。にもかかわらず、彼女のことが気になる自身がいることに疑問符を浮かべつつ、土下座の体勢のままGの如く這い、メイド服に身を包んでいる少女の匂いを嗅ぐ。
「スンスン。スンスンスン」
「……何の真似、でしょうか?」
「スンスンスンスン」
嗅いだことのない体臭。向けられたことのない冷たい眼差し。
しかしどちらにも妙な懐かしさのようなものがあり、必死に記憶の糸を手繰り寄せてみるがやはり彼の頭の中に彼女の存在は確認できない。
なお、使用されている香水の方は市販品であるため、彼の記憶の中に残されているが何処にでも売られている市販品など彼女の正体を掴む手掛かりになり得ない。
「ううむ。これは一体どういうことだ」
「まずアンタが何をしているのか、その説明をして欲しいんだけど」
「マーキング?」
「仁さん、私の家のメイドさんに変なことをしないでください」
「委員長のところのメイドさん? でも見たことのない人だけど、新人さんなの?」
「はい。先日、雇われたばかりの新人メイドさんです」
「名前は?」
「ですからメイドさんです」
「は?」
「初めまして、お嬢様のご学友の皆様方。先日より黒澤家に仕えることにメイドさんと申します。以後お見知りおきを」
嫌味を感じさせない礼儀正しい一礼。
反射的に頭を下げてしまった二人の内、先に顔を上げた理香が黒澤と視線を交わらせ、言葉に出すことなく己の疑問を伝達する。
「理香さん、メイドさんはメイドさんです。他の呼び方は必要ありません」
「えっと、委員長。それってどういう意味?」
「言葉通りの意味です。メイドさんはメイドさん。そう覚えてください」
「つまりさん付けで呼ぶ場合、メイドさんさんになるってこと?」
「その通りです、東間さん」
「ややこしいな、おい」
「申し訳ございません、仁様。しかしそれが私という存在ですので」
「そういうもんか」
「そういうものです」
納得したのか、言及せずにメイドさんから離れた仁は何を思ったのか、理香の体臭を嗅ぎ始めて鼻を鉄拳で粉砕される。
鼻の骨が折れるほどの衝撃。
垂れ流しになる鼻血に悶えながら地面を転がる彼をその場にいる全員が無視しようとするが、転げ回る仁は執拗に東間の足にぶつかったため、彼だけは仁のことを無視できなくなり仕方なく背中を掴み、強制的に起立させる。
「流石は東間。やはり頼れるのは男友達だけだな」
「ああ。どうして僕にばかりぶつかってくるのかと思ったら、単純に理香や委員長たちが怖かったからか」
「うむ。特に理香は自覚していない様子だがご機嫌斜め。委員長は言わずもがな、あのメイドさんにもあまりふざけたことをするとロクなことにならないと俺の本能が叫んでいる。故に一番安全なお前に絡んでいるのだ」
「僕も怒る時は怒るってわかっていての発言だよね?」
「当然じゃなイカ、親友。お前やリューグがキレた時の怒りの矛先がいつも誰に向かっていると思っているんだ!」
「誰のせいでキレているのか、それはわかっている?」
「俺以外に原因があったら心臓が飛び出るほど驚く自信がある!」
「そう」
怒りなど感じさせない、笑顔のボディブローに腹を抑えて呻く仁が復活するまで掛けられた時間は約三十秒。
よろめきながらも自力で立ち上がった仁は呆れて何も言えなくなっているメイドさんの手を取り、握手する。
「というわけでよろしくお願いします。メイドさん」
「――はい。よろしくお願い致します」
数瞬の硬直後、目を閉じて無表情に一礼する彼女に理香が微かに眉を顰める。
彼女の態度に不審な点は見られない。むしろ仁の方が不審な行動を起こす可能性が高いため、警戒するならメイドさんではなく仁にするべき。
それを理解した上で彼女はメイドさんを注視する。胸に湧く得体の知れない感情に頭を悩まされながら。
「理香さん? 如何致しましたか?」
「……ううん。なんでもない。と、そんなことより私も、改めてよろしくお願いします、メイドさん!」
「はい。よろしくお願い致します。理香様」
差し出された理香の手を見つめ、数秒遅れて仁から手を放すと彼女の手を握る。
握力比べなど行わない、ごくごく自然の握手。
だというのに理香は細い彼女の手から異様な威圧感のようなものを感じ取る。
ただしメイドさん自身の態度は極めて普通。
おかしな点はもちろん、仁に対してそうしたように理香に対しても特別な感情は一切発さず、無表情無感情に握手を交わしている。
故に威圧感などあるはずがない。だというのに理香は焦燥感にも似た微妙な感情を胸の内に覚える。
自分自身でも制御不能、理解不可能な感情の坩堝。奇怪な現象に戸惑い、冷や汗となって彼女の掌を濡らす。
「理香様、体調を損なわれたのですか?」
「えっ!? あっ、えっと。だ、大丈夫です。ちょっと嫌なことを思い出したような感じがしただけですから」
「嫌なこと、ですか?」
「いえ、嫌なこととかそういうんじゃなくて、えーっと、言葉では言い表し難いというか、そんな感じです?」
「はぁ」
「ほんと、なんでもありませんから! そ、そうです! 親交を深めるために今夜は私の家で夕飯を食べませんか!? 腕によりをかけてご飯を」
「よし! 今日はこの俺が以前から作ってみたかった試作品の手料理を振る舞ってやろう! ありがたく思え!」
「ありがたくはないけど、ありがとう!」
「お嬢様、そろそろお時間です」
「あら、そうですか。それは残念です。皆さん、また明日」
告げるや否や迅速に動き出す四人。
逃げるように全速力で去っていく幼馴染みたちとクラスメイト、それにクラスメイトに仕えている謎のメイドさんを見送った理香は困惑しながらも取り敢えず幼馴染みたちの後を追って走り出した。
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