第6話 天才忍者 加藤段蔵 参上
年月が経ち、虎千代の神通力を制御してきた光育の法力が陰りを見せ始めた。虎千代は一二歳に成長していた。
「この五年、我が法力で何とか制してきたが、もはやこれまでか」
光育は己の両手を見つめて、不甲斐なさに溜息をつくと共に日毎に増大し続ける虎千代の魔力の大きさに恐怖した。
「何とかしなければ」
光育は虎御前を寺に呼び寄せ、陰日向なく現状を伝えた。虎御前は当惑し目を泳がせた。
「どうすれば」
「虎千代殿の力を封じ込める何かが必要です。玉や勾玉程度のものでは虎千代殿の力は封じ切れません」
光育はそこまで言うと大きなため息をついた。
「そこで。毒を持って毒を制す。虎千代殿の力を魔力で封じ込めるしか手立てが御座いません。飛騨山中の洞窟に呪術でその力を封じ込められた鬼斬り丸という妖刀が御座います。鬼斬り丸ならば虎千代殿の力を封じ込めることが出来るでしょう」
光育は静かに閉眼して気持ちを落ち着け、躊躇う言葉に勢いをつけるように
かっと目を見開いて、話を続けた。
「鬼斬り丸はただの刀ではございません。鬼斬り丸は血を好み、人を惑わす妖刀。一説ではかの、源の義経が瀬戸内海で沈めし、天朝様の秘刀。草なぎの剣とも噂されし妖刀。鬼斬り丸の霊力に打ち勝つことが出来なければ、その力に取り込まれ、手にした者は死に至る」
どろりと粘着した唾液が喉に絡み、虎御前は小坊主に出された茶を口に含ませる。
「そこで、御前様にお願いが御座います。飛騨に虎千代を行かせ、鬼斬り丸をとってこさせようと思います。ついては、護衛のものを虎千代に付けて頂きとうございます。山賊の類いまたは、隣国から姫君を守るために」
光育はそこまで話して一旦言葉を打ち切り、一拍おいて重い口調で話し始めた。
「それと、虎千代殿にこれ以上無駄な血を流させたくない。血が血を誘い道中で羅刹になりかねない、その時は護衛のものに」
「虎千代を殺せと!」
虎御前が声を裏返して、光育の先の言葉を続けた。
光育が頷くと虎御前は目頭に熱を込めて声を震わせた。
「光育様は虎千代と共に行っては、頂けないのでしょうか」
虎御前が尋ねると、光育は力なく小首を振った。
「私の霊力もこの五年ですっかり衰えた。虎千代殿の力を抑制するのに使い果たしてしまいました。もはや、鬼斬り丸の霊力に耐えうるだけの力は残っておりますまい。虎千代殿には己の力で鬼斬り丸と対峙して頂き、飼いならして頂かなければなりませぬ」
「飼いならす?」
虎御前は不可思議な顔を浮かべた。
「そう、飼いならす」
光育は神妙な面持ちで頷いた。
「鬼斬り丸は幻覚を見せ、手にしたものを惑わせる。時には快楽に溺れさせ、時には目を伏せたい過去を走馬灯のように再現し気を狂わせる。幻覚や幻聴に恐怖し、鬼斬り丸に心奪われしものは、人の血を望み、最後には自害に及ぶと伝えられておりまする。幻覚に打ち勝ち、鬼斬り丸と契りを結ぶ」
「契り?」
食い入るように光育の話を訊いていた虎御前が眉をひそめた。
「主従の契りです。鬼斬り丸の幻覚に打ち勝てば鬼斬り丸は忠実なる臣として契約者の意のままに従うでしょう。負ければ…」
「虎千代は黄泉の国へと旅立つ」
虎御前が悲壮感を漂わせて零すと、光育がコクリと頷いた。虎御前は何かを決意したかのように胸を張る。
「話は分かりました。虎千代に護衛をつけましょう。虎千代が羅刹になるようなことがあれば、虎千代を一思いに切れる者を」
凛と光育を見据える虎御前の目から大粒の涙が尾を引いた。
虎御前は庵に戻ると、すぐさま一人の男を呼び寄せた。男の名は加当段蔵。『飛び加藤』と忍び仲間からも怖れられる男だった。段蔵の才覚は十六と言う若さにも関わらず、長尾家お抱え忍者集団軒猿の中でも群を抜いていた。残忍、暴虐さに加え冷静沈着さを兼ね備え、どんなに困難な任務も確実に完了させた。敵にしたらこれほど怖い忍びはいないと、主である為景も常々漏らしていた。
虎御前は段蔵に光育からもらった洞窟への地図を手渡し、虎千代が人を殺したら首をはねろと命じた。段蔵は奥に闇を宿した切れ長の目で虎御前を冷やかに見つめ、静かに頷いた。頼む、と頭(こうべ)を垂れる虎御前を残して段蔵は音も立てず姿を消した。
光育から今回の旅を告げられた時、虎千代は飛び上がって喜んだ。
「これ、虎千代。遊びに行くのではないのだぞ」
光育が虎千代を嗜めると虎千代は体裁だけ改まって正座した膝に手を置いた。
「分かってますよ。だけど、外に出られるのでしょう?他の小僧たちは買い物や托鉢で外に出られるのに僕だけは、寺から出してもらえなかったじゃないですか。だから、嬉しくって」
嬉々とする虎千代に光育は苦笑して
「本当に分かっとるのか?鬼斬り丸は……」
何度も言って訊かせた鬼斬り丸との対峙方法を光育が話しかけると
「いや~。飛騨ってどんなところでしょうね?五平餅が有名なのですよね」
と、虎千代の頭の中はまだ見ぬ他国に飛んでしまい、光育の話どころではなかった。
「ち~~っともワシの話訊いとらんのじゃから。もう、いいよ。土壇場で困ってもワシ、知らないかんね」
真面目に話を虎千代に訊いて貰えない光育が少し拗ねて、頂きものの酒饅頭を乱暴に摘み一口で頬張った。
「ちゃんと聞いてますよ。お師様。あれでしょ。鬼斬り丸の幻覚に惑わされるなってやつと……」
虎千代はそこまで光育の教えを反芻すると眼球を上向かせて硬直した。
「何があっても決して!」
光育がそこまで言うと、虎千代は自力で思い出したかのように手を打って
「人を殺(あや)めるな!」
光育の続きの言葉を奪って叫んだ。
「だけど、本当にそんな力が僕にあるのかなぁ~」
虎千代が首を傾げながら、光育の酒饅頭に手を伸ばす。光育は虎千代の手をパチンと叩(はた)いて、饅頭を取り上げ「ある」と重い口調で言い、取り上げた饅頭を一口齧った。虎千代は物欲しげに指を咥えるのだった。
虎御前に林泉寺に連れてこられた日以前の虎千代の記憶は、光育が呪術で封じ込めていた。虎千代の神通力は光育が制御していた為、虎千代は他の小坊主と変わらぬ生活を送ってきた。光育から鬼斬り丸の話や自分の力について初めて聞いたとき、光育の一級品の冗談だと思い「また、またぁ」と虎千代は光育の鳩胸を指先で突(つ)いたほどだ。
光育は懐から玉(ぎょく)が先に吊り下げられた首飾りを取り出し、饅頭を咥えたまま虎千代の首に掛けた。
「この玉(ぎょく)にわしの念を入れておいた。肌身離さず着けておくのじゃぞ」
「ダサ……」
虎千代がそこまで言うと、光育が言葉を被せた。
「ダサくない!お洒落さんじゃないか。分かったか?決して」
「はい、はい」
虎千代は不服そうな顔で玉を摘み見た。
「『はい』は一回!」
「はい、は」
光育の座った目を見て虎千代は二度目のはい、を寸前で飲みこんだ。光育はため息をついて「部屋に戻ってよいぞ」と虎千代に告げて湯呑み茶碗の蓋を取り、ずずと茶を啜る。虎千代は一礼して光育の部屋を出た。
遠ざかる虎千代の足音を聞きながら、光育は顔を曇らせた。おぞましい限りの形容できない苦痛に、はたして虎千代が耐えうるのか、言うは易く行うは難しである。光育は愛弟子を信じたい気持ちと不安の狭間でたじろぐばかりだった。
翌朝、一日の始まりを告げる鐘の音と共に虎千代は飛騨に出立した。見送りに出た光育に、段蔵は深々と笠をかぶったまま軽く会釈だけすると、一言も言葉を交わすことなく踵を返した。
「よいか虎千代、鬼斬り丸の眩惑に……」
旅支度をした虎千代が出発する直前まで光育は虎千代に鬼斬り丸の攻略法を口酸っぱく言い含める。
「はい、はい、光育様。もうわかったから。大丈夫だから。安心して酒饅頭でも食べて待っていてくださいよ。必ず鬼斬り丸を持って帰ってくるからさ」
虎千代は軽い口調で言うと、先を歩く段蔵の背を追った。光育は朝日に向かい歩を進める虎千代の背に、冥福を祈るように、数珠を這わせた手を合わせた。
「御仏のご加護が有らんことを」
光育が唱える経が周囲を包む山塊に響き渡った。
「段蔵さん。飛騨まで行くには、信濃路を通っていくんですよね。信濃は何と言ってもお蕎麦!お蕎麦食べに行きましょうよ。五平餅売ってるかな?楽しみだな~」
意気揚々、張り切って両手両足を交互に振る虎千代。
「段蔵さん一六歳なんだってね。光育様から聞いたよ。僕は一二歳だから、四つお兄さんだね~。よろしくでっす!」
浮かれる虎千代を無視して、段蔵は足早に歩を進めた。林泉寺を出発して三刻ほど歩いたところで、喋ることも尽き果てた虎千代が山道脇の切り株に腰を下ろした。
「段蔵さ~ん。休憩しようよ。休憩。寺出てから歩きっぱなしだよ~」
だらしなくへたばる虎千代の姿を、段蔵はちらと見て、虎千代の傍まで戻ってきた。段蔵は腰につるした竹筒の栓を抜き、虎千代に手渡してすぐに背を向けた。
「段蔵さんも座りなよ」
立ち尽くしたままの段蔵に虎千代が声をかけたが、段蔵は一向に座ろうとしない。
「段蔵さん無口だね。今日出会ってから僕しか喋ってないもの」
虎千代は竹筒を傾けて水を喉に通すと、竹筒を持った腕を段蔵に伸ばした。
段蔵は竹筒を受け取ると
「おぬしが喋り過ぎなのだ」
憮然と応えた段蔵の声は、薄汚れた旅装束からは想像できない、透き通るような声だった。
「段蔵さん、綺麗な声してるんだね」
虎千代が白い歯を零して言うと、段蔵は深く被った菅笠をさらに下げ、踵を返して走るように歩き始めた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ~」
虎千代は段蔵について行こうと素早く立ち上がったが、段蔵の背中は遥か彼方を歩いている。一瞬で視界から消えてしまうほどの歩速で歩く段蔵を必死で追いかける虎千代。
「ゴメン。照れたの?照れちゃったの?ゴメン。ゴメンナサイ!だからちょっと待って!!!!」
東山道の宿場町に入ると人が溢れていた。一足先に町に入った段蔵が大路の真ん中で突っ立っていた。後ろから虎千代が走ってくると、気配を感じたのか段蔵が振り返った。やっとの思いで段蔵に追いついた虎千代は、体を曲げて膝に手を衝き息を切らせた。
「はぁ。はぁ。はぁ、段蔵さん早い!早いよ!歩くの。これじゃ僕の護衛だか何だか分からないじゃないか!」
途切れ途切れ話す虎千代に段蔵が「ん」と言って両腕を突き出した。「何?」と虎千代が重い頭を持ち上げると、竹串に刺さった五平餅が段蔵の両手に握られていた。虎千代は、目を丸くして段蔵から五平餅を受け取った。
「ありがとう」
「宿を探すぞ」
温泉がそこらじゅうで湧き出る宿場町とあって、湯煙があちこちであがっている。手ごろな旅籠を見つけて、部屋に入った。虎千代は旅籠が珍しいのか、キョロキョロと視線をうろつかせている。
「ここは、温泉が湧いているんですよね。段蔵さん。旅の垢を落とすって言うじゃないですか。すぐ行こう」
腰を落ち着けること無く虎千代は旅籠に備え付けられた手拭いを引っ手繰った。風呂は裸になる。武器を携えて入る訳にはいかず、敵に襲われれば、ひとたまりもない。段蔵は、渋い顔をして「俺はいい。お前だけいってこい」と言った。
「え~。一緒に行こうよ~。段蔵さん僕の護衛でしょ」
段蔵の腕を振って、駄々をこねる虎千代。それも一理ある。段蔵が眉間に皺を寄せて「う~ん」と唸った。決めかねている、段蔵に虎千代は、「来なさい」と両脇に手を置いて、仁王立つ。
「段蔵さんと温泉行たいのぉ」
屈託のない虎千代の言葉に段蔵は「そうだな」と苦笑して答え、重い腰を上げた。
時間が少し早かったこともあって、脱衣所には誰もいなかった。段蔵は手際よく旅装束を脱ぎ捨てて、岩風呂に身を沈めた。少し遅れて虎千代が高調した声を上げて浴室に入ってきた。
「わぁ~。お風呂広~い。スゲー。スゲー」
心弾ませ、右に左にと動き回る虎千代のこじんまりした白い尻を湯煙越しにチラと見て、段蔵はフンと鼻を鳴らした。虎千代は一通りはしゃぎまわった後で湯に浸かり、嬉々として段蔵の傍らまでやってきた。
「これが温泉ですか?僕初めてです。林泉寺のお風呂と違って勝手に湯が出てくるんですね。びっくりしちゃった」
「温泉なのだから当然だ」
段蔵は憮然と言って、埃っぽい顔を湯で洗った。
「温泉ってよく温もりますね。僕もう熱くなってきちゃったよ」
虎千代はその場で立ち上がり、湯で火照った顔を両手で煽った。
段蔵が洗った顔を上げると虎千代の股間が目と鼻の先の距離で現われた。
「貴様、どこに立って……」
段蔵はそこまで言うと、電光石火で湯の中に頭を沈めた。
「段蔵さん。あれ、どうしたの?」
虎千代は驚いて自分も段蔵と同様に湯に潜った。湯の中で段蔵は涅槃像のように横たわったまま刮目していた。
水中に現れた虎千代の顔を見ると段蔵は素早く己の股間を押さえて、虎千代に水上に顔を出せと言う風に顎をしゃくった。
人間に見つからないように恐々と水面から顔を出す河童のように、二人は頭を上げた。
段蔵が顔を赤らめて虎千代に背を向ける。
「どうしたの?段蔵さん?」
段蔵の不可思議な行動に虎千代は首を傾げた。しばらくの間、顔をこわばらせ押し黙っていた段蔵が、口を開いた。
「貴様。おなご(・・・)だったのか?」
段蔵の言葉を聞いて虎千代が素っ頓狂な声を上げた。
「え~っ!どうして?僕男だよ?」
段蔵は腕だけ背中に回して、人差し指を湯の中に向けた。
「何?」
虎千代が首を傾げると
「無いではないか」
段蔵が上ずった声で言うと、虎千代は「何が?」と、眉根を寄せて湯の中を見る。
「だから、その。あれだ。なにが……その」
段蔵が歯切れの悪い口調で呟く。
「あっ!」虎千代は何かに気付いた様な声を上げて「これ?」と湯から立ち上がって股間を指差した。段蔵はそうだという風にコクリと頷いた。
「ふふふ」虎千代はいたずらっぽく笑い、「これは、特別なんだって」と 秘めことでも話すように段蔵の耳元で囁いた。
「特別?」
段蔵は眼球だけ上向かせて虎千代の話を訊いた。
「うん。光育様が言うには、僕は神の化身だから男だけど股間のものが無いんだって。如来様も観音様も四天王もお仁王様もみんな無いんだって。だから、僕だけお風呂はいつも光育様と一緒に入っていたんだ。他の僧たちにばれないようにね」
虎千代は曇りの無い笑みを零しながら、光育の受け売りで話した。
段蔵は平静を装い
「そうか」
とだけ言って、虎千代に背を向けたまま湯から上がり脱衣所に向かった。
段蔵は部屋に戻ると宿主に頼んで衝立を貸してもらい部屋を二等分して布団を敷いた。虎千代は段蔵の心遣いに首を捻ったが段蔵の眼光に何も言えず、布団を被って寝た。
灯を落とした部屋で段蔵は一人感慨深げに闇を凝視していた。
家中で『姫若』と揶揄されていた虎千代の美男子振りは噂で知っていた。確かに坊主頭だが顔の作りは尋常ではないほど美しい。寺で初めて虎千代を見た時、衆道の趣味がない段蔵でもドキッとしたほどだった。
信心が浅いという訳ではない。だが、私は神だと言われて、はいそうですか、とはいかない。
すぐ傍で聞こえる寝息が女のものだと考えるだけで身震いが止まらなかった。この世に生れ落ちて一六年、女人に触れたことのなかった段蔵の心臓は、飛び出さんばかりに高鳴っていた。膨らみかけた虎千代の胸が脳裏に浮かぶ。天を衝く股間を己で殴り付け、もう少しで悲鳴を漏らすところだった。
「こいつは、男だ。子供だ。男だ、男だ、男だ、男なんだよ~」
男、男と呪文のように呟くが、言葉とは裏腹に、虎千代が放つ微かな女臭を胸いっぱいに吸い込もうとしている自分がいる。あーーもう!身をよじり、両手で自身の体を抱きしめて、段蔵は眠れぬ夜を過ごした。
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