第4話 神様暗殺
幽閉先で虎御前は「何故、どうして」と呪文のように繰り返し、日々泣いて過ごした。虎千代はそんな母の姿に心を痛めていた。
「ととさまが悪いの?」
無垢な目を向ける幼い娘を虎御前は強く抱きしめた。
「ととさまが悪いんじゃない。悪いのは、不幸な死を願った私の心。神罰が下ったのよ」
虎御前は側女達に抱いた嫉妬の焔が神に届いたのだと心底思っていた。幽閉は願いを叶えてもらった対価だと。
「神様が悪いの?」
虎千代が虎御前の顔を覗き込んで訊いた。
「そうねぇ。神様の思し召しかもしれないね」
虎御前はぎこちなく微笑んで、虎千代の頭を優しく撫でた。虎千代は、虎御前の腕の中からするり体を抜いて立ち上がった。
「じゃぁ。虎千代神様殺してくる、神様が死んだら母様嬉しい?」
小首をかしげる虎千代に虎御前は苦笑した。
「虎千代、神様は死なないの。だから神様なのよ」
虎御前が虎千代を諭すと虎千代は不敵な笑みを浮かべ
「虎千代なら殺せるよ」
蝋燭の火で顔を揺らす虎千代の顔は夜叉のようだった。虎御前の背中にぞくりと悪寒が走る。虎千代は踵を返して裸足のまま庵の外に出て行った。
もうすぐ夜が明ける。大人の脚でも春日山城までは二日はかかる。近所を歩きまわってすぐにでも帰ってくるだろうと、虎御前はたかを括って気にも留めなかった。
二刻ほど経った頃、虎千代がけろりとした様子で庵に帰ってきた。虎御前は虎千代の姿を見て絶句した。虎千代は頭の先から夥しい血を浴びたような姿で帰ってきたのだった。
「神様殺してきたよ」
真紅に染まった顔面から白い歯を覗かせて、虎千代が満面の笑みを浮かべた。
虎御前は他の者に虎千代の姿を見せまいと着物で血だらけの我が子の姿をかくし、虎千代の着物を脱がせて井戸へと急いだ。血を水で洗い流し、虎千代の着物は庭先に埋めた。これだけ血を浴びているというのに、不思議と虎千代の体には傷一つ見つからなかった。虎御前は虎千代に誰の血を浴びたのかと問いただしたが、虎千代は「神様だよ」と悪びれもせず言うばかりで的を得ない。
数日後、虎御前は買い物から帰ってきた下女から驚愕のこと件を耳にした。一昨日、一向宗の門徒で溢れる山寺に少女が迷い込んできた。少女は本殿に入ると僧兵姿の坊主達を睨みつけた。何も話さない少女に僧兵の一人が顔を近づけた次の瞬間、僧兵の頭が破裂したと言うのだ。少女は他の坊主達を睨みつけ手を翳した。風もない堂内で少女の髪は逆立ち、手先が黄金に輝いたかと思った瞬間、坊主たちの内臓が腹の皮を破って噴出した。門徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。近くの村々では、夜叉の到来だと噂が広がっていると下女が虎御前に伝えた。虎御前は初夏だというのに背筋に冷たいものを感じていた。
「虎千代が……まさか」
血だらけの我が子を思いだし、虎御前は大きくかぶりを振った。
― 城内の者も虎千代が全て殺したというのか
― 城内でこと件が起き始めて、夜中に中庭にいた影は虎千代だったのか
― 今、私の膝の上で幸せそうな顔をして寝息を立ているこの子が
「母様」
虎千代が寝言で虎御前の名前を呼んだ。びくりと僅かだが確実に虎御前の体が痙攣する。虎御前は顔をこわばらせて、寝息を立てる我が子の顔をのぞき込んだ。
我が子に恐怖している。次の瞬間、自責の念が虎御前を襲った。
「ごめんね。こんなに可愛い我が子なのに。どうして」
虎御前は虎千代を強く抱きしめ、大粒の涙を流した。陽が闇に呑まれかかっている。薄暗くなった庭先で穣御前は遅咲きの紫陽花の花頭を捥ぎながら、薄ら笑いを浮かべるのだった。
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