(4)

 志帆が帰ってから、これからの事を考えた。

 加奈と理穂からのお願いを断り、二人から距離を置く。

 悩みに悩んだ末に、辿り着いた答えがそれだった。

 親友のあの子の事や、祐二君の事はどうしようもなかった。

 きっと、もう関わることは無い。そう思い込んで少しでも早く忘れようとすることでしか、私は平静を装うことが出来なかった。

 祐二君の事を、加奈と理穂に話してしまおうか迷いもした。

 でも、祐二君と親友だったあの子が繋がっていて、加奈と理穂に何かを吹き込まれるかもしれない、そう考えると二人に話す気にはなれなかった。

 正直、怖い。

 またあの頃のように、嫌われて、そしていじめに遭うのではないかと、そう考えると、どうしようもなく怖くて身体の震えが止まらなかった。

 でも、それ以上に、こんな私に優しくしてくれる志帆に、もう心配や迷惑を掛けたくなかった。 


 何度も浅い睡眠を繰り返して、朝が訪れた。

 重い足取りで支度をして、自宅を出る。

 昨日まで降り続けていた雨は止み、空を仰げば、快晴の空が広がっていた。

 少しの間、バス停でバスを待ち、バスが来ると乗車して一人用の席に座った。

 乗車してくる男子高校生を目にする度に、祐二君との事を思い出して、手が震え出した。

 震える両手をそっと重ねて、それを志帆の手だと思い込み、心を落ち着かせる。

 雪のように白くて、綺麗な手。

 ひんやりと冷たくて、でも、その温もりは温かくて――、

 志帆が必死に私の手を握ってくれたあの時の事を思い出すと、手の震えはゆっくりと治まった。


 正門をくぐり、昇降口へ向かった。

 一本早いバスに乗ってしまったせいか、登校してくる生徒は疎らで、校内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。

 加奈と理穂がこんなに早く登校してくることは無いと分かっていながらも、二人がいないか辺りを窺いながら、靴を履き替えた。

 階段を上り、少し歩くと、自分のクラスの教室が見えてきた。

 一昨日の、昼休みの事があって気まずい。

 深呼吸をして、一度、心を落ち着かせた。

「……よし」

 勇気を振り絞り、教室へ足を踏み入れる。

 教室に居るクラスメイトは思っていたより少人数で、

「くるみちゃん! おはようー!」

 教室に入るとすぐに、夏希さんが私に気づいて、駆け寄ってきてくれた。

「……おはよう、夏希さん」

 変わらず声を掛けてくれる夏希さんの姿に、胸が軽くなった。

 夏希さんは私の頭を撫でると、

「もう体調は大丈夫?」

 優しい笑顔で言った。

「はい、微熱だったので。もう大丈夫です」

「よかったー」

 夏希さんは胸を撫で下ろすと、

「白鳥さんと仲直り出来た……?」

 今度は心配そうな顔で言った。

「はい……無事に。迷惑かけてごめんなさい」

「ううん、くるみちゃんにだって怒る時くらいあるよ。無事に仲直り出来てよかった」

「ありがとう、夏希さん」

「全然だよー。あ、白鳥さんおはよう!」

 振り返ると、そこには志帆の姿があった。

「おはよう、志帆」

 志帆は制服のポケットからメモ帳を取り出し、言葉を書き込んだ。

「もう大丈夫なの?」

 メモ帳にはそう書かれていて、志帆の視線は夏希さんを蚊帳の外に、真っ直ぐ私に向けられていた。

「うん。もう大丈夫。夏希さんも心配してくれて――」

 私の言葉を最後まで聞くことなく、志帆は私と夏希さんの間を通り過ぎて、自分の席へ向かった。

「ごめん……また邪魔しちゃった」

「いえ……そんなことないです……」

 俯く夏希さんの表情は、今にも泣きだしそうで、胸が痛かった。


 朝のショートホームルームを終えて、次の声楽コースの授業に備えて、夏希さんと一緒に第一音楽室へ向かった。

「私、やっぱり白鳥さんに嫌われてるのかな……」

 廊下を歩いていると、落ち込んだ声で夏希さんが言った。

「夏希さんだけが嫌いなわけじゃないと思います……」

 夏希さんだけではない。

 志帆は私以外のクラスメイトや聖月学園の生徒達に対して、無関心で冷たい。

 クラスメイトに声を掛けられても、まるで何も聞こえていないかの様な態度をとるし、先生に声を掛けられなくても、淡々とした態度で頷いて受け答えをしている。

 それでも、私と二人きりでいる時の志帆は、表情豊かで、優しくて、意外と子供っぽくて――、だから、志帆がクラスメイトや夏希さんに対してあんな冷たい態度をとるのは、何か理由があるのだと、私は思う。

「あんな態度をとっちゃうのは、夏希さんだけじゃないですし……。私、今度志帆に訊いてみます」

「……ううん、大丈夫だよ。めげずにまた声を掛けてみるよ」

 微笑む夏希さんは、やはりどこか悲し気で、

「私は、このままなんて嫌です。志帆も、夏希さんも、私にとっては、その、大切な友達だから……」

「くるみちゃん……」

「だから……志帆のことを、嫌いにならないでください……」

 私の言葉に、夏希さんは驚いた顔で私を見ると、

「うん、嫌いになんてならないよ。私にとってくるみちゃんも、大切な友達だよ」

 いつもの様に元気よく微笑んでくれた。


 昼休みを迎えると、私は加奈と理穂の元へ向かわずに、志帆と一緒に教室で昼食を食べた。

 スマートフォンを覗いてみると、加奈と理穂から連絡は入っていなかった。

 志帆が箸を置いて、メモ帳に言葉を書き込んだ。

「今日は家に来れる?」

 志帆と一緒に、また音を奏でることが出来るのだと思うと、涙が零れそうになった。

「うん。あとね……、志帆に、話があるの」

 訊かないといけない事があった。

 夏希さんやクラスメイトに対して冷たい態度をとる理由を。

 そして、あやふやにしていた、志帆へのこの想いを。

 志帆と目が合った。

 切り揃えられた前髪から覗く、彼女の泣きぼくろに、思わず目を奪われそうになる。

 少しの間、見つめ合うと、志帆はどこか寂し気に微笑んで、頷いた。


 六時限目の授業を終えて放課後を迎えると、担任の先生に昨日休んだ分の、授業のプリントを職員室へ取りに来るように言われて、志帆と一緒に職員室へ向かった。

「はい、これ、現代文の授業のプリントね。明日の授業で使うから、それまでにやっておいて」

「はい、わかりました」

 やっぱり職員室は何度来ても慣れない。

 職員室特有の重たい空気がどうにも苦手だ。

 プリントを受け取り、職員室を出た、

「ごめんね、お待た――」

 廊下で待っていてくれていたはずの、志帆の姿は無くて――、

「あれ、くるみちゃん」

「……夏希さん」

 夏希さんの隣には芸術クラスの委員長である、三浦美子さんが居た。

「志帆を見ませんでしたか……?」

「ううん。見てないよ、美子は?」

 三浦さんがうーんと唸って、首を傾げた。

 そして、少しずれた眼鏡を片手の中指でくいっと上げると、

「確か……、二組の生徒と第二校舎へ向かっていくのを見かけたわ」

 二組の生徒、第二校舎――、

 嫌な予感が脳裏をよぎった。

「あ、ありがとうございました」

 焦る気持ちを抑えられずに、駆け足で第二校舎へ向かう。

 第二校舎には、主に音楽室や、美術室、移動教室で使われる教室が多くあって、放課後は人目が付きにくい。

 二組は体育クラスだ。

 志帆に二組の知り合いがいるとは思えない。

 だから恐らくそれは、加奈と理穂の事だと思った。

 渡り廊下を抜けて、第二校舎へたどり着いた。

 辺りを見回しても、人の気配は無く、階段を上ろうかと思ったその時、

 奥のトイレで、どこかに勢いよく水を叩きつける音が聞こえた。

 急いで音の聞こえた方へ走った。

 近づくにつれて、言い争っている声が大きくなっていき――、

「――何してるの」

 目の前の光景に、目を疑った。

 トイレの床に倒れこみ、びしょ濡れの志帆。

 バケツを片手に志帆を見下ろす加奈と、その様子を見守る理穂。

 どこか虚ろな目をした志帆は、私と目が合うとそっと視線を逸らした。

「……くるみ。こいつ何なの?」

 こんなに怒りを露わにする加奈は初めて見た。

「昨日から、もうくるみに連絡しないでとか、今日話があると思えば、もうくるみと関わらないでとか」

「加奈が怒るのも無理ないよ。白鳥さん本当しつこいもん」

「で、何なのこいつ? くるみ、まさか本当にこいつと付き合ってるの?」

 胸の奥から、静かに怒りが沸いてくる。

「志帆……立てる?」

 私を見上げる志帆の瞳は、やはり虚ろで、その手は酷く冷たかった。

 志帆の軽い身体を引き上げて、バックからタオルを出して志帆に渡した。

「くるみ……そいつに味方するんだ」

 加奈が、静かに言った。

「何やってるのくるみ」

 理穂が加奈の顔色を窺うように言った。

 身体が熱い。

 燃えるように熱くて、軽い。

 今まで悩んできたのが嘘みたいに、恐怖なんて微塵も湧いてこなくて、

「私ね――」そっと息を吸い込んで、

「祐二君と会って酷い目にあった。付き合ってもないのに無理矢理キスをされた。身体も触られた。誰かと付き合ったことなんて一度も無かった。初めてのキスが祐二君だった。今まで言えなかったんだけどね、加奈と理穂と遊びに行っても毎回奢らされるし、昼食だってお金を返してくれたことなんて本当数回しかないし、ただいいように使われているだけで友達だと思えない。正直もう懲り懲り。だから――」

 驚いた顔で私を見る加奈と理穂に向けて、私は告げる。

「もう、話しかけないで」

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