真夏の風物詩 -2-
[盗聴シナイデ]
「じゃあ俺からな」
暗くなったフロントで輪となった三人の中央には、明日香のスマートフォンが光を放っていた。
蝋燭なんてものはこのビルには常備されていないので、その代用品である。ぼんやりと光る画面は、しかし人工的過ぎて味気もなにもない。
その中で口火を切ったのは、言い出しっぺの真であり、他の二人も異論はなかったので黙って耳を傾ける。
「去年の夏に、此処で体験した話。俺って普段は夜勤が多いだろ? 土日とかは早番もやるけどさ、まぁそれはいいや。夜勤って基本的に一人でフロントにいるから、半分寝たり起きたりなんだよなー」
それに関しては智弘も知っている。
このビルは二十四時間営業であるが、深夜は滅多に客が来ない。そのために夜勤は暇と眠気との壮絶なバトルが約束されている。
いつだったか在籍していたバイトは、監視カメラも気にせずに眠り込んでいたので、めでたくクビになった。
「その日は暑くてさ、ちょっと疲れて寝ちゃったんだよ。といっても数分ぐらいだけどな。内線の音で叩き起こされたから」
各部屋には内線があり、用事がある客はそれを使ってフロントに連絡をすることになっている。
大抵は「歯ブラシがない」だの「お湯が出ない」などの用事であり、彼らからすれば「どうでもいいだろ、水浴びして寝ろ」といったところだが、そういう訳にもいかないので、ちゃんと対応はする。
「そしたらさ、部屋を借りてる女が妙なこと言うんだよ。「隣の人が私の部屋を盗聴している」って。ボソボソ言うから聞こえにくいし、意味わかんねぇし、正直超面倒で」
隣が煩いというなら兎に角として、盗聴されているなどという訴えはこれまでに聞いたことがなかった。
第一、盗聴している人がわざわざ隣で「盗聴してまーす」なんて叫ぶわけもなく、その女の妄想の部類である可能性が高い。
もし妄想でなかったとしても、精神科医でもなければ警察でもないバイトが「それは大変ですね。状況は?」などと親切に聞く理由は全くない。
この店の店員に助けを求めるなんてことは、猫に犬の鳴き声を仕込むが如く、ほぼ不可能で無意味なことである。
例え盗聴しているとしても「あぁそうですか、よかったですね」と脳みそ半分垂れ流しつつ返すのがせいぜい、といったところだった。
「無理矢理切ったんだけど、また掛けてくるから、俺もムカついてさぁ。一応見るだけはみてやろうと思ったんだ。そうすりゃ次にかかってきても「盗聴なんてされてねぇよ、ババア。とっとと寝ろ」って言えるじゃん」
「もっと丁寧に言いなよ」
「時給が上がったら考える。大体、盗聴なんかされるわけねぇんだよ」
真はそう言いながら、壁にかかった内線を指さす。
「その女が入ったのは四階の角部屋。接している部屋は物置なんだから。いつも鍵かけてる物置に人が忍び込んで盗聴してるっていうなら、すげぇガッツだから褒めてやろうと思って、行ってみたわけ」
「褒めてどうするんだよ」
「で、一応物置まで行って、鍵を開けて中を覗き込んでみたんだよ。でも案の定誰もいないしさ、女が電話かけてきた部屋に接してる壁は、古いベッドマットとかあって、とてもじゃねぇけど聞き耳立てるのなんか無理」
無理、という言葉に合わせて宙を払う真似をした真は、そこで意味深な笑みを浮かべた。
「でも、そもそも聞こえるのかどうか気になってさ、荷物かき分けて壁の方に行って、耳つけてみたんだよ」
「うわ、悪趣味」
「そしたら女の声が確かに聞こえるんだよ。マジでここって壁薄いんだなーって思ってたんだけど……俺、気付いちゃったんだよな」
女は部屋の中で、話をしていた。
一人でいるにも関わらず。
「独り言かよ、マジやべぇって思ってさ。もう少し聞いてたんだよ」
そこで聞くのを止めないあたりが、真の性格を如実に示していた。他の二人もそこは疑問の余地がないので受け流す。
「そしたらさ、ボソボソした声だったけど、わかったよ」
「盗聴されてるんです。隣の部屋で誰かがこっちの部屋の音を聞いてるんです。ねぇ、やめさせてください。盗聴させないで下さい。盗聴させないで下さい。盗聴させないで下さい」
「さっき、俺が内線で聞いた言葉と一緒だったんだもん」
暫くの静寂の後、エアコンが少し不気味な音を立てた。
それに突き動かされたように、話を聞いていた二人が短く息を吐き出す。
「じゃあその時、女が話をしていたのはフロントにいた麻木だったっていうの?」
明日香が尋ねると、あまり頭のよくない真は首を捻りながら呻いた。
「うん、そうだと思う。で、盗聴していたのも俺」
「時空が歪んでるの、このビル」
「俺が知るかよ。でもその後に、女が内線をフックに戻す音が聞こえたから、内線かけてたのは間違いないと思うし。それにその内線の相手が俺じゃないとしたらさ。誰がフロントにいたわけ?」
場の温度が少し下がった気がした。
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