第74話 患者もいろいろ-ホスピスの日々-治療はいりません

 ホスピスには、「生きてきたように死んでいく」という金言があります。


 「余命あと1カ月」となっても、急に生き方を変えることはできないのです。


 人間は、「生きてきたようにしか死んでいけない」のです。


 ホスピスに入院する患者さんは、一般病院より、その傾向が強いように感じられました。


 その中で、特に印象深い患者さんを書いてみます。


 ある時、耳下腺腫瘍の患者さんがホスピス病棟に入院しました。肉眼的には進行癌だと思われました。


 「肉眼的に」と書きましたのは、本人が病院受診を拒否して、病理的な診断をつけてもらっていなかったからです。


 しかしその耳下腺腫瘍は、頬の皮膚を突き破り露出していましたので、肉眼的にほぼ100%悪性だと診断がつきました。


 医者というのは病気を診ると、治すんだという気概が、すこぶる強いものです。


 「俺、治すつもりない」


 こんな医者は、大体駄目な医者です。(←(^ω^)出会ったことは無いけどね)


 手ぐすね引いて、「よっしゃ、治してやるぞ」っていうのが本物の医者なのです。


 もっとすごい外科医になると、「さあ来い」とばかりにメスを持って待っています。病気が見つかろうものなら、それこそニヤッとほくそ笑むのです。


 治療の重責を担う立場からしたら、それは当然だと私は思っています。


 なので、その患者さんが来た時に、


「ああ、すごい癌だ。よし、なんとかしてみよう」


 意気込んで私は病室へ行ったのです。


 ところが、


「治療はいりません」


 開口一番、患者さんはいったのです。


「え、え~!治療はいらないってか~!?」


 あっさりいわれて、肩透かしをくった妙な気持ちで、ナースセンターにすごすごと戻りました。


 私は長年医療をやっていて、「治療はいらない」という患者に出会ったことがありません。医者仲間からも聞いたことはありません。


 時に、注文をつける患者さんはいます。


「粉の薬は飲めません」


「注射は嫌です」


「痛いことはやめて下さい」


「手術はかんべんして」


 注文をつけるといっても、せいぜいがこれくらいです。


 ところがこの人は、


「治療はいらない」


 こんな注文、スタッフの誰もが初めてのことでした。


「治療はいらないって、私たち何したらいいんでしょう……」


 困惑するナースたちと議論が始まりました。


「 触れてもダメらしいわよ」


「 見てもダメなの」


「 それはいいみたいだわ 」


 とても医療の現場とは思えない光景です。


 議論の末に、


「治療がいらないのなら治療なしでいきましょう」


 自然に亡くなっていくのを看取ってあげるのも、1つの医療だろうと、自分にいい聞かせるようにそう結論したのです。


 入院してから、私は「診る」ではなくまさに「見る」だけで、医療らしいことは何一つしませんでした。


 というよりできませんでした。ベッドの脇から声をかけるのがせいぜいだったのです。


 ナースが部屋に行っては、身の回りのケアをして帰ってくるという毎日が続いたのです。


 患者さんは、新興宗教の熱心な信者さんでした。


 宗教仲間が入れかわり立ちかわり部屋に来ては、いろいろな手当てをしていました。


 それが入院の目的だったのです。


 それから2カ月して、仲間に見守られながら亡くなりました。


 後日、スタッフの反省会がもたれました。


「何も治療はいらないという人は、ホスピスの適用だろうか」


「ホスピスは患者中心なのだから、それもありではないか」


 いろいろ意見が出たのです。


 私たちの病院憲章には、「ホスピスは患者中心」と、大きく謳ってありました。


 ならば、患者さんが治療はいらないと希望すれば、治療しないのもホスピスではありとしよう、という結論になったのでした。

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