第38話 良いお医者-風に向って立つライオン-国際医療協力の医師たち


 「風に向って立つライオン」とは、さだまさしさん作詞作曲の歌で、アフリカ医療に身をささげた青年医師の生き様を描いています。


 私は青年医師の頃、ボランティアでタイに渡りました。カンボジア難民救援のために、3カ月間、国連の医療チームといっしょに医療活動をしたのです。


 帰国してから、その活動報告会を催す中で、国際医療協力に身をおくたくさんの医療者の方々にお会いしました。その方々の中には、冒険野郎まがいの医師もおられましたが、多くが人間愛に溢れる紳士、淑女だったのです。


 有志で国際医療協力の研究会を立ち上げました。研究会の立ち上げのために、私は趣意書を全国の医科大学長や医学部長80人に、手紙を添えて送ったのです。


 驚くかな、一介の若造の手紙に、東大総長はじめ半数を越える大先生から返事をいただいたのです。そして大半の方々が研究会の発起人になってくださいました。


 発展途上国に医療協力しようという呼びかけに、快く応えてくださった方々の人類愛に、私は深くこころを打たれたのでした。


 「山の上にある病院」の著者でもある、ネパールの医療協力で有名な岩村 昇先生は、そのおひとりです。


 岩村先生は、1962年(35才)に大学准教授の職を辞して、ネパールの地に赴かれました。その根底にあったのは、クリスチャンとしての人類愛だったのです。


 以後18年間、史子夫人とともに、トイレの普及や公衆衛生に尽力され、結核・ハンセン病などの伝染病の治療や予防に、ネパールの地を東奔西走されたのでした。


 帰国後、神戸大学医学部教授として教鞭をとられ、 「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞されました。


 岩村先生は、NGO(非政府組織)の国際協力の草分け的な大先生であられましたが、若輩のわれわれがお膳立てした国際医療協力の研究会に、快く参加してくださいました。


 その時は、長い顎髭をたくわえ、現地で使うリュックサックを背負うといった、まさに自由人のようないでたちで、満面に笑みをたたえておいでになりました。


「これって、便利なんだよ」


 笑いながら、リュックサックを見せてくださいました。


 若輩者の私を、次世代を担うようにとご指導くださったのです。


 大学教授の職にありながら、決して偉ぶることのないその人柄に、私は心から感銘を受けたものでした。


 その後輩ともいうべき医師に、石川信克先生がおられます。


 石川先生はJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)から派遣されて、バングラデシュに、3年滞在されたのです。


 その滞在中に、コレラにかかって、激しい血性の下痢に七転八倒して苦しんだのです。


「その時は死んだ方が楽だと思いましたよ」


 日本でお会いした時に、笑顔で話されるのでした。


 帰国後は、日本の結核対策の中心的役割をになわれ、今もテレビや新聞などのマスコミに、時折出演されています。


 信仰深いクリスチャンらしく、誠実で温和なもの言いの先生でした。ひと時を共に活動できて、私は幸せでした。

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