第82話 ルカの夢でさようなら

「ショーゥダーーウウゥン! ですかねぇええぇ、アーユちゃぁあぁん。おかげさまでえぇぇなかなか楽しかったですよおぉおおっ!」

「ぅ……かっ……あっ……」


 イカれた笑みを浮かべて刺したナイフをぐりぐりえぐるルカと、痛みに喘ぐアユを見て……俺はかつてないほどブチギレた。


「て……てめえええっ! ぶっ殺――――」


 頭が沸騰して、血管が浮き出るくらい強く握り締めた鉈を、クソ野郎のパッパラパーな脳ミソ目掛けて全力全開フルスイング……したものの、蚊でも追い払うように呆気なくナイフで防がれ、おまけに蹴り飛ばされた。

 怒りと愛の力で超絶パワーアップ、などというご都合展開は残念ながらなかった。

 蹴られた右腕が燃えるように痛む。

 たぶん折れた。


「そおぉおいえばぁぁ……あなたはアユちゃんのお友達? ですかぁああ? 申し訳ないですけどおおぉお、弱すぎですねえええぇ」

「くっ……そ……!」

「やあぁっぱり僕を満足させられるのはぁぁあ、この子達親子だけですかねえぇえ。あぁ……思い出すなぁあ、あの日のことぉぉ……」


 ルカは恍惚とした緩み切った表情で中空をぼんやりと見つめ、かつての記憶に浸り始める。

 そして、血がべったり付着したナイフを、おもむろに自分の左肩に突き刺した。


「栞那さん……銃で撃たれたのってぇ初めてでしたあぁぁ。いやぁあ~、あんなにズドン! ってぇ重くって気持ちイイぃいぃぃ感じなんですねぇえぇ……」


 名残惜しそうにナイフを抜き取ると、次に自分の右手首をザクザクと刺す。


「剛健さん……すごおおぉおく楽しかったですよぉおお。怒りと憎しみの美しいぃいデュエットが心地よくってえぇぇ……ずっとずぅううっと殺し合いたかったなあぁあぁぁ……」


 そうしてしばらく夢心地でニタニタとしていたルカが、不意にぐるりとアユの方へ首を奇妙にねじる。


「そう! 特にマユちゃん! 彼女はほんっとぉおぉおおに素晴らしかったですぅう! あなた達のおかげですよぉぉお、アユちゃん、サユちゃん……ってぇぇ、おやおやあぁあぁ?」


 ルカが気味の悪い自己陶酔に没頭している間に、すでにアユは回復魔法で治療を終えていた。

 痛みの余韻で顔を歪め、忌々しそうにルカを睨みつけたアユは、少し躊躇してから小さい丸薬――強力睡眠薬を無念さとともに噛み潰した。


「っ……ごめん……サユお姉ちゃん……」


 まぶたが閉じる間際、アユは俯いてぽつりと呟いた。

 ふっと意識を失い崩れ落ちそうになるも、すぐに入れ替わったサユはふらつきながらも辛うじて踏ん張り、肩まで伸びた緋色の髪を後ろからすくい上げて愛用のヘアゴムで手早くまとめる。


「……大丈夫だよ、アユ……心配しないで、あたしに任せて。……ウインターウィンド!」


 突如として吹き荒れた猛烈な風が、ルカ――だけでなく、俺とサユをも巻き込む。

 ルカは抗う様子もなく、落ち葉のように風に促されるまま元の位置、部屋の最奥まであっさり飛んでいき、俺とサユも入口まで運ばれる。

 お互い初期位置について仕切り直し、といったところだ。


「なぁああるほどなるほどぉぉ、そおおぉゆぅぅ感じですかあぁああ。でしたらあぁぁ……最後がマユちゃん、ってぇぇことで合ってますかぁあぁあ? サーユちゃぁあぁん」

「…………うるさい……。もう、アユにもマユねぇにもてんちにぃにも、指一本触れさせない……! サンダーホーネット! シャイニングバード! フレイムドッグランッ!」


 もしかしたら、俺は初めて見たかもしれない……サユが、本気の本気で怒っているのを。

 基本的に四六時中、あまつさえ数時間前の強敵ドラゴン戦でさえニコニコと屈託のない笑顔を絶やすことのなかったサユの、嫌悪に満ちた表情。

 そして放たれた魔法の圧倒的なスケールに、俺は呼吸をするのも忘れて呆然とした。

 光の鳥が三羽、炎の犬が四頭、電気蜂が……およそ百匹。

 鳥の眩しさと蜂の膨大な数、何よりその巨大さには先刻も大いに驚かされたが、今回とりわけビビったのは使用頻度トップスリーに入るフレイムドッグランだ。

 でかい……!

 体長は五メートル近くあるだろうか。

 俺が今まで見てきた、どこか親しみさえ感じられるワンちゃんは、影も形もない。

 どう見ても地獄の番犬だ。

 しかも、それが四頭。


「にゃははぁあぁ……これはこれはああぁ、さすがにずるくないですかあぁあ? いやぁあ絶体絶命ってぇ感じですねえぇええ」


 魔法の存在にそこそこ慣れた俺ですらひくくらい凄まじい、だだっ広い部屋の半分以上を埋め尽くす極大魔法を前にしてなお、ルカは言葉とは裏腹にナイフを指でくるくる回して余裕たっぷりといった様子だ。


「みんな……手加減しなくていいから……思いっきりやっちゃえっ!」


 サユの号令と同時に、魔法生物達が一斉に飛び出した。

 これはもう、熟練冒険者が何十人いても容易く殲滅できる。

 間違いなく、そう確信できた。

 しかし――――


「シューティングゲーームぅぅスッターーートぉおぉおおっ! にゃっハハはあぁあああっ♪」


 それは、今でも鮮明に覚えている記憶をリプレイした光景だった。

 秒間二十……いや三十本近いスピードで生成したナイフをマシンガンのように投擲して、サンダーホーネットとシャイニングバードを次々と正確に射貫くルカ。

 そう……一層のフロアボス、アーミーヴァンパイアバットを圧倒したマユと全く同じ……。

 ……いや、マユよりもわずかに……速い……!

 横殴りのゲリラ豪雨のように飛来するナイフによって瞬く間に放電音と光は減少し、サンダーホーネットとシャイニングバードはルカに触れることもできず一匹残らず完全に消滅した。

 あれだけいた軍勢が、あっという間にフレイムドッグを残すのみとなってしまった。


「ッ……ケルちゃん、ベルちゃん、ローちゃん、スーちゃん……お願いっ!」


 しかし、百を超える尊い犠牲は無駄ではない。

 大半の攻撃が上空へと割かれている間に、四頭のフロアボス級フレイムドッグがルカの左右に回り込んだ。


「ガルルォオオオオオオオッ!!」


 声まで迫力が増したフレイムドッグ四頭による同時攻撃。

 近づいただけで焼け死にそうな業火を纏った牙が、爪が、ルカに飛び掛かる。


「にゃっっはハハァああアあああッ!」


 ろくな防具を装備していないルカがズタズタに、あるいは炎に包まれて黒焦げになる、そう思ったのだが……。

 ルカは天井すれすれまで垂直に飛び上がって攻撃を避けると、重力を受けて落下を始める前にナイフを持った右腕を三……いや、四回振った。

 斬りつけるモーションに見えたが、あんな三十メートルくらい離れた場所からなぜ――


「なっ……!?」


 空を斬ったはずのルカの斬撃が、遠く離れた四頭のフレイムドッグを真っ二つに切り裂いた。

 いくら奴の身体能力が化け物じみているとはいえ、これはなんらかのスキルとしか思えない。

 というか……これも見慣れたスキルと酷似している。

 マユの『真空斬り』だ。


「惜しい惜しぃいいぃい~。いやぁあぁぁ、今のは危なかったですぅぅうぅ」


 もしかしたら、こいつはマユと似たスキル構成をしているのかもしれない。

 思えば、引っ掛かることはあった。

 さっき、アユの裁縫魔法で一瞬にせよ捕らえていたにもかかわらず、奴には傷一つない。

 本気のアユなら、余裕でコマ切れにできていたはずだ。

 つまり……マユと同じ『硬化』スキルを使っていたんじゃないか?

 つまり……ナイフだけでヤクザを何人も殺しまくったチート狂人が、マジのチート能力を持ってるってことじゃないか?

 ……そんなんありかよ……。


「なかなか楽しかったですけどぉおぉぉ、もおぉお終わりですかぁああ? それならぁあ早くマユちゃんとぉぉ交代してくれませんかねえぇええ」


 自分で刺した左腕の傷から流れる血を舐めてニタリと口角を上げるルカに、サユは全く動じることなく叫ぶ。


「まだっ……! あたしが……あたしが、終わらせるんだからっ! スリープミスト! ランドマイン! ソーンスキュア! ドレインクローバー!」


 新たな魔法によって、フレイムドッグ達が蹴散らされて殺風景に戻った部屋が再び急変した。

 輪郭をぼやけさせるくらいの薄い霧がルカ側を包み、鋭いトゲがびっしりと生えた太いツルがルカを阻むように生い茂り、足元には仄かに発光する四つ葉のクローバーが隙間なく並んで緑のカーペットを形成する。

 まるで、一カ月ほど前まで散々さ迷った樹海に舞い戻ったような景色だ。


「おぉぉ~すごいすごおぉおおいい! サユちゃんはぁぁいろぉおおんなことができるんですねえぇええ。それにぃぃ……この霧もクローバーもぉぉ、なぁーんかふつーじゃぁあぁないですねえぇぇえ」


 修学旅行中の高校生みたいに呑気にはしゃぐルカが、クローバーを摘み取って興味深そうに眺める。

 ドレインクローバー……見るのは初めてだが、たしか敵のMPやステータスを吸収する魔法だとサユから聞いたことがある。

 それに加えて、睡眠効果のある霧に不可視の地雷、おまけに動きを阻害する茨の壁。

 サユらしくない、いやらしい搦め手のオンパレードだ。


「しょぉぉおがないですねえぇぇ……もうちょぉおっとだけ遊びましょぉおおかあぁああっ!」


 だが、そんなサユの工夫も規格外サイコ野郎には通用しなかった。

 状態異常耐性スキルを持っているのかスリープミストは効かないし、察知系スキルを持っているのか地雷はことごとく避けられるし、茨は次々と斬り払われてしまう。


「ウォータースプラッシュ!」


 すぐに半ばまで突破されるが、サユは落ち着いて次の攻撃に移る。

 ウォータースプラッシュはただ水を噴射する比較的地味な魔法で、地上に出てからは主に飲み水として重宝していたが……今回はレベルが違った。

 極限まで圧縮して超高速で射出された水は、レーザーのようにルカの持つナイフを貫いた。

 惜しくもルカには躱されてしまったが、クローバーによる弱体化に茨による足止め、そこに最強の貫通力を誇るウォータースプラッシュが合わさり、さらに――


「アースウォール! エアーキャノン!」


 畳み掛けるように、ルカの回避先に土の壁を出現させてからの特大空気砲。

 ドラゴンをも一撃で葬った魔法が、ルカを直撃した。

 部屋の奥まで紙切れみたいにぶっ飛ばされた細い体が、硬い石壁に激突して轟音を立てる。


「やったかっ!?」

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