幕間 「ローデスの苦悩」
ハイデルトの消息が掴めなくなり早一ヶ月。
魔導大帝国イシリスの現帝王、オージリア・イシリスは、王位継承順第一位であるハイデルト・イシリスが何者かによって誘拐されたと公表し、他国への侵略士気を高めるために政治利用した。
そして、王位継承順第二位のモート・イシリスを、次期帝王に任命すると宣言。
悲しみに暮れていたイシリス領全土は、この王の宣言を受け、悲しみから一転、お祭りムードとなった。
「書類とにらめっこしてても、あいつは出てこないわよ」
書斎の入口にある扉に背を預けながら、セルミアが透き通るような声で話しかけてきた。
「入るときはノックくらいしたらどうだ。それに鍵を掛けておいたはずだが……」
ローデスの苦言に、セルミアは目を瞑りながら両手を上にあげ、肩を竦めた。
「そんな些細な事はどうでもいいわ。それより、あなたの方は何か進展があったのかしら」
いつもの様に、こちらの追及を相手にせず話を進めようとするセルミアに、ローデスはハイデルトが重なって見えた。
「ローデス! あいつを見る様な眼つきで私を見ないでくれるかしら!」
「なら殿下と同じような振る舞いをするな。私は何もしたくてした訳ではない」
「はぁ…… 分かったわよ。私が悪かったわ。はい、終わり。で、どうなの?」
セルミアの言動が最後までハイデルトと似ていたことに、ローデスは危うく笑いそうになったが、セルミアがヘソを曲げては話が進まないとぐっと堪えた。
「各地にいる宿り木へ使い
「宿り木…… その存在を私に教えていいの? 密偵の隠語でしょ? 仮にも私はクロノアのエルフよ?」
「構わんよ。今更隠したところで何になる。それに身内で腹の探り合いをしていては、殿下を見つけることなど不可能だろ?」
「フフッ、それもそうね」
「その結果、分かったこととしては…… 殿下と思わしき人物の目撃情報は1000件以上あった」
「なんですって!? 一体どこをどう探せばそんな大量に情報が拾えるの!? 私ですら何の情報も掴めてないのに!」
「そのことだが…… その人物特徴をだな……」
「何よ、珍しく歯切れが悪いわね」
「……三十代程度の変質者、としたのだ」
目頭を押さえながら、渋々話すローデス。
一方で、セルミアは真面目な表情のまま静止していた。
ローデスの言葉に、セルミアの時が止まる。
だが、それも一瞬の出来事であった。
すぐさま、セルミアの馬鹿笑いが書斎に響く。
「アッハッハ! 何それ! 傑作よ! 何? 王子の行方を探すのに、その特徴が変質者? 最高っ! それ凄く面白いわ! しかもあの真面目なローデスが本気で知恵を絞り出して導き出した結果がそれなんでしょ? 本当に最高よ!! フフフッ! アハハッ!!」
「……そう笑わんでくれ。自分でも情けないと思っているのだ」
「はぁー、お腹痛いわ。こんなに笑ったの久しぶりよ?」
そう言ったセルミアの目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「泣くほど面白かったか。お主にとってはそうだろうな。だが、収穫はあったぞ。それを喜んでいいのかは分からないがな」
「プッ、どんな収穫? それとも何? まだ私を笑わせる気なの?」
「はぁ、真面目な話だ」
「そう、ふぅ…… はい。大丈夫よ。これで耐えられるわ」
呼吸を整え、真面目な顔を装ったセルミアだったが、その頬はヒクヒクと小刻みに痙攣していた。
笑いを堪えているのが丸わかりなセルミアに、ローデスがやれやれと首を振る。
「全く…… 一件だけ、気になる報告があった。拘束に使用した魔縛りの縄を爆発させた者がいた、という報告がな」
その報告に、セルミアの目は大きく見開かれ、瞬時にいつもの鋭い眼つきに戻った。
「それは本当なの!?」
「ああ。
「何? まだ何かあるの? それなら早く教えて!」
先ほどの緩い雰囲気から一変、セルミアはローデスに詰め寄った。
机に両手をつき、身を乗り出している。
「その者は全裸で森の中を彷徨つき、記憶がないと言っていたそうだ」
「……プッ、ご、ごめなさい。わ、笑うつもりはなかったのよ? 全裸が判断基準ってブフッ…… ふぅ。ローデスが笑わさせるからいけないんじゃない!」
「私は何も責めてないが…… 勝手に面白がったのはセルミアだろう」
緊迫した状況下にあるにも関わらず、報告内容が内容なだけに、いまいち締まらない空気になる現状に溜息を零しつつも、ローデスは話を先に進めた。
「その人物の身柄を確保する依頼は既に出してある。間に合えばいいが……」
「その変態は今どの国にいるのかしら」
「武の大国、サーランドだ」
その国の名に、セルミアは顔をしかめた。
「脳筋共の巣窟ね。よりによってイシリスと1番仲の悪い国に……」
「更に言えば、イシリスとは真逆に位置する都市、インフラスで拘束されたと報告にあった」
「はぁ!? よりによってここから1番遠い都市じゃない!」
「そうだ。そこで拘束されたとすれば、難攻不落の
「
「そうだ。サーランドがやりそうなことだな。もし殿下であるなら、簡単に殺されるようなことにはならないと思うが…… もし仮に、何かしらの原因で力を失っていたとすれば……」
二人の間に、少しの沈黙が流れる。
「あーもうっ! ここまで厄介な捕まり方するなんて! 間違いないわ! あいつよ!」
「そうと決め付けるには早いが、見逃せない情報ではある。さすがに頼み難いことなんだが…… 」
ローデスがセルミアを見ると、その意味を察したセルミアは手の平をローデスへと向け、話を止めた。
「残念だけど、私は行けないわ」
「……何故だ?」
「現帝王のオージリアのせいね。あいつがハイデルトのことを表沙汰にしたせいで、クロノアから帰還命令がきてるの。これを機にイシリスとの協定を破棄する気じゃないかしら。元々、イシリスとクロノアの同盟協定を取り付けたのハイデルトなんだし、当然っちゃ当然な流れな気もするけど」
セルミアが、躊躇いもなく自国の王をあいつ呼ばわりしたことには頭が痛くなったが、それ以上に、恐れていたことが現実味を帯びて動き始めたことに強い焦りを覚えた。
「恐れていたことが起き始めたか…… クロノアの王は何て仰っているのだ?」
「直ちに帰還せよ、としか。でも、今までそんな命令一度も来たことなかったのよ? クロノアがハイデルトに関する情報を私から聞き出そうとしているのは確実ね。認めたくないけど、ハイデルトが死の淵にあったクロノアを救ったのは事実だし。同盟協定の際も、王が自らの言葉で、これはイシリスとクロノアとの同盟ではなく、ハイデルトとクロノアの同盟だと言ったくらいだから。公の記録には残ってないけどね」
クロノアは本来中立国家であり、度重なるイシリス側からの交渉を跳ね除けてきた過去がある。
軍事戦力は、魔導大帝国イシリスと五分と言われていたため、それまでは闘王国サーランドを含めて三竦みの均衡状態にあった。
だが、その均衡も、イシリスとクロノアが同盟協定を結んだことで崩れることになる。
クロノアがハイデルトと協定を結ぶことになった経緯には、クロノアを長年蝕んできた寄生病の数々を、ハイデルトが解決させたことがきっかけになっているが、それは精霊大森国クロノアでの最重要機密事項となっているため、詳しくは側近のローデスですら知らないことが多い。
(クロノアとの同盟については、殿下から一度だけ、同盟協定が締結する少し前に、変な性病を移されたから治したら凄く感謝されたと聞いた覚えがあるのだが…… まさかあれが関係してる訳ではないだろうな? ……いや、まさかな)
不安になる記憶が呼び覚まされたローデスであったが、今はそれどころではないと本題から逸れる思考を無理矢理戻した。
「……イシリスとクロノアが、戦争になる可能性は高いと思うか?」
「どうかしらね。私が正直に全てを話したら戦争になるかもしれないわね。国を救った救世主を暗殺しようとしてるんだもの。そうなっても仕方ないと思うわ」
事も無げに言い放ったセルミアに、今度はローデスが顔を顰める番だった。
誰しも母国が攻められるのをこころよく思わないだろう。
それが人一倍愛国心の強いローデスであれば尚のことだ。
「ローデス、嫌ならあなたが王に直訴したら? 今は違うとはいえ、元々はオージリアに仕える帝国騎士団の長だったんでしょ?」
「……オージリア様はお変わりになった。恐らく私が言ったところで聞き入れはしないだろう。クロノアが攻めてくるなど露程にも思っておられんよ」
溜息を吐くローデス。
その顔はいつにも増して疲れが見えた。
「安心して。私もイシリスへ来てから結構経つのよ? そんな薄情なことはしないわ。少なくとも、イシリスとの全面戦争に発展しないよう動くつもり」
「助かる。殿下がいない今、クロノアとの協定はセルミアだけが頼りなのだ」
「それはやるだけやってみるけど、問題は他にもあるでしょ? 次男のモートが王位を継いだら、クロノアを実行支配しようとしてこないわよね?」
その問いに、ローデスは答えることができなかった。
王位継承順第二位である次男のモートは、実力と才能だけを見れば稀代最高と言われた兄ハイデルトに対し、解消不可能なまでにコンプレックスを抱き、拗らせていたのだ。
その内情を知るローデスにとって、それは、笑い事で済ませるほどの軽いものではなかった。
「やっぱりね。あなたが黙るってことは、一番厄介なのはあの捻くれモートかしらね。世界統一して、自分の名を世に知らしめるとか、自信満々に言ってそうだわ」
ローデスが言葉を詰まらせていると、ふいに窓を突く音がした。
「使い
窓を開け、全身が漆黒に染まった鳥を部屋へ入れると、その足についた紙筒から紙を取り出し、鳥を餌の入った籠へと移す。
紙に目をやったローデスの顔に、動揺が走った。
その様子が気になったセルミアがすかさず声を掛ける。
「何が書いてあったのかしら? あいつに関係すること?」
やや間があってから、ローデスはセルミアを見つつ、その言葉を口にした。
「
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