てんちょうたちの ひみつ -4-

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 春 川


《 DATE 2月13日 午後5時22分》


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 アンドーさんがヒミズさんを呼ぶとか言うのでベッドの下から出られない。

 アンドーさんに体をいじられそうになったのであわててベッドの下に隠れて、間抜けにもそのまま動けずにいるのだ。しかも裸。


―― ヒミズさんに見つかりたくない。


 バイト最終日の夜、俺はヒミズさんに下半身をもてあそばれた。

 やけに眠くて、記憶にはぼんやりとしか残ってないけど、あのときの恐怖だけは体にまとわりついている。


 ただでさえ俺はヒミズさんのことを、いつも無表情で、なにを考えているかわからない冷血漢だと思っていたので、あの行動は決定的だった。


 店長は「ぼくのせいだ」 といってヒミズさんをかばった。

 でも、あんな行動が「店長のせい」?

 俺が寝ているからと思って、「俺」を無視して「俺自身」を乱暴に勃たせたり、いきなり指を入れて押し広げてきたり、めちゃくちゃだった。


…そっくりだった。自分の欲望のままに俺を動かすときの、あのひとに。



 会いたくない。

 怖い。

 捕まったら、今度はどんな目に…



…いや、そんなことを推測している場合じゃない。

 頭を切り替えるためにブルッと振ると、固い床で後頭部を打った。

(…いっつー)

…なにやってんだ俺…。


 頭を慎重に倒して明るいほうを見る。

 目の前にある羽毛布団。

 布団がベッドの下に落ちてるなんて、不自然だ。ヒミズさんは間違いなくベッドに向かって来るに違いない。


 今のうちに、アンドーさんが出て来たトイレに移動して、身を隠すのはどうだろう。トイレなら鍵くらいかけられるはず。

 それに今、…ちょっと用も足しときたい感じ。

 よし。

 ここから這い出たら、まず羽毛布団をベッドに戻して、一目散にトイレに行こう。


(こうしている間にもヒミズさんが来るかもしれないんだ。)

 行くぞ!


 ベッドの下を一気に抜けようと体に力を込めた瞬間、いきなりドアが開く音がした。


(やば!)

 瞬間的に体が固まる。


 いや、アンドーさんが戻ってきたのかも。


 ゴロゴロという何かが転がる音が、床を通じて伝わってくる。

 その音がピタリと止んで、急に無音になった。


 俺がベッドにいないことに気づいて、探っているのだろうか。こっちに来る?羽毛布団を見つめる。


 あまりに静かなので、なんだかどんどん恐怖が増してしまう。ヒミズさん?アンドーさん?(俺は今、トイレです!)


…うわ、今しゃっくりが出たら、見つかるな。今、お腹がなっても、やばい。


 うす暗いベッドの下で、お腹を押さえて息を殺す。


 すると、今度はカチャカチャいう音や、ゴトゴトと何かを置く音が聞こえてくる。

 やがて鼻を美味しそうな匂いがくすぐってきた。お腹がなりそうになるので上から必死に押さえる。

 アンドーさんが「夕ご飯をはこばせるわ」 と言っていたのを思い出す。やっぱりヒミズさんなんだろうか。

 また静かになった。


 時間がとても長く感じられる。

 もしかして、もう出て行ったのか?耳を澄ませていると、


 突如として目の前の羽毛布団が持ち上がった。

 足が見えて声を上げそうになりあわてて口を押さえる。

 ヒミズさんがよくはいている黒のパンツ。間違いない。ヒミズさんだ。かすかにタバコの煙のにおい。

 必死に息を飲み込んだら、同時にしゃっくりが飛び出した。(ああ!)


 でも足はそのまま横に動いて、やがて上のほうから衣擦れの音が聞こえてきた。布団を戻しているようだ。

(セーフだったんだろうか。)

 と、ヒミズさんの足は、ちょっと動きを止めて片足をあげた。ベッドが嫌な音をたてる。


「…チ」


 上からヒミズさんの小さな舌打ちが聞こえた。

…怖くてたまらない。


 自分の鼓動が床を伝わってヒミズさんに悟られてしまうんじゃないか。

 そんなことさえ考えて不安になる。


 ヒミズさんの片足はすぐに下りてきて、今にも下を覗いてくるんじゃないかと身構えた。

 でも、ヒミズさんはやがて後ろを向いてベッドから離れた。

 布団が無くなったぶん、下からだけだけど、辺りがよく見えるようになっていた。


 ヒミズさんの足は、いったんソファの向こうに消え、ワゴンと一緒に出て来て、向かう先に、ドアがあるのも見えた。


 「ゴロゴロ」というのはワゴンの音だった。ヒミズさんはなぜか、ワゴンを中途半端にドアに挟むようにして置き、そのままドアの向こうへ消えていった。


 また戻って来るんだ。…どうしよう。

(トイレ、行きたいんだよな…)


 さっきまではそうでもなかったのに、今になって膀胱が断続的にSOSを出してきていた。

 アンドーさんから逃げるとき、もう少しがんばって最初からトイレにこもるべきだったんだ。

 急激に後悔する。両手で顔を覆って、静かに深呼吸してみた。

「っ。」

…しゃっくりも止まってない。

「ああもう…」

 ベッドを見上げ、苛立って思わず口に出してしまうと、そこで初めてヒミズさんに気づいた。


(―――!)


 いつの間にか足がベッドの脇に立っていて、血の気が引く。


 ヒミズさんは足をついてかがんで来たので、ああもうダメだと思う。


 と、ヒミズさんは箱のようなものをベッドのそばに置いただけで、すぐに立った。

 そして足早に歩いて、離れて行く。またどこかのドアが開く音。そして、…水の音?


 ドアのところでワゴンが動くのが見えた。

 ヒミズさんの足もドアの外に消え、ばたんっ、と、怒ったような音を立ててドアが閉まる。


 …限界だっ!


 急いでベッドから這い出ると、ヒミズさんが置いた細長い木の箱に、白い布が置いあるのが見えた。服だろうか。

 着ようかと一瞬惑うけど、それより、まず!


 俺はよほどあわてていて、開けるドアを間違えた。一歩踏み出すといきなり壁。

 左手に傾斜した長い廊下があって、その奥に、右手に曲がっていくヒミズさんが見えたので、ますますあわててドアを閉める。

 内側なのに、ドアノブに鍵がささったままなのに気づいて、とりあえず鍵をかけた。


 トイレは!


 閉めたドアの右手に開けっ放しにしてある部屋があって、トイレはそこだった。

 駆け込んでとりあえず用を足す。


「はぁあ~…」


…無駄な充足感。



 広くてきれいな洗面台で手を洗う。

 水があったかい。ホテルみたいだ。


 トイレの壁と床は全体的に暗い茶色。

 石みたいな材質で、足元はやっぱり暖かい。


 洗面台はクリーム色で、途中、丸くくりぬいたような形の、濃い赤色の流しがあった。

 目の前の鏡もやたら大きい。横を見ていくと、段差をつけながら洗面台側の壁の奥までずっと広がっている。

 上も、天井近くまでずっとある…と思って見上げたら、「うわ」 天井一面が鏡になっていた。なんだかあわてて目をそらす。(「自分」から。)


 鏡の左のほう、段差の部分にすこし隙間があり、中に空間があるようだ。

 試しに軽く押して離すと、鏡が開いて、奥にある棚があらわれた。


 中には、白い清潔そうなタオルや、個包装のシャンプー類、ほかにも、コットンや未開封の歯ブラシ、綿棒とかがあった。

(なるほど、「ゲストルーム」か。)

 ネカフェにあるものと違い、ここにあるのはなんだかどれも一流品っぽい。


 鏡を閉めると裸の自分と目が合った。

 顔が歪む。

 自分のこの、顔と体が大嫌いだ。


 やはり目をそらして、後ろを向く。

 水の音はこの近くから聞こえる。

 洗面台の向かい側、右奥にバスタブが見えて、そこから聞こえてくるようだった。お湯をはっているのらしい。


(そうか。)


 ヒミズさんは俺が気づくようにわざとドアを開けて、風呂があることを知らせたんだ。


 それにしても、すごい。

 バスタブのある部分とこちらとは、透明のガラスの壁で隔てられていて、壁は途中に空間があり、そこから行き来が出来るようになっている。


 入ってすぐ左側にシャワー。

 右側のほうが広くなっていて、一番奥にバスタブがある。バスタブは、洋画などでよく見る、白くて丸いフォルムのやつだ。


 とにかく何もかも、俺のアパートのユニットバスとはレベルがかけ離れていた。(そりゃそうか。)

 そして、アンドーさんの話は、本当に、本当なのかも、と思う。


 トイレから出ようとして振り返って、なにかをイメージしてるのかな、と思った。

 なんだろう、これ。

 クリーム色の洗面台と赤色の流し、濃い茶色の石でできた壁と床。

 鏡ばりだから、壁や天井もずっと茶色で、そのなかで繰り返す、規則的なクリーム色と赤色。

 見ているとなぜだか空腹感が増してきた。

 結局なんだか分からないまま、そのまま部屋に戻る。


 それから初めて、ソファの前のテーブルに並べられた皿に気づいた。

 さっきヒミズさんがカチャカチャ並べてたやつだ。

 近づいて見ると、それぞれの皿のうえには、肉や野菜やスープ、とにかくいろんな料理が盛り付けらていた。


(ご、ご馳走だっ。)

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