プレースタイル

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第1話 ボール直撃

 デュースサイドのサービスエリア、おそらくど真ん中よりややネットより、そしてセンターラインよりは大分サイドラインよりに弾むであろう、回転のほとんど無い涎の出そうな絶好球。さて、どうするか。セオリーなら走り込んでボレーで決める。しかし、それではあんまり地味で詰まらない。ドライブボレーでコートの角に突き刺すか?それとも少し待って、ライジングで弾み端をぶったたくか?いやいや落ち際まで待って、相手の動きの逆を突く?強打に見せかけてドロップか、豪快にフォアのジャックナイフを叩き込むか。スピンかフラットかスライスか、サイドスピンも一興だ。クロスかストレートかショートクロスか、敢えてセンターも面白い。

 ほとんど我を忘れて恍惚と、悩みに悩んでいた俺の後頭部に熱い一撃が入ったのはその瞬間だった……


 神奈川県立大原高等学校のテニス部には豪打で鳴らした男がいるそうな。無類のストローカーである彼は、よくボレーのことを「ストロークのできない奴が考え出したコスい打ち方」と罵ったらしいが、彼はさほどボレーが得意でないという。もう少しマシな負け惜しみは無かったのだろうか。その一方で強打の応酬を好み、空いたサイドにボールを叩き込んだ時の喜び方たるや阿呆丸出しであると専らの評判だそうだ。しかし最も好んだのは意表を突いたプレーであるという。相手ばかりでなく、観客、延いては自分の予想さえも超えたことをするために試合そっちのけで全力を傾けたと言うが、それならそいつは何のためにテニスをしていたのだろうか。そんな奴がいようとは些か信じがたい。さらに、その男というのが俺のことであるという意見に関しては、もう全く信じられない。

 俺は四人の男に囲まれて病院のベッドに横たわり、渋々そいつらの話に耳を傾けていた。

 目を覚ましたら見知らぬ場所にいるというのはやや劇的だが、そこで四人のむさ苦しい男に囲まれていたのではその効果もだいぶ薄れる。俺はすでに四人の役にも立たない話を聞き流していて、何故可愛い女の子の一人も俺の見舞いに来ていないのか訝っていた。

「お前本当に忘れちまったのか?」

 我門は驚いて確認してくる。

「共に全国制覇を誓ったやないかー」

 木戸が俺のベッドに泣きついた。

「早春の凍てつく海でー」

 大場も倣う。

 俄かに話に引き戻される。そんな聞いているだけで羞恥に肌が粟立つような青春ゴッコを俺がしたというのか。だとしたら忘れてしまった方が自分のためだろう。

「何ゴッコ?」

 日野は呆れてかえっている。

「まあ『高校テニス青春物語―めざせ、インターハイ―』ゴッコっちゅうとこやな」

「嘘かよ」一気に力が抜ける。「記憶喪失の人間にそういう冗談仕掛けるとかあり得ないわ」

「テニスのことだけ忘れるなんて器用なマネの方があり得ないだろ」

「そもそもテニスを忘れたんなら、俺らのこと覚えとるのが不思議なくらいや。お前、ホンマちゃんと覚えとるんか?さっきから合わせとるだけやないやろな?」

「まさか」

「ほな、こいつは?」

 木戸は我門を指す。

「我門勇介。小学校時代からの付き合いだ。かなりの阿呆であるにも関わらず、彼女がいることが不可解かつ羨ましい」

「ほほう、こいつは?」

 日野を指す。

「日野正。高校からの付き合いだな。我らが大原高校に稀有な品行方正、がり勉男。少しは冗談の勉強でもしろよと思う今日この頃」

「こいつは?」

 大場を指す。

「大場道夫。こいつも高校から。常識がありそうな雰囲気を出しておきながら、ふざけにノるときはとことんノる。ちょっと地味なところがやや残念」

「俺は?」

「木戸高道。高校から。亜関西弁と称して神奈川県民のくせに我流の関西弁を話していたせいで、標準語を上手く話せなくなった阿呆」

「このやろ」

「まあ、待て」掴みかかろうとしてきた木戸を日野が抑える。「やっぱり変だよ。坂上が俺たちのことを説明する時にテニスのことに全く触れなかった。使ってるラケットとかさ」

「なるほどな。にしても日野、お前は無意味に知的だな」

 我門はベッドの端に腰かける。

「無意味じゃないよ。やっぱり、坂上はテニスのことを忘れてるね」

「いや、でもお前らが使ってるラケットは覚えているぞ」少し考え込むと、すぐさまイメージが浮かんでくる。「木戸はプリンスのディアブロ、日野はウィルソンのNシックスワン、大場はヘッドのリキッドメタルプレステージだ。我門は硬式のラケット持ってないだろ?」

「ほほー。覚えとるやん」

「それじゃ、こいつは何だ?」

 我門が足元からオレンジと黒に彩られたラケット取り出す。

「おお、我が愛しのラケットちゃん。フェイス面積九十八平方インチ、ストリングスパターン十六×十九、フレーム厚は二十一ミリのスリムなフラットビームに、重さは二百九十グラムでちょっと軽いがそれがまたいい所。ダンロップの名作300Gじゃないか」

「お前、ホンマにテニスのこと覚えてないんか?」

 俺は改めて考え込んだ。しかし目の前にあるラケットのことをこれだけ知っているのに、使った記憶はさっぱりない。

「いや、テニスをやった記憶はないな」

「それじゃあ、自分のこと覚えてんの?」

「坂上陣。大原高校二年生」

「それで?」

「四月三日生まれ。牡羊座。A型」

「それで?」

「高校中の女子の注目の的である」

「まあ、確かに注目の的(笑)だけどな。でもそうじゃなくて俺が訊いてるのは所属部活のことなんだけど。陣が作ったんだぞ、テニス部は」

 大場は言いながら驚いていたが、俺はもっと驚いた。

「そうなのか?」

 しかし、よく考えてみれば確かにそうだ。穴だらけの記憶の向こうに確かにそんなものを結成した記憶がある。

「大体、中学の時からテニススクールに通ってたんだぞ、お前は」

 我門がため息をつく。

「まあ、あんまり褒めたくはないけど、坂上のストロークは確かにすごかったよ。速い球、遅い球、高い球、低い球、どんなタイミングでも強打で返してきた」

 日野はいかにも渋々という感じで言う。

「おまけにスピード、コントロール、回転も申し分なかった」

「返すのは基本ライジングやから、戻る暇もあらへんかった」

「そして、生まれついての女ったらし」

「変態」

「無類のストローカーというより無類のストーカーだな」

「うるさい、うるさい。テニスのことを聞いてんだよ」

 四人がゲラゲラ笑い出したので、苛々しながら先を促す。

 高校でテニス部に入ることしか考えていなかった俺はテニスコートという設備の質のみから大原高校を志望し、無事に入学したものの、大原高校には男子テニス部がなかったという。なんで前もって調べておかなかったのか。自分のこととはちょっと信じがたいほど間抜けな手落ちである。しかしながら思い起こせば、確かに入学当初、高い防球ネットとフェンスに囲まれたハードコート二面、オムニコート一面という、ここらの公立高校にしては恵まれた設備は女子テニス部が占有していた。

 ならばいっそ女子テニス部に入部しよう、いやむしろ最初からそっちの方が良かったじゃないか、日常がパラダイスだぞと我門相手にしゃべりまくっていた矢先、五月に開催された球技大会で俺は迷うことなくテニスに出場したらしい。出場前に「優勝杯を君に捧げよう」と、ある可愛いクラスメートの女の子に阿呆みたいなアプローチまでかける気合の入りようだったと我門は言った。

 そんな阿呆なことがあるか。そう反論しようとしたが、テニスとは無関係のその記憶はしっかりと残っており、俺は慎ましくその記憶から目を背けるだけにした。

 球技大会中の記憶となると、いよいよ靄がかかったようになる。決勝まで進んだ俺は「この調子で優勝して優勝杯を頂戴したら、それになみなみとオレンジジュースを注ぎ、ストローを二本さして教室でアプローチをかけたあのレディと一緒に心ゆくまで勝利のオレンジジュースに酔いしれるのだ」と我門に宣言して決勝戦に臨んだという。どこまでも油断大敵のいい標本である。そんなふうに可愛い子と一緒に優勝杯でオレンジジュースを飲むことだけ考えながらテニスに勝てるわけがないだろう、テニスをなめるな、ばか。

「いや、お前が自分で言っていたんだからな?」

 決勝戦の相手は三年生の西田先輩という人だった。彼は何故こんなに強い人がテニス部の存在しない学校に甘んじているのか分からない、と周りを困惑せしめるほどの技量を持ち、その強さは鬼神さながらだったという。立ち上がりは妄想オレンジジュースにほろ酔いだった俺が4ゲーム連取される形で始まったらしい。始まったというよりほとんど終わりかかっているような気がするが、西田先輩のストロークが俺の妄想を打ち砕いてからは俺も大分食らいついたそうだ。西田先輩の豪打に4ゲームも耐えた俺の妄想力が強いことは誰の目にも明らかな事実であるが、別に妄想力の勝負ではないのでその事実は何の関係もない。結果4―6で俺は屈したらしい。

 簡単に行われた授賞式からは再び記憶が戻る。俺は自分の賞状を受け取ってから、西田先輩の授与を見たが、渡されたのは俺と同じ賞状だけだった。なんと、初めから優勝杯は存在しなかったのだ。たしか、授与の時、西田先輩は先生とこういうやり取りをしていた。

『あの、先生。優勝杯は?』

『そんなもの、無いよ』

『無いと言われてもですね、彼女と約束があるのですが。優勝杯で一緒に優勝記念カクテルを飲むという……』

『無いよ』

 西田先輩はまるで一回戦敗退でもしたかのような落ち込み具合だった。というか、三年生にもなって、なにゆえ球技大会に優勝杯が存在しないことも知らなかったのだろうか。

 こうして幕を閉じた球技大会であったが、俺と西田先輩の試合に限らず、男子テニス部が無いことが嘘のような試合が他にも多々あったという。木戸、大場、日野がいたためだ。何とトーナメント表の関係上、全員俺に倒されたそうだが、それで優秀なプレーヤーが同学年にいることを知った俺は急遽女子テニス部への入部を止め、彼らを誘い、我門を強引に引きいれてテニス部を作り上げたのだという。

「なるほど。どこで出会ったのか判然としなかったわけだ」

 これで大分すっきりした。

「これだけ話しても思い出さないとは」

「でも、部分的には覚えとるみたいやな」

「それで、四元唯奈は覚えているのか?」

 我門がにやにやしながら訊いてくる。

「おお、それは我が愛しの彼女」

「じゃなくて、ウチの部のマネージャーだ。お前が優勝杯を捧げようとした」

「でも反応を見るあたり、忘れている心配はなさそうだね」

 日野は冷静に分析した。

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