第5話 契約した
結局俺は、アリスとセバスチャンの頼みを聞くことにした。
頼みとは――俺が予想したとおり、アリス達とこの屋敷を、ジークムント達から守ることだ。
信じられないことに、ジークムントはこの国の役人だった。
それも、貴族や商人の不正を取り締まる、査察官とかそんな感じの。
ただ、どうにもうさんくさい男で、街のゴロツキ連中を従えては、あちこちの商人達のもとに、時には貴族のもとに押しかけ、難癖を付けていたらしい。
彼は国の役人であることを悪用して無理矢理なにかしらの罪をでっち上げては、金品や財産を巻き上げて私腹を肥やしていた。
ちなみにバックにはさる有力な貴族がついているとか、ついていないとか――そういう話もあるのだが、長くなるので割愛。
ともあれ、数年前のある日、アリスの家も彼に目を付けられてしまったのだ。
最初は商人との取引上の品目の記載ミスだとか、そういうものだったらしい。
だがジークムントはそういったささいなことを調べ上げ、屋敷に乗り込んできた。
アリスの父親は抵抗したが、ジークムントは国から発行された礼状を手にしていた。
魔物研究を逆手に取られ、魔物を使って反乱を企てていると濡れ衣を着せられたあげく、領地や財産のほとんどを没収されてしまったのだ。
それまではそこそこ裕福な暮らしをしていたアリスの家は、そんなわけであっという間に没落した。
そして父親が死に、母親も死に、アリスに残されたのは、執事のセバスチャンと父親の書斎の書物だけだった。
そして今、ジークムントはそれで満足せず、屋敷をも奪おうとしているのだ。
おまけに、アリス本人までも自分のものにしようとしている。
そんな中、アリスは父親の書斎で魔物に関する書物を読みあさり、魔物を使役する魔法を見つけた。
魔物――土の精霊は、自然災害を起こすほか、強力なものは洞窟に罠を仕掛けることができる。
そんな強力な魔物を従えることができれば、人間の役人など恐れるに足らない。
アリスは様々な洞窟を調べ歩いた結果、俺にたどり着いたというわけだ。
俺としても、無理矢理連れてこられたとはいえ、ついさっき自分で事を荒立ててしまった負い目もある。
ずっと同じ場所で冒険者達をおちょくるだけの毎日に少し飽きていたというのもある。
それに、今度の相手はなかなかの悪党だ。罠の仕掛けがいがあるだろう。
◇ ◇ ◇
「時間がありません。ジークムント達は間を置かず、また押しかけてきます。それまでにこの地との『契約』を済ませておきましょう」
アリスは片手に持った分厚い本と床に敷かれた魔方陣とを交互に見比べながら言った。
すでに『契約』とやらの準備は万端のようだった。あとは、俺がその真ん中に立つだけだ。
だが、俺はその前に、確認したいことがあった。
「なあ、コレ……本当に大丈夫なんだよね? そんな契約とか必要なのか? 今のままも十分強いし、別に俺、意味もなく暴れたりしないぞ?」
「ユードラ様が粗暴なお方だとは思っておりませんわ。ですが、精霊は生まれた土地以外では、本来の力を発揮できないのです。今はまだ、洞窟で蓄えた魔力がユードラ様を精霊たらしめておりますが、すぐにその力は枯渇してしまうでしょう。外から来た精霊がこの地に災いをもたらすのも、罠をこの地に仕掛けるのも、まずは土地との契約が必須なのです」
「分かったよ。で、何度も悪いんだけど、さっき言ってた『使役』の魔法じゃないよね? コレ」
「あれは、意思の疎通ができない魔物を従えるための魔法です。ユードラ様には必要ありませんわ」
「……ならいいんだが」
いくら元コンビニバイトだったとはいえ、ただ働きは本意では無い。しかも拉致されたあげく、こき使われるのは、いくらなんでもイヤだ。
せめて時給千円は欲しい。いや、そういう問題でもないが。
ただまあ……アリスの奴隷なら……それはそれでアリなのかも……ちょっとだけそう思ってしまったのは内緒だ。
「それでは、土地との『契約』を始めます」
俺が陣の真ん中に立つのを確認して、アリスは本を開いた。
「~~~、~~~~。~~~~~~、~~、~~~」
アリスが呪文の詠唱を始めた。相変わらず何を言っているのか分からない。
だが、詠唱が進むにつれ、徐々に部屋の中に魔力が満ちてくるのが分かる。
「~~~、~~。~~~~~~~~、~~~~、~~~!」
部屋に風が巻き起こった。
大気中の飽和した魔力が火の粉の形をとり、虚空に激しく舞う。
アリスの頬に、汗が伝ってゆく。
呪文の詠唱が終わると、アリスは翡翠色の瞳で俺を見据え、叫んだ。
「主神ベレヌスよ、この者にマナの祝福を与えたまえ!」
瞬間、火の粉が一本の槍となり、一直線に俺の身体を貫いた。
「あ……が……」
いきなりの激痛に、苦悶の声が漏れる。
槍は俺の頭のてっぺんから胴体を貫通して、魔方陣、さらには屋敷の床まで貫通していた。
それと同時に、ものすごい量の
屋敷の外観、構造、面積。部屋の数。
いつ建造されたのか、どこが痛んでいるのか。
潜んでいる昆虫やネズミの種類に居場所。
まだ見たことのない部屋の中に据え付けられた家具の数、種類。
部屋に積もっているホコリの量。
戸棚の奥にある食器の数。
屋敷周辺の地形、地質、生えている植物の種類と数もだ。
あらゆる、この屋敷にまつわる情報が流れ込んでくる。
それと――この屋敷、この土地で使える罠の種類、効果、設置条件。
あまりの情報の多さに、目の奥でバチバチと火花が散った。
呼吸が苦しい。胸の奥が焼け付きそうだ。
「ぐ……あ……」
思わず膝を突く。
だが、それは一瞬のことだったらしい。
気がつくと、俺と屋敷と貫いた魔力槍は跡形亡く消え失せていた。
あたりには、すでに静寂が戻っていた。
息が荒い。額をぬぐうと、かなりの汗をかいていることがわかった。
「ユードラ様、大丈夫ですか?」
心配そうな様子で、俺を見つめるアリス。
俺は片手を上げて言った。
「ああ、大丈夫だ。アリス、昔お前がなくした人形は、二階の一番奥の部屋の、クローゼットの棚の上にあるぞ」
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