未実現事件調査記録書
@hand-to-hand
第1話
序章 6月25日 始まりの日
雨が事務所の窓を叩く午後一時。
他愛のない一日の約半分が終わったころ、私は事務机に足を乗せ微睡みに耽っていた。頭には新聞紙を被り、さながらホームレスの様相を呈したものだが、誰も見ていないのでそれほど問題はないだろう。
「……所長、もう昼ですよ」
―――――訂正、一人別にいたようだ。
私の頭から新聞紙をはぎ取られてしまい、薄らぼやけの窓辺の向こう、長雨に沈む町の景色を横目に私は、傍で新聞を折りたたむ少年に目配せをした。
「カオルくん。早いじゃないか。大学は終わったのかい?」
「午前だけでしたよ」
「いけないね。学生の本分は勉学だ。しっかり勉強しないと、いい大人になれないよ」
「今更そんなもん目指しちゃいませんよ」
「斜に構えて社会を見ていると、景色が薄暗く映る。もっと明るくまっすぐな心を持たないとね」
「あんたを見ていると、わずかなりとそうは思うんですけどね」
「是非もなし」
体を起こし足を下すと、私は目の前の青年―――――まるでゴミを見るかのような顔をした青年を見上げて、乾いた笑いを浮かべた。
彼の名前は、梅本カオル。近くの大学に通う19歳。私の甥にあたる青年だ。私よりも背は高い中肉中背の好青年だ。容姿も非常に整っていて、家事全般何でもこなすという。まさに、女にモテるために生まれた存在ともいえよう。
「所長。頼むから事務所の掃除ぐらい午前中に済ませてくださいよ。むちゃくちゃじゃないですかッ」
「ははは、すまん」
「なんで応接用の机の上にパンツが乗ってるんですかッ。昨日僕が帰ってからなにしたんですか?」
「ウォッカを少し」
「飲めもしないのに、瓶のふたを開けるからそんな酔っ払いの顔になってるんですよ。一回外で車に轢かれたらどうです?」
「若い身空でまだ死にたくないんだよ、僕も君も」
「なに僕まで死ぬみたいなこと言ってるんですッ?!」
「死ぬも生きるも一緒だよ、カオルくん」
「次言ったらこのウォッカ入った瓶に火つけて投げますからね」
―――――少し口が悪いのだが、少し難点ではあるのだが。
まぁ、そんなわけで、私は彼が部屋の掃除を始めるさまを横目に、事務机から離れて事務所の窓辺から町を覗き込んだ。
無数の有象無象あふれかえって仕方がないビルの合間を無数の自動車が行きかう、東京の一角。
そんな建物の中、解体寸前の古ビルの一フロアを買い入れて、私、寺田シロウは僭越ながら探偵事務所を構えているのである。
始めた理由は然したるものではなく、ただ面白そうだったから。それだけのために採算なんぞどこ吹く風のこの自営業を始めたというのだから、実に頭のねじが吹っ飛んでいたことなのだろう、当時の私は。
(いや、今もか?)
悪びれるつもりはない。自分の生き方を決めるのは、自分なのだから。
ただ、そんな見通しのない仕事に多少なりとも付き合わせているカオル君が不憫でならないのだが。まぁ、これも運命だと思ってもらい、彼には助手兼家政夫として雇っている次第である。
「いやいやいやいや。家政夫としてアルバイトやっているつもりないですからね。僕あくまであんたの助手であって、あんたの事務所があまりにも汚いから掃除をするしかないんじゃないですか!」
「―――――ツンデレかい?」
「殺しますよ!」
「おお、昨今噂のヤンデレというやつかな?」
「うるさいよッ、ていうかその哀れなものを見るような眼をやめろッ、抉りますよッ!」
かわいい助手である。口が悪いのが相も変わらず難点ではあるのだが。
そうして、今日も彼に罵倒されながら、雨に沈む六月の町の景色を眺めつつ、一日が終わっていくのだろう。
―――――だけど、雨はすべてを流していく。
降り続く雫が、排気ガス交じりの薄汚い空気の澱みも、町のひとごみも、たばこの吸い殻で汚れた水も、すべて流していく。
残るのは、偽りのない景色。
虚飾がはがれていく音。
私は、実に雨の音が苦手だった。
だから、今日はいやな予感がした。
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