(3)高い理想
「私の尊敬する最上の主君って、アルテス様なんだけど……」
そう言ってから、頬杖をついて面白く無さそうに黙り込んだ彼女に、サイラスは何故そんな分かり切った事を改めてここで言うのかと訝しく思いながら、話の続きを促した。
「ソフィアがファルス公爵の忠臣だって事は分かってるさ。それが?」
「それで、頭領がファルス公爵家の裏部隊、デルスの取り纏め役って知ってるわよね?」
「勿論、知ってるが?」
微妙に話が逸れた様に感じて眉根を寄せたサイラスだったが、ここでソフィアが爆弾を投下した。
「私の理想の男性って、実は頭領なのよね」
「ああ、そう……、はぁああ!?」
相槌を打ちながらグラスを取り上げたサイラスは、それを乱暴にテーブルに戻しながら素っ頓狂な声を上げた。それは店中の客の視線を集めた上、ソフィアから軽く睨まれる羽目になった。
「……失礼ね。そこまで驚かなくても良いじゃない」
「いや、でも、何歳年上だ!?」
かなり動揺しながらサイラスが尋ねると、ソフィアはちょっと考えてから告げる。
「ええっと……、十七歳違い、かな? 本当に公爵様や頭領と出会った頃は、私って思い込みが激しくて、身の程知らずの怖い者知らずの小娘だったわよね~。どうしてもデルスに入りたくて、公爵家の中の仕事を手当たり次第やらせて貰った上で、どれもこれもわざと惨憺たる結果になる様にして。結構大変だったわ~」
しみじみとそう語った彼女に、(そう言えばイーダリスがそんな事を言ってたな)と思い返したサイラスは、半ば呆然としながら問いを重ねた。
「どうしてデルスに入る前に、色々な仕事をしたんだ?」
それに対するソフィアの答えは、実に簡潔明瞭だった。
「年端のいかない小娘を、最初からデルスに放り込む様な非人道的な事を、アルテス様が許すわけないでしょうが」
「……それはそうだな」
「とことんやってどれも駄目って言われて、どっぷり落ち込んだ演技をして、アルテス様とフレイア様に『可哀想だから、一応気が済む様に訓練させてみたら』と言って頂いたのよ。作戦勝ちね」
(何だよ、その計算高さは!? それに大人が揃いも揃って騙されるな!)
ちょっと得意気に言われて、サイラスは心の中で当時彼女の周りに居た人間達を罵倒した。しかしそこでソフィアは、急にしんみりとした口調になって話を続ける。
「だけどね……。私が少しでも頭領のお役に立とうと思って、訓練の傍ら仕事に勤しんでいる間に、頭領は九つ年上の訳あり子持ち未亡人とさっさと結婚しちゃってさぁ。本当に早業だったわね。仕事以外で、変な手腕を発揮しなくても良いのに……。それで一時期、やさぐれたわ」
「やさぐれたって……」
愚痴っぽく零された内容に、思わず絶句したサイラスだったが、ソフィアは律儀にその内容を語った。
「道行くバカップルを見る度にイラッとして、細刃のナイフを投げて靴のつま先を地面に縫い付けて転ばせたり、投石弓を使ってカチカチの泥団子をぶつけたり、真っ赤な染料を木の上からぶちまけたりしてたのよ。それが頭領にばれて『何を考えている! 無関係の人間に無差別に嫌がらせをさせる為に、色々仕込んだわけじゃないぞ!』ってこっぴどく怒られた上、公爵ご夫妻には『反抗期か? それともデルスの仕事に係わらせたのが拙かったか』ともの凄く心配をされて、危うくデルスから抜けさせられそうになったわ」
それを聞いたサイラスは、思わず両手で頭を抱えた。そして項垂れながら聞いてみる。
「因みに、それっていつ頃の話なんだ?」
「十五の時よ。それからは両親とかアルテス様達が持ってくる縁談を蹴散らしつつ、仕事に邁進して来たわ。ええ、裏も表も、一切手抜き無しでね」
「……うん、それは良く分かった」
真顔で自分の仕事に対する姿勢を語ったソフィアに、サイラスは疲れた表情で頷き、盛大な溜め息を吐いた。するとソフィアが真面目な顔のまま問い掛けてくる。
「今までの自分の事をかなり包み隠さず語った上で、一つ聞きたいんだけど」
「何だ?」
「サイラス。あなた、頭領を越えられる? それなら考えてあげても良いわ」
それを聞いたサイラスは、「何を?」などと問い返す間抜けな真似はせず、勢い良くテーブルに突っ伏して呻いた。
「いきなり、なんて高レベルな要求を……」
今回の騒動でジーレスと身近で接してみて、以前から分かっていた王宮専属魔術師としても十分務まるその力量に加え、一癖も二癖もある者達を見事に纏める統率力、猫に姿を変えていた自分を当初から看破していた観察眼など、改めて格の違いを認識させられたばかりだった為、サイラスは絶望感と徒労感に打ちひしがれた。しかしそんな彼に、ソフィアが淡々と追い討ちをかけてくる。
「できるの? できないの? 二択なんだからさっさと答えなさい。答えないのなら、できないとみなすわよ?」
そこでサイラスは勢い良く顔を上げて叫んだ。
「越える! 現時点では無理だが、いつかは絶句越えてやるからな! と言うか、経験値が違い過ぎるから、今すぐに越えてみせろって言うのは無しだぞ!? 頼むから!」
そんな切実な訴えをしてきたサイラスに、ソフィアは思わず小さく吹き出す。
「それ位、大目に見てあげるわよ」
「それは良かった。……それと、もう一つだけ頼みがあるんだが」
「何?」
そこで神妙に切り出されてソフィアが首を傾げると、サイラスは再度真剣な表情になって言い出した。
「例の……、ソフィアが胴元になってる、誰がエリーシアを落とすかっていう、王宮内で流行ってる賭。俺を候補から外してくれ。頼む」
それを聞いたソフィアは、実に残念そうな顔付きになる。
「あら……、サイラスは結構人気があったのに……」
どう見ても本気で言っているとしか思えない口振りに、サイラスの口調に泣きが入りかけた。
「本当に勘弁してくれ! どうして惚れてる女が胴元になってる、他の女を落とす賭けの対象にならなくちゃいけないんだ?」
その切実な訴えに、ソフィアは軽く肩を竦めて了承した。
「分かったわよ。『諸事情で今後は賭けの対象にはなりません』って、賭けていた人に断りを入れてお金を返すわ」
「良かった……」
心底安堵した様にサイラスが俯いて溜め息を吐いたところで、ソフィアがからかうように言い出した。
「ところで、サイラス? 何か忘れてない?」
「忘れてる……って、何を?」
当惑したサイラスに、ソフィアは尚も確認を入れる。
「私は『私の事を好きでしょう?』とは言ったけど、それ以上余計な事は、一言も言って無いんだけど? そっちの立場もあるでしょうし」
「…………」
そこできちんと先程からのやり取りを思い返したサイラスは、がっくりと項垂れた。
「……気を遣って貰ってどうも」
「どういたしまして」
そこで顔を上げたサイラスは、すまして応じたソフィアに向かって、怖い位真剣な表情で申し出た。
「年上だろうが、面倒くさかろうが、裏表がある仕事を持っていようが、借金返済に血道を上げていようが、それでも俺はお前の事が好きなんだ。俺と付き合ってくれ」
「そこまで言われて『嫌よ』の一言で済ませたら、私って相当の人でなしね」
自分の台詞を聞いてくすくすと笑ったソフィアに、サイラスは幾分気分を害した様に言い返した。
「こら、人には言わせておいて、自分は言わないでごまかすつもりじゃないだろうな?」
「あら、そんな事無いわよ? 付き合ってあげる。だけど本当に物好きよね。私なんかに纏わりついてたら、有り金を全部むしり取られるわよ?」
相変わらず楽しそうな笑顔のソフィアに、もう完全に腹を括ったサイラスが、苦笑いで応じた。
「自慢じゃないが、そこそこ高給取りの上独身寮暮らしで、年の割に結構金をため込んでるんだ。それに無一文になっても、また稼げば良いさ」
「あら、思った以上に太っ腹。むしり甲斐があると言うものだわ」
そこで人の悪い笑みを浮かべた彼女に、サイラスが若干の不安を覚える。
「……やっぱりちょっと不安になってきた。むしり取っても良いが、程々にしてくれ」
「何よ、意気地なしね」
そう言って楽しげに笑い出したソフィアにサイラスも釣られて笑い出し、それからは純粋に料理と酒を堪能して、二人は連れ立って王宮の宿舎に戻って行ったのだった。
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