(7)居候決定

「ただいま、イーダリス」 

 貴族令嬢としてはかなり慎ましやかな、それでも一応ドレスと言える物に着替えたソフィアが弟の部屋に顔を出すと、彼は椅子から立ち上がってすまなさそうに姉を出迎えた。


「姉さん、お帰り。呼び付けて悪かったね」

「いいわよ。イーダだって近衛軍からお休みを貰ったんでしょう? 公爵家相手の縁談なんて、即行で断りを入れるわけにいかないし。正直、手に余るわよね」

「みぎゃぎゃーっ!!」

 何やら窓の向こうから、悲鳴じみた猫の鳴き声が微かに聞こえてきた気がした二人だったが、それを綺麗に無視して小さな丸テーブルを挟んで椅子に座った。


「確かに普通に考えたら即行で断るのが無難な話なんだけど、一概に断りを入れたくも無かったから……」

 そんな事を言って俯いた弟に、ソフィアが怪訝な視線を向ける。

「そう言えば、魔導鏡で話した時も、何だかすっきりしない物言いをしてたわね。どういう事?」

「それが……」

「ふみゃっ!? むぎゃあぁぁぁーっ!!」

 先程よりもはっきりと外から聞こえて来た鳴き声に、ソフィアははっきりと顔を顰め、イーダリスは出鼻を挫かれて困惑した表情になった。しかしすぐに気を取り直して話を続ける。


「勿論、姉さんの縁談は断るつもりだが、俺の方は受けようと思っているんだ」

 弟から告げられた予想外の内容に、ソフィアは本気で驚いて声を荒げた。

「はあ!? あんたいきなり何を言い出すの? 冗談でしょう!?」

「いや、本気なんだ。だから」

「ぎゃいうぅーっ!! ふぎぃぎゃあーっ!!」

 そこで聞こえて来たのは生命の危機すら感じる悲鳴だったが、ソフィアはそれに気を取られる事無く、殺気さえ感じられる視線をイーダリスに向けた。しかし彼も、一歩も引かない気迫で言い返す。


「見合いの前に、そこの所を姉さんとじっくり話しておきたいと思って、早目に休みを取ってここに戻って来て貰ったんだ」

 あくまでも真顔で告げてくる弟に、ソフィアは思わず片手で額を押さえながら呻いた。


「ちょっと待ってよ、勘弁して……。相手はあのルーバンス公爵家の娘なのよ? 絶対、性格が悪くて金遣いが荒くて、ろくでもない女に決まってるわよ」

「姉さん、それは偏見だ。他の令嬢はそうかもしれないが、彼女に限ってそんな事はない」

「どうしてそう言い切れるわけ?」

「それは」

「ふんぎゃあぁぁぁぁーっ!!」

 イーダリスは真剣な表情で力説しようとした所で、窓の外で一際大きな絶叫が生じた。それを耳にした姉弟が、疲れた様に溜め息を吐き出す。


「……さっきから五月蠅いわね」

「気になってはいたんだが……、猫、だよな?」

 完全に話の腰を折られた二人が、憮然とした顔を見合わせていると、廊下の方から複数の足音が聞こえて来たと思ったら、一匹の猫を掴み上げた男が勢い良くドアを開けて姿を現した。


「おーい、若さん、お嬢。さっきからこいつ、庭に潜り込んでは大騒ぎしてるんだが、目障りなんで皮を剥いで売っちまっても構わないか?」

(おいぃぃっ! 勝手に人の皮を剥ぐなよっ! いよいよ魔術を発動させて、逃げなきゃ駄目か?)

 とんでもない提案をされて、サイラスがジタバタしながら必死に考えを巡らせていると、首輪のガラス玉に前脚を伸ばす前に、イーダリスが苦笑しながら告げた。


「オイゲンさん、一々私にお伺いを立てなくても良いですよ? 私はここに、間借りしている立場ですから。猫の一匹や二匹、煮るなり焼くなり好きにして下さい」

(お前、大人しそうな顔して、意外に容赦ないな!? さすがにソフィアの弟だ……)

 庇ってくれるかと思いきや容赦のない事を言われて、サイラスは半ば自棄になりつつ彼を評した。しかしそれを聞いたオイゲンは、苦笑しながら言葉を重ねる。


「いやいや、確かにこの屋敷はファルス公爵が使用権を得ているが、公式にはステイド子爵邸で、王都在住の若さんが管理者だからな。筋は通すもんだろ」

「それではどうしましょうか……。外に出して、またすぐ紛れ込んで騒ぎ立てられても、迷惑ですし」

 どうやらイーダリスが非情な事を考えていた訳では無く、この屋敷に間借りしている立場では、猫一匹の処遇と言えど口を挟むべきではないと考えた上での発言だと分かって、サイラスは少し安堵した。そして生真面目に考え込んでいる彼を黙って見上げていると、ノックの音と共にドアが開かれ、サイラスが面識のある人物が顔を見せた。


「失礼します。ソフィアが帰っていると聞きましたが……。やあ、ソフィア。イーダリス殿もお久しぶりです」

 そう声をかけながらジーレスが入室して来ると、二人は表情を明るくして彼に頭を下げた。

「ジーレスさん、お久しぶりです」

「すみません、私用で王都にお呼び立てしてしまいまして」

 恐縮する二人に、旅装束のジーレスが笑顔で応じる。


「いえ、そろそろ王都に来る用事がありましたから、前倒しで丁度良かったです。ところでオイゲン。その猫は、最近この屋敷で飼い始めたのか?」

 不思議そうに尋ねてきたジーレスに、オイゲンはサイラスを目の高さまで持ち上げつつ、忌々しげに説明した。


「それが、何度追い払っても庭に潜り込んで、防御術式を発動させて五月蠅くてな」

「ほう? 庭に、ね……」

 そして歩み寄ったジーレスが、僅かに目を眇めて至近距離からサイラスを凝視した。その視線の鋭さに、サイラスは思わず暴れるのも止めて全身を硬直させる。


(うっ……、何か見透かされてる様な気がする。この人、相当な腕前の魔術師だし、ひょっとして俺に施されている術式がばれたか?)

 そんな緊張したのも束の間、ジーレスは屈めていた上半身を起こし、イーダリスに提案した。


「この屋敷がよほど居心地が良さそうに見えたか、気に入った所があったんでしょう。首輪をしていますが、身元が分かる様な記載はありませんし、この猫がこの屋敷に飽きるまで、ここで飼えば良いんじゃありませんか?」

「え? 良いんですか?」

 驚いた様に軽く目を見開いたイーダリスに、ジーレスは微笑ましそうに告げた。


「猫一匹に餌をあげる位で、この屋敷の運営費が傾く事はありませんから。家令には私から言っておきましょう。敷地内の防御障壁術式にも、この猫の情報を登録しておきます。歩き回るたびに発動していたら、煩いでしょうしね」

「そうして貰えるか? さっきまで煩かったからな」

「そんなに走り回ってたのか?」

 ジーレスとオイゲンがそんな事を言いながら苦笑いしている横で、半ば床に放り出される様に下ろされたサイラスの前に片膝を付いたイーダリスは、彼の前足を軽く持ち上げながら、笑顔で挨拶してきた。


「じゃあ暫く、俺と一緒に居候だね。宜しく、猫さん」

 その人好きのする笑顔を見せたイーダリスにサイラスは好感を覚えながら、(こちらこそ宜しく)という意味で一際高く「にゃおぉ~ん」と鳴いてみせたのだった。

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