第1章 降って湧いた災難
(1)ある侍女の崇拝対象
エルマース王国第一王女シェリルは、昼休みを利用して自室に顔を見せた義姉のエリーシアと一緒に、和やかに昼食を食べ進めた。そして食後のお茶の時間になった所で、自身の専属侍女であるソフィアとリリスに、一緒に席に着く様に声をかける。
同様の事はこれまでに何度も繰り返された事であり、それぞれ子爵令嬢と伯爵令嬢でもある二人は、当初立場と礼儀を慮って同席するのを固辞していた。しかし、とある事情で十六になるまで市井で暮らしていた上、殆ど猫の姿で過ごしていたシェリルがそんな事にこだわる筈も無く、この頃には苦笑しながらも素直に同じ丸テーブルを囲み、雑談などをしながらお茶を楽しむ様になっていた。
この日もいつも通り、寛いでお茶を飲み始めた四人だったが、何気なくエリーシアが漏らした一言で、その平穏な時間はある意味終わりを告げた。
「……そういうわけで、我が家はファルス公爵家に対して、感謝してもしきれない程のご恩が有るわけです」
「全然知らなかったわ。ファルス公爵は、ソフィア達にとって、本当に凄い恩人なのね」
最初は他愛も無い世間話で和やかにお茶と会話を楽しんでいた四人だったが、エリーシアから何気ない口調で「因みに、ソフィアさんが理想とする様な男性はいないんですか?」と尋ねた瞬間、ソフィアがどこかに火が点いた様に、滔々と喋りだした。
それはソフィアとファルス公爵との出会いから始まって、これまでに至る経緯を纏めた話だったのだが、それでもかなりの長さであり、他の三人は誰も口を挟めないまま呆然と聞き入った。そして漸くソフィアが一区切りつけた所でシェリルが素直な感想を述べると、それに彼女が勢い良く頷く。
「はい、正にそうなんです。しかもあの時公爵家の皆さんは、本当なら日没前に領地から王都の屋敷にお戻りになっている筈だったのに、午後に馬車の車軸が折れて、街道で修理をする羽目になったとか。それで王都へ戻ったのが夜になってしまい、公爵邸に戻る途中で馬車から振り落とされた弟に遭遇したと言う訳です。もうこれは、運命としか思えません!」
「……うん、凄い運命的な出会いね」
握り拳で自分の方に身を乗り出しながら力説するソフィアに、シェリルは椅子に座ったまま思わず身体を引いて相槌を打つと、彼女はそれはそれは嬉しそうに声を張り上げた。
「そうですよね! 姫様もそう思いますよね!? しかもその後お子様方を家来に任せて公爵邸に向かわせて、公爵夫妻は私達に付き添って屋敷にいらして下さって。公爵様は父に状況を説明した後、両親から借金の詳しい状況を聞き出しつつ、これまでの生活全般について徹夜でみっちりお説教されて、公爵夫人のフレイア様は意識を取り戻した妹と、緊張が解けて泣き喚いた私に付いて一晩中宥めて寝かしつけて下さいました」
「叔父様も叔母様も、面倒見が良いタイプですものね」
事情があって公にはされていないものの、ファルス公爵は自分の母方の叔父である上に、エリーシアの養父となって後見をしてくれている人物であり、シェリルは彼の有能さと博愛精神とを改めて実感しながらしみじみと述べた。するとソフィアが、溜め息を吐きつつ話を纏める。
「法定以上の金利を取っていたその男は、公爵にそれを指摘されて金利分を大幅に減らした額を提示してきたので、公爵様がそれを一括返済した上で、我が家に二十五年かけて返済する案を、無利子で提示してくれました。それに従って、それ以後両親は派手な交遊関係をきっぱり絶って領地に引き籠り、領地運営に取り組んでいる訳です」
「それで借金返済の為に、ソフィアも偽名でファルス公爵家で侍女をやっていたの?」
「そうなんです。ですが王宮の侍女として仕えるならともかく、一貴族の屋敷に他の貴族の令嬢が侍女として仕えるのは体裁が悪いし、万が一ファルス公爵家の評判に傷が付いたら拙いと両親が申しまして」
「なるほど。それでファルス公爵家では『ソフィア』の名前で勤めていたから、私が王宮に引き取られた時に、補充要員として公爵家から派遣されてきた時に、そのままその名前を名乗っていたわけね」
自分に付いて貰う様になってから、暫くの間『ソフィア』が偽名だと聞かされていなかったシェリルは、この間何となく聞きそびれていた事情が分かって、少し嬉しそうに微笑んだ。それを見たソフィアも、小さく苦笑いする。
「はい。でも、ソフィアとして生活した方が長くなっているので、こちらの名前の方がしっくりきますね。『エルセフィーナ』とか呼ばれると、一瞬誰の事かと思ってしまいます」
それを聞いたシェリルは、不思議そうに尋ねた。
「長いって、どれ位なの?」
「そうですね……。公爵様と初めてお会いしたのが十二の時で、その年のうちに侍女見習いとして公爵家のお屋敷に入りましたから、もうかれこれ十四年になりますか」
「え?」
それを聞いたシェリルは文字通り目を丸くしたが、リリスとエリーシアは思わず会話に割り込んだ。
「じゃあ十二歳から?」
「何でそんな年から、れっきとした子爵令嬢が、侍女見習いなんてやってるんですか!?」
そんな三人に向かって、ソフィアは苦悩する表情を見せた。
「少しでも早く借金を返済したいのと、少しでも公爵家のお役に立ちたかったからです。でもそんな年端もいかない小娘が仕事をしたいと言っても、周りの迷惑になるのが精々。でも公爵夫妻は私と妹を屋敷で引き受けてくれて、侍女仕事の傍ら必要な礼儀作法や教養を叩き込んでくれて、妹は良い縁談まで紹介して貰って、今では男爵夫人です。もう少しでもお役に立ちたいどころか、更にお世話になってしまうなんて、この有形無形の恩をどうやって返せば良いのやら」
如何にも悔しげに顔を歪め、握り締めた拳がプルプルと小刻みに震えているのを見て取った三人は、思わず顔を見合わせてソフィアを落ち着かせようとした。
「え、ええと、ソフィア?」
しかしそんな周りの様子など目に入らない感じで、ソフィアの訴えが続く。
「屋敷の中には、私同様に公爵家に対して深い恩を持つ方が何人も存在していまして、そんな人間達で集まってどうやったら公爵家にご恩返しができるかと、日々議論しておりました。ですがそれ程のご厚情を受けなくても、屋敷に仕えるものから領地の下々の者まで、例外なく公爵家の皆様が慕われているのは、ひとえに公爵様の高潔さと鋭敏さ、奥様の慈悲深さと高貴な佇まいが、何もされなくても事ある毎に滲み出ている故で!」
「分かった、分かったから、ソフィアさん。少し落ち着きましょうね?」
「エリーシアさん。それだけではなく、その他諸々を含めましてあのお二方が私の理想なんです!」
「はい。ソフィアさんの話しぶりから、良く分かります」
「公爵様の養女になったエリーシアさんには、きっと分かって頂けると思っていました!」
勢いに負けたエリーシアが思わず同意を示すと、ソフィアは瞬時に顔を輝かせて、主人夫妻を賛美する言葉を延々と並べ立て始めた。
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