第4章 日々是修行

1.様々な願望

 無事に王都、リーベルに遠征軍と共に帰還したエリーシアだったが、とある事情で王宮には戻らず、ファルス公爵邸で静養を初めて三日目。彼女は見舞いにやって来たシェリルを、邸内の広い応接室で公爵夫妻と共に出迎えた。


「もう、エリーったら! そんな大変な事になってたなんて、私、全然知らなかったわよ!? 髪までバッサリ切っちゃって! 昔からずっと、ピカピカサラサラで長かったエリーの髪がっ!! それは確かに、私が知っててもどうしようも無い事だけど、知らされたのは停戦の報告が来てからで、しかも王都に帰って来てもエリーは後宮の部屋には戻って来ないで、そのままファルス公爵邸で休暇に入っちゃうし!!」

 最近王女としての自覚が備わって来たのか、辛うじて礼儀正しく訪問の挨拶済ませたシェリルだったが、長椅子に並んで座った途端血相を変えてまくし立ててきた為、その日までにすっかり体調は回復していたエリーシアは、苦笑いしながら義妹を宥めた。


「それは本当にごめんね? 三日熟睡して体力は回復したと思ってたんだけど、王都に帰り着く直前に高熱が出ちゃって」

「誠に申し訳ありません。この間ご心配をおかけしたであろう姫様に、一刻も早くエリーシアの無事な姿をお見せするのが、筋だとは思ったのですが」

「弱っている状態の彼女をご覧になっても、余計にお心を痛める事になりそうだと、私どもが引き止めました。お叱りは、私達がお受け致します」

 向かい側の長椅子に座っているアルテスとフレイアが、交互に頭を下げながら取り成してきた為、シェリルは漸く落ち着きを取り戻し、動揺した事を素直に詫びた。


「いえ、あの……。エリーの元気な顔が見られたので、もう良いです。すみません、心配していたのは私だけではありませんのに、少し興奮し過ぎました」

「とんでもございません。姫様とエリーシアがこれまで二人で支え合って生きてきた事は、私達も良く存じております。ご心配されるのは当然ですわ」

 穏やかな口調で同意を示すフレイアに、エリーシアは思わず尊敬の眼差しを送る。


(さすが、お母様は優雅さが言動に滲み出てるし、お父様は黙って座っているだけでも貫録があるのよね)

 しみじみとそんな事を考えていると、シェリルが唐突に話題を変えてきた。


「それでエリー。休暇は明日までの筈だけど、暫くは公爵邸から通うの? 後宮の部屋をこれまで通り使うつもりなら、エリーの部屋を整えておくから聞いて来て下さいって、カレンさんに頼まれたの」

 その問いに、エリーシアが怪訝な顔で答える。

「ええ、使わせて貰うわよ? 何? 女官長は、私がこのままファルス公爵邸から通う可能性があると思ってるの?」

「さあ、そこの所は良く分からないけど……」

(ひょっとして私が酷い目に合って怖気づいて、王宮専属魔術師を辞任して公爵邸に引っ込むとか考えているわけじゃないわよね? 冗談じゃないわ。明後日出仕したら、空き時間にそこの所カレンさんに問い質さないと!!)

 シェリルは不思議そうな顔になって首を捻り、エリーシアは思いついた可能性を考えて軽く腹を立てた。アルテスとフレイアは無言で顔を見合わせて何やら頷いていたが、ここでシェリルが思い出した様に口を開く。


「あ、それから、ファルス公爵。今回は色々な面でのお骨折り、ありがとうございました」

「シェリル姫?」

 真面目な顔で頭を下げたシェリルに、アルテスが戸惑う表情になったが、顔を上げた彼女は静かに話を続けた。


「遠征軍が帰って来てから、本当の所をジェリドから教えて貰いました。どうしても直にお礼が言いたかったのですが、後宮に呼びつけるのも失礼だと思いましたので、エリーのお見舞いかたがた、こちらにお邪魔させて頂きました」

「そうでしたか。私事でご足労頂き、恐縮です。姫にとってはエリーシアは大事な姉君ですが、私どもにとっても大事な娘です。お気遣いなく」

「そうでしたね」

 笑顔で応じたアルテスに、シェリルも思わず表情を緩める。そして嬉しそうな表情のまま、話し続けた。


「でも、この前の偽ラウール事件もそうでしたが、今回の事でファルス公爵がとても有能な方だと実感できました。そんな方がエリーの父親になってくれて、とても嬉しいです」

「それは光栄です」

「それと同時に、公にはできませんが、私の叔父にそういう頼りになる方がいて下さって、心強いです。これからも宜しくお願いします」

 本心からの言葉をシェリルがにこやかに微笑みながら口にすると、ここで何故かアルテスは無言で立ち上がり、シェリルに歩み寄った。そして彼女の斜め前の床に片膝を付き、右手を胸に当てて深々と頭を下げる。


「はい。我が家の人間は全員、未来永劫エルマース王家に忠誠を誓います」

 そう宣言して深く頭を下げて臣下の礼を取ったアルテスに、その対象となっているシェリルが戸惑った声を上げた。


「あ、あの、えっと、そういうのはお父様か、レオンに対してするべきかと……。ねえ? エリー?」

「目の前にいるのがシェリルなんだから、良いんじゃない?」

「で、でも……」

 臣下の礼など取られた事がないシェリルが目に見えてうろたえている為、エリーシアは思わず笑い出しそうになった。


(頼りになる叔父さんとか言われて、お父様ちょっと感動しちゃった? やっぱりシェリルに対しては、色々申し訳なく思ってたのよね。でもこのまま湿っぽくなるとシェリルが可哀想だし、話題を変えましょうか)

 そう考えた彼女は、徐にフレイアに声をかけた。


「そう言えば、お母様。私、今回の事でつくづく実感した事があるんです」

「あら、どんな事?」

「お母様は人を見る目があると言う事です」

「まあ。それは嬉しいけど、どうしてそう思ったのか、理由を聞いても良いかしら?」

 そんなやり取りをしているうちに、気が済んだらしいアルテスは、シェリルに向かって再度軽く頭を下げて椅子に戻った。そして義妹が安堵した顔付きになったのを確認してから、エリーシアは真顔で話し出した。


「今回、ルーバンス公爵の三男と六男が揃って自滅しましたから。加えてあの家に関しては、元から良い噂なんて聞きませんし」

「それは王都内でも、凄い噂になってるみたいよ? ルーバンス公爵家との婚約が破談になったり、離婚騒ぎが持ち上がってるとか」

 思わずと言った感じで口を挟んできたシェリルに、エリーシアは心底嫌そうな表情で頷く。

「でしょうねぇ……。結局、父親の質が悪いって事なんでしょうし、そんなのを足蹴にしたお母様の判断は正しかったんだと、改めて思いまして」

 しみじみとした口調で論評したエリーシアだったが、それを聞いたフレイアは、笑いを堪える表情になった。


「ありがとう、エリーシア。だけど明らかに劣っている人間を振った事で、人を見る目があると評されるのも微妙ね」

「勿論、それだけじゃありませんよ? 結婚相手にお父様を選んだって事が、最重要な事柄ですから」

 そう彼女が力説すると、フレイアは笑顔で夫に声をかける。

「だそうよ? あなた。娘にそこまで評価して貰って、嬉しいでしょう?」

「そうだな」

 そしてアルテスが若干照れくさそうな表情を見せると、ここでエリーシアが拳を握りつつ、力一杯宣言した。


「ですから、私には到達するのは難しいかもしれませんが、プライベートではお母様を人生の目標にする事に決めました。お母様の様に気高く優雅に、思慮深く。望みは常に高くです! 仕事では、王宮専属魔術師としてあらゆる魔術を極めて、史上初の女性魔術師長就任を目指します!」

 熱意溢れるその宣言に他の三人は呆気に取られ、室内は一瞬静まり返った。そしてシェリルが恐る恐る義姉に声をかける。


「……エリー。遠征中に、何かあった?」

「何? 絶対不可能だって言いたいの?」

 気分を害した様に問い返してきたエリーシアに、シェリルは慌てて首を振りながら、尚も問いかける。

「そうじゃないけど……。望みを高く持つのは、構わないと思うんだけど、因みに結婚とかは……」

(だって魔術師長就任って……、下手したら一生独身になっちゃうんじゃ……)

 しかしシェリルのそんな懸念を、エリーシアは一刀両断した。


「は? 結婚? そんなのは二の次に決まってるでしょ? 第一、私の理想は高いのよ? 少なくてもお父様位、洞察力と行動力と人望と経済力があって、頼りになる人じゃないと、結婚する気なんかサラサラないわ。言っておくけど容姿や血統なんてどうでも良いのよ? 勘違いアホ貴族野郎なんかと、誰が結婚するかってのよ」

「エリーシア? 自らを高める努力をするのは奨励される事ですから、それではまず言葉遣いから気を付けましょうね?」

「……申し訳ありません」


 そこですかさずエリーシアの悪態についてフレイアの指導が入り、それを目の当たりにしたシェリルが盛大に吹き出してしまった。そしてそれ以降の会話は一気に和やかな物となったが、ただ一人アルテスだけは、時折難しい顔になって何事かを考え込んでいた。

 そして楽しい一時を過ごしてからシェリルが王宮に戻り、フレイアとエリーシアが自室に引き上げたのと入れ違いに、外出先から戻ったリスターとロイドが、揃ってアルテスの書斎にやって来た。


「父上、何か御用ですか?」

「リュシオンが、戻ったらすぐ父上の書斎に行くようにと。今日はシェリル姫が、姉上のお見舞いにいらしていたのですよね? 何か問題でも生じましたか?」

 出迎えた執事に父親からの指示を聞かされ、何事かと思いながらやってきた息子達に、アルテスは重々しく告げた。


「私は決めたぞ」

「何をです?」

「エリーシアへの縁談は、今後一切受け付けない事にする」

「父上?」

「どうしてですか?」

 いきなりの方針転換に加えて、どうしてそれを自分達に宣言するのかと訝しんだ二人に、アルテスはきっぱりと言い切った。


「少なくとも、私を越えると認める男でないと、エリーシアは渡さん。あんな思慮のない王太子など、言語道断だ」

 いきなり不敬罪に問われかねない事を言い出した父親を凝視した二人は、ちらっと互いの顔を見交わした。そしてロイドが、慎重に問いかける。


「それでは、姉上を誰とも結婚させないつもりですか?」

「いや、少なくとも私と同等になれる可能性があると認められれば、エリーシアとの結婚を認めるのに異存は無い」

「それは……、随分ハードルが高そうですね?」

 父親の力量を熟知している為、苦笑しながら率直な感想を述べたリスターだったが、そんな彼にアルテスが鋭い視線を向けた。


「お前はどうだ?」

「……え?」

「私を越える気は無いのかと聞いている」

「父上?」

 そのまま無言で見つめ合う事数秒。リスターは父親から視線を外さないまま、「ああ、そういう事ですか」と小さく呟いてから、不敵に笑った。


「息子にとって、父親は常に越える様に努力するべき存在では?」

 その答えに、アルテスが満足げに頷く。

「良く言った。五年待ってやる。エリーシアもその期間位は、王宮専属魔術師として思う存分手腕を発揮したいだろうしな。だからロイド。お前もエリーシアに変な虫が纏わり付かない様に、全力で駆除するんだぞ?」

 そう息子に言い聞かせると、ロイドは実に良い笑顔で応じた。


「はい! 頑張ります! だって姉上が兄上と結婚したら、余所の家に行かずに、ずっと我が家に居て下さるんですよね? 自慢の姉上を変な奴に渡さない為に、全力でお手伝いします!」

「その意気だ。二人とも頼んだぞ」

「はい!」

 そして声を揃えて力強く請け負った息子達に、アルテスは再び満足そうに笑ったのだった。

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