18.エリーシアの思惑

「レオン殿下! この女が無礼にも、私に向かってシュアン酒をかけましたのよ!? ご覧下さいませ! この酷い有様を!」

 必死に訴えたアンジェスだったが、レオンは目の前の彼女を見下ろしながら、怪訝な顔になった。

「君は誰だ?」

「まあ! 殿下酷いですわ! 私をお忘れですの!? ルーバンス公爵家のアンジェスです!」

 憤然としてそう名乗ったアンジェスだったが、レオンが幾分申し訳なさそうに詫びる。


「ああ、ルーバンス公爵令嬢だったか。悪いが君の家には、同年代の御令嬢が何人もいるので、とても覚えきれなくてね。君の姉上と名前を取り違えていた様だ。……そうなると、君の名前は何だったかな?」

 そう言ってくるりと背後に向き直り、自身が引き連れてきた格好になった女性達の一群に視線を向けると、その視線の先にいたアンジェスと良く似た容姿の女性が、若干引き攣り気味の笑顔を浮かべながら名乗った。


「……エレノーラです、殿下」

「すまない。今度はきちんと覚えておこう」

(レオン殿下、ナイスボケです! でも何か、真面目に外したっぽいけど)

 あくまで生真面目に頭を下げたレオンだったが、エリーシアの周囲では笑いを堪えきれなかった人間が続出したらしく、くぐもった笑い声が伝わってきた。そんな嘲笑する空気を感じて怒りを増幅させたのか、アンジェスが更に顔を赤くしながら、レオンに詰め寄る。


「そんな事より、このドレスを見て下さい! あの盗人女がぐちゃぐちゃにしましたのよ!!」

「別に、どこも異常は無いようだが。何を言っているんだ?」

「え? ……どうして何ともなっていないの!?」

 自分のドレスを見下ろしたアンジェスは、本気で驚愕の叫びを上げた。それに些かうんざりした口調で、レオンがエリーシアを指差しながら指摘する。


「アンジェス嬢、大丈夫か? そもそも彼女は、ちゃんとシュアン酒入りのグラスを持っているぞ?」

「なっ!?」

 そこに至って、漸くアンジェスと周囲の者達は、エリーシアが幻視系の魔術を行使したのが分かった。それに文句を言おうとアンジェスが口を開きかけた時、レオンがエリーシアの異常に気が付く。


「エリーシア、どうしたその顔は。まるで殴られた様に赤くなっているが」

 その台詞に周囲がぎくりとする中、彼女は淡々と事実を述べた。

「はい、殿下。先程アンジェス嬢が、何やら訳が分からない事を叫びながら、殴りかかっていらっしゃいまして。咄嗟によける事ができなくて、平手打ちされてしまいました。マリゼーラ様とユーリア様が彼女を押さえてくれましたので、それ以上は殴られませんでしたが」

 それを聞いた途端、レオンは顔を強張らせて、勢い良くアンジェスの方に向き直った。そして声を荒げて叱責する。


「何だと!? 両陛下が臨席しているれっきとした公式行事で、暴力行為とは何事だ!」

「違います! それはその女が先に無礼な事を!」

「エリーシア嬢が、先に手を出したでも言うのか? それではユーリア嬢、マリゼーラ嬢、シュレネー嬢。貴女方はアンジェス嬢と日頃から親しくしておられた筈だし、当然、当初からこの場に居たのだな? エリーシア嬢が先にアンジェス嬢を殴ったのか?」

「え?」

「それは……」

 非難されたアンジェスは必死に弁解しようとしたが、レオンは益々顔付きを険しくしながら彼女の取り巻き達に顔を向け、詳細について問い質した。まさか王太子に向かって明らかな嘘をつく事もできず、さりとてアンジェスの背後にいるルーバンス公爵に睨まれる様な真似をしたくない彼女達は、互いの顔を見合わせて口ごもる。しかし彼女達のそんな反応は予測済みだったレオンは、冷静に言葉を継いだ。


「言っておくが、その場しのぎの嘘を言ったりすると、後で困るのはそちらだぞ? 他にも見ていた人間が、随分いる様だしな」

 周囲を見回しながら有無を言わさぬ口調でレオンが駄目押しすると、彼女達はこれ以上王太子の不興を買う訳にはいかないと判断し、あっさりとアンジェスを切り捨てた。


「その……、エリーシア様は、全く手を出したりしていませんわ」

「ええ、アンジェス様がいきなり怒り出して、止める間も無く殴ってしまわれましたの」

「先に暴言をお吐きになったのも、アンジェス様ですし」

「貴女達、よくも……」

「暴言? 何だ、それは」

 裏切られたアンジェスは、彼女達を睨み付けながら歯軋りしたが、ここでレオンが顔を顰めた。その問いにユーリア達が答えようとした時、落ち着き払ったエリーシアの声が割って入る。


「アンジェス様は、私の事を『ろくに力量も無い癖に、陛下に取り入って爵位や王宮専属魔術師の地位を手に入れた曲者だ』と仰いましたの。女である私が、王宮専属魔術師に就任した事に、相当ご立腹の様ですわ。先程も私の事を『盗人女』と呼ばわったのを、殿下もお聞きになったと思いますが?」

 それを聞いたレオンは、先程とは比べ物にならない剣幕でアンジェスを怒鳴りつけた。


「何だと!? アンジェス嬢! そんな事をこの場で放言したのか!?」

「だって、本当の事ではありませんか! 普通だったら女が王宮専属魔術師になるなんて、ありえないでしょう!?」

「本当に言ったのか……」

 反射的にアンジェスも叫び返したのを聞いて、レオンは反射的に額を押さえて呻く。そしてエリーシアは、少しだけ自分を罵倒した相手に同情した。


(うわぁ、これ以上は無いって位の、墓穴掘ったわね)

 そしてまだ自分の言った事の意味が分かっていないアンジェスに、レオンが王太子の威厳を保ちつつ鋭く指摘した。


「それだけ、彼女が優秀だと言う事だ。第一、彼女の任命については、他の王宮専属魔術師同様、王宮専属魔術師長と宰相の承認を受けた上で、国王陛下が任命しているんだぞ? 君の発言はこのお三方の判断に、公式の場で異を唱えた事になるが、その事の重大性を全く理解していないのか?」

「そ、そんな! 私は決してそんなつもりでは!?」

 そこまで言われて、自分の発言が主君達に対して甚だ不敬な内容である事を、アンジェスは漸く理解した。そして難しい顔をしているレオンに顔色を変えて弁解したが、ここでどこかのんびりとした口調でエリーシアが口を挟む。


「レオン殿下。私が弾みで一回叩かれた位で、そこまで騒ぎを大きくなさらないで下さい。アンジェス様はちょっとお酒が過ぎただけですわ。私にお酒をぶちまけられた幻覚を見る程酩酊されているのなら、まともな判断などできないでしょうし、私は気にしておりませんから」

 苦笑しながらそう取りなしてきたエリーシアから、アンジェスに視線を動かしたレオンは、如何にも不愉快そうに問いかけた。


「アンジェス嬢……、夜会が始まってからまだそんなに時間も経っていないと言うのに、この短時間にどれだけ飲んだんだ?」

「殿下! 誤解です! 確かに少しは頂きましたが、大量に飲むような真似は!」

「それなら酒乱の気でもあるのか? 少し飲んだだけでこんな騒ぎを引き起こすとは。自分では分かっていないと思うが、顔が真っ赤だぞ」

「…………っ!!」

 レオンが真面目くさって評した途端、彼女の顔は更に紅潮し、それを冷めた目で見ていたエリーシアは、心の中で突っ込みを入れた。


(もしも~し、レオン殿下。確かにその人の顔が真っ赤になってますけど、それは私に馬鹿にされた怒りと、酒乱癖の持ち主と言われて羞恥と悔しさで赤くなってるんだと思いますが?)

 レオンが本気で言っているのか、はたまた分かった上で惚けつつ辛辣な事を口にしているのか、今一つ確信が持てなかったエリーシアは、次にどういう方向に話を持っていくべきか少し迷ってしまった。しかしレオンが予想外に、エリーシアが望む方向に話を進める。


「とにかくアンジェス嬢には、早々にお引き取り願おう。せっかくのミリアのデビューの夜会に、これ以上ケチを付けられたらかなわないからな」

「そんな! 王太子殿下!」

 まさかの退場勧告に、その場に居合わせた者は思わず周囲の者と顔を見合わせ、アンジェスは泣きそうになった。しかしそれには構わず、レオンが会場中に響き渡る大声を出して、出席者に呼びかける。


「ルーバンス公爵令嬢、アンジェス嬢のパートナーは誰だ!? 速やかにこちらに来たまえ!」

 その呼びかけに会場中でざわめきが生じ、少しして人垣をかき分けて、二十代半ばに見える栗色の髪の男性がレオンの前に進み出た。


「王太子殿下、お呼びでしょうか?」

「あなたがアンジェス嬢のパートナーか?」

「はい。婚約者で、カーライル子爵の嫡子、ケインと申します。彼女が何か?」

「どうやらあなたの婚約者は、酒乱の気がある様だな。一方的にファルス公爵令嬢の頬を打った上に、陛下と王宮専属魔術師長と宰相の判断に、公式の場で異を唱えると言う暴挙に出た。彼女を連れて、即刻この場からお引き取り願いたい」

「何ですって!? 彼女がそんな騒ぎを?」

 淡々とレオンが状況説明をすると、ケインが血相を変えた。そして勢い良くアンジェスに向き直り、強い口調で責める。


「何をやっている!! 私の家の家名に泥を塗るつもりか!?」

 その剣幕に周囲の者は唖然となったが、言われたアンジェスは憤慨し、猛然と言い返した。

「はあ? どうして子爵家の人間風情に、そんな事を言われないといけないのよ! ふざけないで頂戴!」

「あの……、皆様、そこまで大袈裟に騒がなくても、宜しいですよ? 私はこの場で一言、アンジェス様に謝罪して頂ければ、それで十分ですので」

「何ですって?」

 ここで神妙に申し出たエリーシアに、アンジェスは瞬く間に柳眉を逆立てたが、レオンとケインは頷きつつ、彼女に謝罪を促した。


「そうか……。まあ、本人がそう言うなら、それで良しとするか。さあ、アンジェス嬢。エリーシア嬢に謝罪してくれ」

「寛大なご配慮、ありがとうございます。さあ、アンジェス嬢、エリーシア嬢の計らいに感謝して下さい」

「冗談じゃないわよ! 誰がこんな紛い物女に、頭を下げるものですか!!」

「あ、アンジェス! 待ちなさい!」

 謝罪を要求されて癇癪を起こしたアンジェスは、捨て台詞を残して勢い良く駆け出し、扉を押し開けて大広間から去ってしまった。その彼女を追いかけて、姉のエレノーラまで姿を消した途端、レオンが如何にもほっとした表情になって、若干気安くケインに声をかけた。


「やれやれ……。ケイン殿。ああいう女性を妻に迎えるのは、少し考えた方が良いのではないか?」

「王太子殿下の仰る通りです。父とも良く相談する事に致します」

 どちらも苦笑混じりで会話を交わしていると、ここでエリーシアが溜め息を吐いてからレオンに声をかけた。

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